YouTube Beethoven-Piano Sonata No.13 in E flat major Op.27 No.1-1st mov.
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アルフレッド・ブレンデル/ザ・フェアウェル・コンサート最 初 の 悲 歌 Die erste ElegieWer, wenn ich schriee, hörte mich denn aus der Engel
Ordnungen? und gesetzt selbst, es nähme
einer mich plötzlich ans Herz: ich verginge von seinem
stärkeren Dasein. Denn das Schöne ist nichts
als des Schrecklichen Anfang, den wir noch grade ertragen,
und wir bewundern es so, weil es gelassen verschmäht,
uns zu zerstören. Ein jeder Engel ist schrecklich.
Und so verhalt ich mich denn und verschlucke den Lockruf
dunkelen Schluchzens. Ach, wen vermögen
wir denn zu brauchen? Engel nicht, Menschen nicht,
und die findigen Tiere merken es schon,
dass wir nicht sehr verlässlich zu Haus sind
in der gedeuteten Welt. Es bleibt uns vielleicht
irgend ein Baum an dem Abhang, dass wir ihn täglich
wiedersähen; es bleibt uns die Straße von gestern
und das verzogene Treusein einer Gewohnheit,
der es bei uns gefiel, und so blieb sie und ging nicht.
O und die Nacht, die Nacht, wenn der Wind voller Weltraum
uns am Angesicht zehrt -, wem bliebe sie nicht, die ersehnte,
sanft enttäuschende, welche dem einzelnen Herzen
mühsam bevorsteht. Ist sie den Liebenden leichter?
Ach, sie verdecken sich nur mit einander ihr Los.
Weißt du's noch nicht? Wirf aus den Armen die Leere
zu den Räumen hinzu, die wir atmen; vielleicht da die Vögel
die erweiterte Luft fühlen mit innigerm Flug.
だれが、たとえ私が叫んだとて 並みいる天使らのなかよりだれが
私の声を聞いてくれよう。たとえ その序列に連なるひとりが
突如 私をその胸に抱き寄せることのあろうとも、私はその厳しき存在に打たれ
身を滅ぼすことであろう。なぜなら 美とは私たちの
なおかろうじて堪える あの恐ろしきものの始めにほかならないのだから。
そして私たちが美に讃嘆の声をあげるのも、それが私たちの破滅に
かかずらうことを 冷やかに退けているからだ。いずれの天使も恐ろしい。
かくして 私は自らを抑え、暗く低くむせび泣きつ
誘い呼ぶ声を じっとこらえるのだ。それならば、ああ だれを
私たちは頼みと成し得よう。天使を 頼みと成し得ず、人を 頼みと成し得ず、
そして聡明な動物たちは 早くも気づいている、
私たちが自ら意味づけた世界の中に住み着き、それほどに
頼りになる存在ではないことを。だが あるいは私たちに残されて
いるやもしれない、日ごとに見る あの山腹のいずくかの一本の樹。
私たちになお残されているやもしれない 昨日のあの道、
それに 甘やかされ まとわりついて離れない何かの習慣、それは
私たちのもとが気に入り 去りもやらずにとどまっていたのだ。
おお、そして夜が、宇宙をいっぱいにはらんだ風が吹きつけてきて
私たちの顔を食(は)み消してゆく夜が ── 、待ち焦がれられ やがて
おだやかに迷いを消す幻滅をもたらし、困難な業として一人ひとりの心に迫りくる夜、
だれにあの夜が残されていないだろうか。夜は愛し合う恋人たちには堪えられ易いのだろうか。
ああ、彼らは身体を寄せ合い 互いにその運命を覆い隠し合っているだけなのだ。
おまえはまだそれを知らないのだろうか。腕に抱き締めた その空虚を
投げかけるがいい、私たちが息づいている空間へ。おそらく 鳥たちは感じることだろう、
いっそう心のこもった羽ばたきで それだけ広くなった空を。
Ja, die Frühlinge brauchten dich wohl. Es muteten manche
Sterne dir zu, dass du sie spürtest. Es hob
sich eine Woge heran im Vergangenen, oder
da du vorüberkamst am geöffneten Fenster,
gab eine Geige sich hin. Das alles war Auftrag.
Aber bewältigtest du's? Warst du nicht immer
noch von Erwartung zerstreut, als kündigte alles
eine Geliebte dir an? (Wo willst du sie bergen,
da doch die großen fremden Gedanken bei dir
aus und ein gehn und öfters bleiben bei Nacht.)
Sehnt es dich aber, so singe die Liebenden; lange
noch nicht unsterblich genug ist ihr berühmtes Gefühl.
Jene, du neidest sie fast, Verlassenen, die du
so viel liebender fandst als die Gestillten. Beginn
immer von neuem die nie zu erreichende Preisung;
denk: es erhält sich der Held, selbst der Untergang war ihm
nur ein Vorwand, zu sein: seine letzte Geburt.
Aber die Liebenden nimmt die erschöpfte Natur
in sich zurück, als wären nicht zweimal die Kräfte,
dieses zu leisten. Hast du der Gaspara Stampa
denn genügend gedacht, dass irgend ein Mädchen,
dem der Geliebte entging, am gesteigerten Beispiel
dieser Liebenden fühlt: dass ich würde wie sie?
Sollen nicht endlich uns diese ältesten Schmerzen
fruchtbarer werden? Ist es nicht Zeit, dass wir liebend
uns vom Geliebten befrein und es bebend bestehn:
wie der Pfeil die Sehne besteht, um gesammelt im Absprung
mehr zu sein als er selbst. Denn Bleiben ist nirgends.
そうだ、巡り来る春が おまえを必要としていたのではなかったか。多くの星たちが
感じてもらうことを おまえに求めていたのだ。過ぎ去ったことどもが
大波のように高まり 打ち寄せ、あるいはまた
開かれた窓辺を通り過ぎて行ったとき、ヴァイオリンの奏でる調べが
身を委ねてきたこともあった。あのすべてが委託であったのだ。
けれど おまえはそれを成し遂げただろうか。おまえは相変わらず
空しい期待に気もそぞろであったのではなかろうか、なにやらすべてが
恋人の出現をおまえに告知しているかのように。(知られざる大いなる思想が
客としておまえのもとに出入りし、ときにはとどまってゆく夜もあるというのに、
おまえはその恋人をどこへ迎え入れよういうのか。)
けれど もしおまえの心に憧れが満ちていったならば、そのときは歌うがいい
あの愛した女たちを。あの
彼女らの誉め称えられている感情は まだ十分に不滅のものとなってはいない。
ほとんどおまえに妬みをさえ抱かせる あの捨てられた女たち、おまえは知ったのだ
彼女らが 満ち足りた女たちよりはるかに深い愛に生きたことを。繰り返し
歌うがいい、称えても称え尽くせぬ賛美の歌を 常に新たに歌い上げるがいい。
思っても見よ、英雄は生き続ける、彼には身の破滅でさえもが
存在のためのひとつの口実 最後の誕生でしかなかったのだ。
けれど 愛した女たちは、もう二度と愛を成し遂げる力もないかのように、
その本性のすべての力を汲み尽くし 自然の中へ
立ち返ってゆくのだ。おまえは果たして あの
ガスパラ・スタンパを
充分な想いを込めて歌ったことがあったろうか、恋人に去られた
いずこの少女が この愛した女の崇高な範例にふれ、
あの女(ひと)のようになりたいと思うほどに。
今こそ この上なく古いこれらの苦しみのかずかずを、私たちより豊かな
実りとなすべきではなかろうか。今こそ私たちは愛しつつ
愛する者から自由になり、おののきつ 堪えるべき時ではないだろうか。
張りつめた弦(つる)に堪えた矢が 力を湛えて弦を飛び離れた瞬間に、
自分自身を超えて より以上の存在となるように。なぜなら 滞留はどこにもないのだから。
Stimmen, Stimmen. Höre, mein Herz, wie sonst nur
Heilige hörten: dass sie der riesige Ruf
aufhob vom Boden; sie aber knieten,
Unmögliche, weiter und achtetens nicht:
So waren sie hörend. Nicht, dass du Gottes ertrügest
die Stimme, bei weitem. Aber das Wehende höre,
die ununterbrochene Nachricht, die aus Stille sich bildet.
Es rauscht jetzt von jenen jungen Toten zu dir.
Wo immer du eintratest, redete nicht in Kirchen
zu Rom und Neapel ruhig ihr Schicksal dich an?
Oder es trug eine Inschrift sich erhaben dir auf,
wie neulich die Tafel in Santa Maria Formosa.
Was sie mir wollen? leise soll ich des Unrechts
Anschein abtun, der ihrer Geister
reine Bewegung manchmal ein wenig behindert.
声がする、何かの声が。
聴け、わが心よ、ほかにはただ
聖者たちだけが成し遂げたように。巨大な呼び声を彼らを
大地から持ち上げた。けれど 奇跡の人々 聖者らは、
なおひざまずいたまま それに気づきもしなかったという。
それほどに 彼は聴き入っていたのだ。おまえも神の声に
堪えよというのではない、けっして。あの風のごとく渡り来るものを
聴けというのだ、静寂の中より生まれ出る 絶ゆることなきあの
気息を。
今おまえのもとにそよぎ来るのは かの若き死者たちの気配。
かつてローマとナポリで おまえが足を踏み入れた教会堂では
いずこでも 彼らの運命が静かにおまえに語りかけてきたではないか。
あるいは 先ごろ見た
サンタ・マリア・フォルモーサ寺院の墓標のように、
何びとかの碑銘が 荘厳な言葉でおまえに委託してきたではないか。
彼らは私に何を望んでいるのだろうか。彼らが私に望んでいるのは、
彼らの霊の純粋な運動を わずかながらも妨げることのある、
あの不当な死という外観を やさしく彼らから取り除いてやることだ。
Freilich ist es seltsam, die Erde nicht mehr zu bewohnen,
kaum erlernte Gebräuche nicht mehr zu üben,
Rosen, und andern eigens versprechenden Dingen
nicht die Bedeutung menschlicher Zukunft zu geben;
das, was man war in unendlich ängstlichen Händen,
nicht mehr zu sein, und selbst den eigenen Namen
wegzulassen wie ein zerbrochenes Spielzeug.
Seltsam, die Wünsche nicht weiterzuwünschen. Seltsam,
alles, was sich bezog, so lose im Raume
flattern zu sehen. Und das Totsein ist mühsam
und voller Nachholn, dass man allmählich ein wenig
Ewigkeit spürt. - Aber Lebendige machen
alle den Fehler, dass sie zu stark unterscheiden.
Engel (sagt man) wüssten oft nicht, ob sie unter
Lebenden gehn oder Toten. Die ewige Strömung
reißt durch beide Bereiche alle Alter
immer mit sich und übertönt sie in beiden.
言うまでもなくそれは奇異なことだ、もはやこの地上を住まう所とせず、
習い覚えたばかりの世の慣習(ならわし)を もはや営むことなく、
バラに それにことさらに希望を約束してくれる他の物たちに
人の行く末の 幸せな意味づけを与えぬということは、
限りなく気遣ってくれる 手の中にあったものでは
もはやなくなるということ、そして自分の名前さえ
こわれた玩具のように 捨て去るということは。
奇異なことだ、これらの望みを もはや望み続けることがなくなることは。奇異なことだ、
互いに関係し結ばれていたすべてが このようにばらばらになり
宙を舞うのを見ることは。それに死という在り方は 困難な業であり、
かつておろそかにされたことを取り戻す仕事に満ち、その果てに死者たちは
やっと少しずつ 永遠を感じるようになるのだ。── だが生きている人たちはみな
誤りを犯している、あまりにも画然と生死を区別し過ぎるという。
天使たちは(聞くところによると)自分が生者たちの間にいるのか、
死者たちの間にいるのか 分からなくことがよくあるという。永劫の流れが
生と死の両域を貫き すべての時代と世代を呑み込んで流れ、
その滔々たる流れの音は 生と死の両域にわたってすべての時間(とき)を凌駕している。
Schließlich brauchen sie uns nicht mehr, die Früheentrückten,
man entwöhnt sich des Irdischen sanft, wie man den Brüsten
milde der Mutter entwächst. Aber wir, die so große
Geheimnisse brauchen, denen aus Trauer so oft
seliger Fortschritt entspringt -: könnten wir sein ohne sie?
Ist die Sage umsonst, dass einst in der Klage um Linos
wagende erste Musik dürre Erstarrung durchdrang;
dass erst im erschrockenen Raum, dem ein beinah göttlicher Jüngling
plötzlich für immer enttrat, das Leere in jene
Schwingung geriet, die uns jetzt hinreißt und tröstet und hilft.
ついには 彼ら若くして世を去った人々は もはや私たちを必要とはしなくなる、
彼らは静かに人の世の慣習から離れてゆく、育ちゆく子が成長して
やすらかに母の乳房を離れてゆくように。だが 私たち、あのように大いなる
秘儀を必要とし、しばしばその悲しみの中から 至福に満ちた進歩の生まれ出る
私たちは ── 、私たちは 彼ら死者たちなしで在り得ようか。
かつて
リーノスの死を悼む嘆きの中から 最初の楽の音(ね)が出現し、
索漠として硬直した空間のすみずみに 響き渡ったという、あの伝説はいわれなきものだろうか。
あのほとんど神に近い若者が 突如そこから立ち去り 永久に姿を消したとき、
愕然とした空間の中ではじめて、彼のなきあとの空虚が あの妙なる振動に
移ったという、今 私たちの心を動かし、慰め、その救いとなる あの響きに。
Rainer Maria Rilke, beendet am 21.1.1912, Duino
YouTube C. Monteverdi: Salve, o Regina
YouTube Jordi Savall - Lamento Della Ninfa (Claudio Monteverdi)
YouTube Lamento Della Ninfa : Non havea Febo ancora フェーボがまだ世界に昼をもたらしていなかった頃
ニンファが捨てられて 悲しみの心を歌う
サンタ・マリア・フォルモーサ教会堂の表玄関の上と左右には、
ラテン語の碑文が浮き彫りにされていた ──
わが生の続く限り、
われは他の人びとのために生きたりき。
されど ついにわれ死せる後は、
消し去られことなく、
冷たき大理石の中で わがために生きる。
われヘルマヌス・グリエルムなりき。
フランドリア われを悼み、
ハドリア われを慕いて嘆き、
つつましき心 われを呼ぶ。
われは 1593年9月16日 死す。
《 私の聴き入る空間を広大にしてくれる落着いた安らかで、人間性について限りなく私に語りかけてくるものといえば、若くして死んだ人々の面影です 》 。
1912年1月23日付のアネッテ・コルプ宛てのリルケの書簡が、
ふと ぼくの耳に響いていた・・・・・・
聴け、声がする 《 声がする、何かの声が。聴け、わが心よ 》
ただ 「聞く hören 」、「聴く horchen 」、「聴き入る lauschen 」 こと、
ただ 「見る sehen 」、「観る / 見入る schauen 」 こと、
ただ 「感じる fühlen 」 こと、
そして、
何かが純粋な形象として聴こえてくる、見えてくる、感じ取れるようになるまで、
ただひたすら 「待つ warten 」 、
「とどまる bleiben 」 、
「堪える aushalten, bestehen 」 こと以外に何もない。
《 あの風のごとく渡り来るものを聴けというのだ、
静寂の中より生まれ出る 絶ゆることなきあの
気息を。 》
2時24分 それでは、また!