2009年07月08日

◆ うたのおくりもの : Farewell Summer, the grass is singing

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Never Dreamed You'd Leave In Summer.jpg


     いす     いす     いす     いす     いす     いす

いす YouTube Stevie Wonder Performs At Michael Jackson Memorial Concert

   《 Never Dreamed You'd Leave in Summer 》

   君が夏に逝ってしまうとは夢にも思わなかったよ
   離れて行ってもまた帰ってくると信じてた
   夏になれば寒さもなくなると思っていた
   でも これからの僕は静かな夜をひとりで過ごすんだね

   春になればあたたかい愛が訪れる、と君は言ってたね
   マイケル!
   君が夏に逝ってしまうとは夢にも考えなかったよ

いす YouTube Stevie Wonder - They Won't Go When I Go


     いす     いす     いす     いす     いす     いす


TV YouTube HOME (English with subtitles)

◆ T. S. エリオット T. S. Eliot.
◆ 『荒地 The Waste Land 』 (1922)

 "Nam Sibyllam quidem Cumis ego ipse oculis meis
 vidi in ampulla pendere, et cum illi pueri dicerent:
 Σίβιλλα τί θέλεις; respondebat illa: άποθανεϊν θέλω."

 「クーマエというところで一人の巫女が甕の中にぶらさがって暮らし
 ていたのを実際に私は目撃したからだ。街の少年たちはいうのだ
 『巫女さん、あんたは何がしたいのだ』巫女はいつも答えた『わしは死にたいよ』。」

 For Ezra Pound
 il miglior fabbro.

 より巧みな芸術家
 エズラ・パウンドのために。

◆ V. 雷神の言葉 What the Thunder Said より


   In this decayed hole among the mountains
   In the faint moonlight, the grass is singing
   Over the tumbled graves, about the chapel
   There is the empty chapel, only the wind's home.
   It has no windows, and the door swings,
   Dry bones can harm no one.
   Only a cock stood on the rooftree
   Co co rico co co rico
   In a flash of lightning. Then a damp gust
   Bringing rain

   山あいのこの荒れた窪地で かすかな月の光の中で、
   礼拝堂のまわりの倒れた墓石の上を 草は歌っている
   あれはただ風の棲み家の、空っぽの礼拝堂。
   窓はなく、扉は揺れ、
   ひ枯らびた骨では傷つくひともない。
   雄鶏がただ一羽棟木にとまり
   一閃の稲妻を浴びて啼くのだ
   コ コ リコ コ コ リコ
   すると湿った風がにわかに起こり
   雨を運ぶ

   Ganga was sunken, and the limp leaves
   Waited for rain, while the black clouds
   Gathered far distant, over Himavant.
   The jungle crouched, humped in silence.
   Then spoke the thunder
   ガンガ(ガンジス)河の水は涸れ、しなだれた木の葉は
   雨を待つ、黒雲が
   群がる はるか遠くヒマラヤの上に。
   密林は声もなく背を丸める。
   その時 雷神は言った
   DA
   Datta:[44] what have we given?
   My friend, blood shaking my heart
   The awful daring of a moment's surrender
   Which an age of prudence can never retract
   By this, and this only, we have existed
   Which is not to be found in our obituaries
   Or in memories draped by the beneficent spider[45]
   Or under seals broken by the lean solicitor
   In our empty rooms
   ダー
   ダッター(捧げよ):[44] だが我々は何を捧げたのか?
   友よ、心を動揺させる血液を捧げよ
   一瞬の情欲にかられるあの恐ろしい冒険を
   分別ある年齢の人でも慎めぬ情欲を。
   このことによって、このことによってのみ我々は実存して来たのだ
   このことは死者略伝の中にも出ていない
   また慈悲深い蜘蛛が巣をかけた遺芳(いほう)にも
   また死に絶えた家で
   痩せこけた弁護士が開封する遺言状の中にも出ていないのだ
   DA
   Dayadhvam: I have heard the key
   Turn in the door once and turn once only
   We think of the key, each in his prison[46]
   Thinking of the key, each confirms a prison
   Only at nightfall, aetherial rumours
   Revive for a moment a broken Coriolanus
   ダー
   ダーヤズワム(相憐れめ): 僕はかつて一度
   室に鍵がかけられるのを聞いたことがあった [46]
   ただ一度だけ 我々は皆自分の牢獄で鍵のことを考える
   鍵を考える時には我々は皆牢獄にいることを確認するのだ
   日暮れにのみ天使のささやきが
   コーリオレーナスのような没落の英雄をしばらくの間甦らせるのだ。
   DA
   Damyata: The boat responded
   Gaily, to the hand expert with sail and oar
   The sea was calm, your heart would have responded
   Gaily, when invited, beating obedient
   To controlling hands
                  I sat upon the shore
   Fishing,[47] with the arid plain behind me
   Shall I at least set my lands in order?
   London Bridge is falling down falling down falling down
   Poi s'ascose nel foco che gli affina[48]
   Quando fiam uti chelidon[49] ─ O swallow swallow
   Le Prince d'Aquitaine à la tour abolie[50]
   These fragments I have shored against my ruins
   Why then Ile fit you. Hieronymo's mad againe.[51]
   Datta. Dayadhvam. Damyata.
                  Shantih shantih shantih[52]
   ダー
   ダーミヤター(己を制せよ); 舟は帆と橈(かい)に熟練した人の手には
   調和して愉快に走るのだ
   海が穏やかな時には、人の心も乞われるままに、
   統御の手に服して鼓動し
   楽しく調子を合わしたに違いない
                  僕は岸に腰かけて
   釣りをしていた。[47] あの乾ききった野原に背中をむけて。
   せめて自分の土地だけでも規律をつけてみましょうか?
   ロンドン橋は落ちそうだ落ちそうだ落っこちそうだ。
   それから彼は浄火の中へ身をかくした [48]
   私はいつ燕のようになれるだろうか [49] ── おお燕、つばくらめ
   廃墟の塔にいるアキターニア公だ [50]
   これ等の断片で僕は自分の廃墟を支えてきた
   そんならあなたのいう通りにいたそう ヒーロニモーはまた気が狂った [51]
   ダッター ダーヤズワム ダーミヤター
                  シャーンティー(平和あれ) シャーンティー シャーンティー [52]


 
本 原註 Notes 本

44.↑ "Datta, dayadhvam, damyata" (Give, sympathize, control). The fable of the meaning of the Thunder is found in the Brihadaranyaka-Upanishad, 5, 1. A translation is found in Deussen's Sechzig Upanishads des Veda, p. 489.
44. 「ダッター、ダーヤズワム、ダーミヤター」(捧げよ、同情せよ、自制せよ)。雷神の真義の寓話は『ウパニシャッド』の5の1の「ブリハダラニヤカー」の中にある。この翻訳はドイセンの『ヴェーダのウパニシャッド60篇』489頁にある。

45.↑ Cf. Webster, The White Devil, v. vi:
  ". . . they'll remarry
  Ere the worm pierce your winding-sheet, ere the spider
  Make a thin curtain for your epitaphs."
45. 参照。ウェブスタの『白い悪魔』5幕6場。
  「うじ虫が屍衣を喰わないうちに、
  蜘蛛が墓碑銘にうすい膜をはらないうちに、
  彼らはすぐ再婚するだろう。」

46.↑ Cf. Inferno, xxxiii. 46:
    "ed io sentii chiavar l'uscio di sotto
    all'orribile torre."
  Also F. H. Bradley, Appearance and Reality, p. 346:
  "My external sensations are no less private to myself than are my thoughts or my feelings.
  In either case my experience falls within my own circle, a circle closed on the outside;
  and, with all its elements alike, every sphere is opaque to the others which surround it. . .
  In brief, regarded as an existence which appears in a soul,
  the whole world for each is peculiar and private to that soul."
46. 参照。『神曲』地獄篇33曲46行。
    「とざされた恐ろしい、塔の開く音が下の方
    から聞こえてきた」
  またF.H. ブラッドレィはその『現象と現実』の346頁に言う。
  「私の外面上の感覚は自分の考えることや感じたことと等しく自分には個人的なものだ。いずれにしても、自分の経験というものは自分自身の圏内に属するのであって外面の世界と直接に接している1つの圏内である。そして、圏は皆同等にそれ自身の要素から出来ているのであるけれども、どの圏も、それを囲む他の圏には互いに不透明なものである。・・・換言すれば、1個人の霊(こころ)の中に現れる1つの存在物として見做される全世界というものは個々の人にとってはその人の心に独特なものであり、極めて個人的なものである。」

47.↑ V. Weston, From Ritual to Romance; chapter on the Fisher King.
47. ウェストン女史の書『祭祀からロマンスへ』の「漁夫王」の章参照。

48.↑ V. Purgatorio, xxvi. 148.
    "'Ara vos prec per aquella valor
    'que vos guida al som de l'escalina,
    'sovegna vos a temps de ma dolor.'
    Poi s'ascose nel foco che gli affina."
48. 『神曲』煉獄篇26曲148行。
    「さて私は、私を階段の頂きまで導いて下さった
    善に誓って祈るのだが、
    私の苦悩についてやがては考えて下さい。」
    と言って、彼はその時彼を清める火の中へ かくれてしまった。

49.↑ V. Pervigilium Veneris. Cf. Philomela in Parts II and III.
49. 『ヴィーナス前夜祭』。その第2部と第3部にあるフィロメーラの話参照。

50.↑ V. Gerard de Nerval, Sonnet El Desdichado.
50. ジェラール・ド・ネルヴァルのソネットの『エル・デスディカードー』

51.↑ V. Kyd's Spanish Tragedy.
51. キッドの『スペインの悲劇』

52.↑ Shantih. Repeated as here, a formal ending to an Upanishad. 'The Peace which passeth understanding' is a feeble translation of the content of this word.
52. シャーンティー(心の平和あれ)。『ウパニシャッド』の終わりにつく紋切り形の言葉であるが、ここにつけられたように繰り返されている。英語でいう「理解を超越する平和」がこの言葉に当たる。


◆ キッドの悲劇『スペインの悲劇』(別名『ヒーロニモーはまた気が狂う』)
本 トマス・キッド Thomas Kyd 『スペインの悲劇 The Spanish Tragedy
本 The Spanish Tragedy (1580年後半)

 ヒーロニモーというスペイン王の式部官長が、宮中の催しとして、芝居を1幕上演することを頼まれ、「それではあなたの仰せの通りにしましょう」と言い、芝居を1幕上演します。そして、その機会で、ヒーロニモーは殺された自分の息子の敵を討ち、最後に自殺します。

 この流血悲劇は、エリザベス朝演劇の展開を促した画期的な作品で、セネカを経由した大仰な台詞とセンセーショナルな舞台作りに特色があります。また、のちの復讐悲劇の流行の先駆的作品としても意義を持っています。劇中劇の趣向などの点で、特に『ハムレット』に対する影響が指摘されています。この関係から、キッドは、現存していないのですが、一般に『原ハムレット Ur-Hamlet 』と呼び慣らわされている作品の作者とされることがあります。

 芝居の登場人物は、各々人の知らない外国語(ラテン語、ギリシア語、イタリア語、フランス語など)で台詞を言うことにしよう、とヒーロニモーが指導する場面があります。


 それでそれをもじって、この最後の訓戒がサンスクリットで閉じられています。

 シャーンティー(心の平和あれ)、シャーンティー(平和あれ)、シャーンティー(平和あれ)

 地球上の人間が暮らす場所には、7000にも及ぶ諸言語があります。
 つまり、この世界には、それらの言語を共有する文化圏があるということを意味します。
 石器時代同然の暮らしを営む部族から、日本人がそうであるような電化された現代生活を営む集団まで、さまざまな文化的階梯があることになりますが、それにもかかわらず、こと言語に関しては、そのような違いが見当たりません。たとえ、石器時代と変わらぬ生活をしている部族であっても、言語に関しては、決して石器時代同然というわけではありません。それどころか、その形態に限っては、地球上の諸言語は、いずれも、それぞれが精緻な形態を持ち、優劣を語ることができないほど複雑なものなのです。

 そして、7000もの異言語の間では、自由な意思疎通ができず、意思疎通するためには<翻訳>という行為が介在しなければならないのです。

 メール 日本の学生のみなさんへ

 せめて学校で習う外国語ぐらいは習得しましょうね、お願いします。わーい(嬉しい顔)
 

クリスマス YouTube Schubert - Sonata in G major D894 - Giovanni Bellucci, piano

 「すべてが有機的かつ生命に満ちている。
 ・・・ 形式と精神に関して最も完全な作品である」。── シューマン
本 Giovanni Bellucci

     幻 Apparition       マラルメ


   月は悲しむ。天使は涙を出して
   夢み、指に楽弓、かすんだ
   花の静寂に死にそうなヴィオロンを
   すすり泣き花冠をすべる
   ── それは君の最初の接吻の恵みの日。
   殉教者になりたい私の夢想は
   物知りらしく悲しみの香りに酔った、
   後悔も苦い後口さえもなく
   一つの夢を摘んだ心に残された香りに。
   だから私は古い敷石を見つめながら彷徨った時
   君は街の夕暮には髪に陽を浴び
   笑いながら私の眼に現われるのであった
   私はあの光る帽子を被った妖精を見たと思った
   彼女は昔 甘えっ子の私の麗しい夢の中を
   通過した、いつも軽く握った手から香る星の
   白い花束を雪のようにまき散らしながら。


デオダ・ド・セヴラック Déodat de Séverac
◆ 《 悲しい風景 ── 落日 Une aube affaiblie - Soleils couchants 》
◆ ポール・ヴェルレーヌ Paul Verlaine (1844-1896)
◆ 『土星びとの詩 Poèmes saturniens 』 (1866)
◆ 「落日 Soleils couchants 」


     悲しい風景 ── 落日 Une aube affaiblie - Soleils couchants


   Une aube affaiblie
   Verse par les champs
   La mélancolie
   Des soleils couchants.
   La mélancolie
   Berce de doux chants
   Mon coeur qui s'oublie
   Aux soleils couchants.
   Et d'étranges rêves,
   Comme des soleils
   Couchants sur les grèves,
   Fantômes vermeils,
   Défilent sans trêves,
   Défilent, pareils
   À des grands soleils
   Couchants sur les grèves.

   萎えた曙が
   野に注ぐ
   憂鬱な
   落日。
   憂鬱が
   甘い歌で揺する
   ぼくの心は
   落日にわれを忘れる。
   奇妙な夢は
   まるで砂浜に
   沈む太陽のようだ
   紅の幽霊となり
   絶え間なく打ち続く
   打ち続く、まるで
   砂漠に沈む
   大きな太陽のように。


D駮dat Severac Les Hiboux.jpg ◆ デオダ・ド・セヴラック

 ◆ 《梟(ミミズク) Les Hiboux 》 (1898)

 ◆ シャルル・ボードレール Charles Baudelaire (1821-1867)

 ◆ 『悪の華 Les Fleurs du Mal 』 (1857)

 ◆ 第1部 <憂鬱と理想 Spleen et Idéal >
 ◆ 第67. 「梟(ミミズク) Les Hiboux 」

 クリスマス YouTube Léo Ferré - Les hiboux (Baudelaire)

     梟(ミミズク) Les hiboux


   Sous les ifs noirs qui les abritent,
   Les hiboux se tiennent rangés,
   Ainsi que des dieux étrangers,
   Dardant leur oeil rouge. Ils méditent.

   黒い水松(イチイ)の陰に守られて、
   梟たちが並んでとまっている、
   まるで異国の神々のよう、
   赤い眼を投げつけている。瞑想して。

   Sans remuer ils se tiendront
   Jusqu'à l'heure mélancolique
   Où, poussant le soleil oblique,
   Les ténèbres s'établiront.

   身動きせずにとまっているのは、
   刻が憂鬱を告げるまで、
   斜めに射す日を押しのけて、
   闇が身を落ち着けるまでだ。

   Leur attitude au sage enseigne
   Qu'il faut en ce monde qu'il craigne
   Le tumulte et le mouvement;

   彼らの態度から賢者が悟るのは
   この世で心すべきは
   喧騒と変動であることを。

   L'homme ivre d'une ombre qui passe
   Porte toujours le châtiment
   D'avoir voulu changer de place.

   過ぎ行く影に酔う者に
   かならず天罰は当たるもの
   居場所を変えようと望んだために。


クリスマス YouTube Reynaldo Hahn: A chloris
クリスマス YouTube Hahn: À Chloris - Jaroussky

クリスマス YouTube Ninon Vallin sings 2 Hahn songs: L'Heure exquise - Tyndaris

◆ レイナルド・アーン Reynaldo Hahn
◆ 歌曲集 《 灰色の歌 Les Chansons grises 》 (1893)
◆ 第4曲 : <ひそやかに En sourdine >
◆ ポール・ヴェルレーヌ Paul Verlaine

クリスマス YouTube R. Hahn - En sourdine

     ひそやかに En sourdine


   Calmes dans le demi-jour
   Que les branches hautes font,
   Pénétrons bien notre amour
   De ce silence profond.

   ひそかに 暗がりで
   高い梢の射す陰で、
   ふたりの愛に注ぎ込もう
   この深い静寂を。

   Fondons nos âmes, nos cœurs
   Et nos sens extasiés,
   Parmi les vagues langueurs
   Des pins et des arbousiers.

   溶けてしまおう、ふたりの心も魂も
   うっとりとした感覚も、
   松と山桃の醸し出す
   ぼんやり気だるい風情の中で。

   Ferme tes yeux à demi,
   Croise tes bras sur ton sein,
   Et de ton coeur endormi
   Chasse à jamais tout dessein.

   眼を半ば閉じておくれ、
   胸に腕をまわせておくれ、
   そのまどろんだ心のまま
   なにも思わず そのままで ずっと。

   Laissons-nous persuader
   Au souffle berceur et doux,
   Qui vient à tes pieds rider
   Les ondes de gazon roux.

   ふたりの心を委ねよう
   やさしく揺するそよ風に、
   きみの足もとに吹いて来て
   褐色の芝草の波をたてる風に。

   Et quand, solennel, le soir
   Des chênes noirs tombera,
   Voix de notre désespoir,
   Le rossignol chantera.

   やがて 夕べが厳かに
   黒い樫から降りて来て、
   望みなき ふたりの声を
   ナイチンゲールが歌うだろう。



クリスマス YouTube A Whiter Shade Of Pale - Procol Harum
クリスマス YouTube Procol Harum - A Whiter Shade Of Pale

クリスマス YouTube Bach - Cantata BWV 140 - Peter Schreier - Sleepers wake
クリスマス YouTube J.S. Bach~Wachet auf, ruft uns die Stimme BWV 140 (IV:Chorale)

   《 目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声 》

   目覚めよ、( Wachet auf )
   塔の上高く ( sehr hoch auf der Zinne )
   天の薔薇のなかで草を喰(は)む ( in Himmels Rosen weiden )
   いつ来たるや、わが救い主よ ( Wann Kommst du, mein Heil ? )
   シオンは見張りの歌を聴き ( Zion hört die Wächter singen )
   さればわがもとに来たれ ( So geh herein zu mir )
   友はわがもの、われは彼のもの ( Mein Freund ist mein, und ich bin sein )
   汝にグローリアを歌わん ( Gloria sei dir gesungen )
   来たれイエスよ! 来たれ愛する魂よ! ( Komm, Jesu ! Komm, liebiche Seele ! )

 
レイナルド・アーン Reynald Hahn
◆ 《 イスラムの国で Au pays musulman 》
◆ アンリ・ド・レニエ Henri de Régnier (1864-1936)
◆ 『羽のあるサンダル La sandale ailée, 1903-1905 (poésie) 』 (1906)


     イスラムの国で Au pays musulman


   Peut-être si j'avais choisi mon temps où vivre,
   Eussé-je, grave et doux, vieilli sous le turban
   Et ma vie eût passé ses jours calmes à suivre
   L'ombre du cyprès noir et du minaret blanc.

   もしも生きる時代を選べたとしたら おそらく
   僕はターバンを纏って、厳かに優しく年老いただろう
   僕の人生は静かな日々を過ごしただろう
   黒い糸杉と白い尖頭の影を追っていただろう。

   Dans la fraîche mosquée où mille fleurs sont peintes
   Sur la faïence lisse autour du nom d'Allah,
   J'aurais, les yeux levés vers les lampes éteintes,
   Attendu qu'Azraël à mon tour m'appelât.

   涼しいモスクの中には千の花が
   アラーの名のまわりの滑らかな陶板に描かれていただろう、
   消えたランプの方に 眼をあげて 僕は
   アズラエルが僕の順番を呼ぶのを待っただろう

   À la fontaine pure où coule une onde claire,
   J'aurais lavé mes pieds, mon visage et mes mains
   Et prosterné mon corps au tapis de prière,
   Chaque fois qu'au ciel bleu chantent les muezzins.

   澄んだ泉にはきれいな波が流れ、
   僕は脚を、顔を 手を洗っただろう
   そして祈りの絨毯に身をひれ伏して、
   青空に祈祷の時が鳴るのを聴いただろう。

   Et sur la Corne d'Or, par la nuit étoilée,
   Mon Caïque eût fendu le flot pareil aux cieux
   Et ma femme, pour tous jalousement voilée,
   N'eût montré qu'à moi seul les astres de ses yeux.

   <金の角>の上の、夜空に星が出る頃に、
   僕のカイーク舟は空に似た波を押しのけて行っただろう
   僕の妻は、用心深くヴェールを纏い、
   僕ひとりにしか目の輝きを見せなかっただろう。

   Ainsi j'aurais vécu dans la demeure close,
   Mêlant, à la senteur en feu du tabac fin,
   Le parfum du Sental et l'odeur de la rose,
   Sous quelque vieux sultan au nom sonore et saint.

   こうして僕は閉ざされた住居に生きただろう、
   繊細なタバコの火の芳香に、
   白檀の香りと薔薇の匂いを混ぜただろう、
   高らかで聖なる名の老いたスルタンの下に。

   Et dans le cimetière où se pressent les tombes
   Harmonieusement et du haut des cyprès,
   La vois des rossignols et la voix des colombes
   Enchanteraient, là-bas, mon sommeil sans regrets.

   そして墓石のひしめく墓地では
   糸杉が高みで調和を保って、
   ナイチンゲールと鳩の声が
   そこで、僕の悔いのない眠りを揺すって。

   Mais, qu'importe la vie à qui peut, par son rêve,
   Disposer de l'espace et disposer du temps ?
   Qu'importe, puisque j'ai, d'une illusion brève,
   Satisfait pour jamais mon désir d'un instant !

   その人生がなんだろう、自らの夢によって、
   空間を支配し 時間を支配できる者にとっては?
   なんだろう、僕は短い幻影の中で、
   永遠に 一瞬の欲望を充たしたのだから!

   Et qu'à travers Stamboul et dans la verte Brousse,
   J'ai ressenti l'attrait du pays Musulman
   Où s'allonge, le soir, sur la terre âpre et douce,
   L'ombre du cyprès noir et du minaret blanc !

   イスタンブールを経て 緑なすブルザへと、
   僕はイスラムの国の魅力を痛感した
   そこでは厳しくも、優しい地上に、夕暮れになると、
   黒い糸杉と白い尖頭の影が伸びる!



クリスマス YouTube Stevie Wonder - Ribbon In The Sky

   僕は 一晩中祈っていた
   星が 君を僕のところまで導いてきてくれるように
   ・・・
   忘れられない想い出がつくれるように
   ・・・
   そう きっと神様が見ていてくださるのさ
   だから どんなことがあっても僕らに力を与えてくださるはず
   これからひとりじゃないことを
   星空のリボンが祝ってくれている
   ・・・
   星空のリボンが 僕らのために輝いているよ


クリスマス YouTube That's What Friends Are For - Dionne Warwick & Friends HQ

クリスマス YouTube Stevie Wonder - Love's In Need Of Love Today

 おはよう、こんばんわ
 こちらは庶民の味方のアナウンサー
 みなさんに、お伝えすべきシリアスなニュースがあります
 私が今からお話することは
 世界の惨事を意味するかもしれません
 みなさんの喜びや笑いを、涙や苦痛にしかねないのです

 それは ──

Rabiye Qadir.jpg
 NEW S 中国、「暴動の黒幕」と烙印=「ウイグルの母」への批判強める
 ─ 7月9日7時20分配信 時事通信

 本 世界ウイグル会議

 本 世界ウイグル会議 ─ Fresh-eye ペディア

 本 ラビア・カーデル ─ Fresh-eye ペディア


 きょう、愛が愛を必要としています
 遅れないで
 あなたの愛を 今すぐに送ってください
 憎しみがそこらじゅうに蔓延し、多くの胸を痛めています
 それをくい止めなくては 手遅れにならないうちに
 邪悪な力は あなたを悪の所有物にと企てています
 このままだと みなさんを破壊して 本当にそうなってしまいます
 わたしたちは 予防策を講じる必要があります
 あなたが愛と平和を宝物にしているなら
 これが私の言葉です

 ・・・ それは君次第、

 傷つける ── 憎しみはなんども僕の心を破壊しようとした
 多くの心が傷つけられている
 お願いだから ── それをくい止めてほしい
 お願いだから くい止めよう
 手遅れにならないうちに そうならないうちに

 愛はとても平和だ
 少しでもいいから もってきてほしい

 憎しみが蔓延して 心を破壊している
 お願いだから、止めよう!
 LOVE  愛だ!
 愛が必要なのは きょうの愛だ
 遅れないで 今すぐに
 世界に愛を!


プレゼント YouTube Stevie Wonder - I just called to say I love you

   ・・・
   だけど ここには
   真実のものがあるんだ
   この3つの言葉をきみに伝えよう

   アイ・ラブ・ユーと言いたくて電話しただけ
   僕の気持ちを伝えたかった
   アイ・ラブ・ユーと言いたくて電話しただけ
   心から愛しているよ

   真夏でもなければ
   快適な7月でもないし
   8月の穏やかな夜を照らす満月もない
   秋のそよ風もなければ
   枯葉が舞うわけでもないし
   渡り鳥が南の空へ旅立つ時季でもない

   ・・・
   だけどここには
   古めかしくて しかも新しいものがあるんだ
   きみの心を満たす3つの言葉

   アイ・ラブ・ユーと言いたくて電話しただけ
   僕の気持ちを伝えたかった
   アイ・ラブ・ユーと言いたくて電話しただけ
   心から愛しているよ

   心から
   心から


 Datta. Dayadhvam. Damyata.
 「捧げよ」。「相憐れめ」。「己を制せよ」。

 Shantih shantih shantih
 「心の平和あれ 心の平和あれ 平和あれ」

 
 それでは、また! I Do Love You !




posted by 空っぽの皿 at 16:20| パリ 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月06日

◆ うたのおくりもの : 小さな森 Le Petit Bois

Taxus_baccata_tree[1].jpgL’if commun.jpg
Yew_Berries[1].jpg
 喫茶店 YouTube Beethoven 15 Variations and Fugue Op 35 (1/3)
 喫茶店 YouTube Beethoven 15 Variations and Fugue Op 35 (2/3)
 喫茶店 YouTube Beethoven 15 Variations and Fugue Op 35 (3/3)

クリスマス YouTube Schumann : Erstes Grün, Op. 35-4

ジョルジュ・オーリック Georges Auric
◆ 《 不幸なフランスの4つの歌 Quatre chants de la France malheureuse 》 (1943)
◆ n°2. < 小さな森 Le Petit Bois >
ジュール・シュペルヴィエル Jules Supervielle
◆ 『不幸なフランスの詩 Poèmes de la France malheureuse 』 (1942)


     小さな森 Le Petit Bois


   J'étais un petit bois de France
   Avec douze rouges furets,
   Mais je n'ai jamais eu de chance
   Ah! que m'est-il donc arrivé ?

   僕はフランスの小さな森だった
   赤いフェレットが12匹いたが、
   僕はついていなかった
   ああ! いったい僕に何が起きたのか?

   Je crains fort de n'être plus rien
   Qu'un souvenir, une peinture
   Ou le restant d'une aventure,
   Un parfum, je ne sais pas bien.

   僕はもはやほかの何ものでもないのか
   ひとつの思い出、一枚の絵でしか
   ひとつの冒険の名残りでしか、
   よく知らない香りでしかないのか。

   Ne suis-je plus qu'en la mémoire
   De quelle folle ou bien d'enfants,
   Ils vous diraient mieux mon histoire
   Que je ne fais en ce moment.

   僕はもはや記憶の中にしかいない
   なんと馬鹿げて子どもっぽいこと、
   子どもなら僕の歴史をうまく言えるかもしれない
   いま僕が言うよりも。

   Mais où sont-ils donc sur la terre
   Pour que vous les interrogiez,
   Eux qui savent que je dis vrai
   Et jamais je ne désespère.

   けれど彼らは地上のどこにいる
   あなたが尋ねるべき彼ら、
   僕が真実を言うと知っている彼ら
   彼らは僕が決して絶望しないと知っている。

   Mon Dieu comme c'est difficile
   D'être un petit bois disparu
   Quand on avait tant de racines
   Comment faire pour n'être plus ?

   ああ なんと難しい
   失われた森であることは
   あんなに根を張っていたのに
   いなくなるにはどうすれば?


クリスマス YouTube Berlioz, Nuits d'été. Janet Baker.n°5. Au cimetière.

エクトール・ベルリオーズ Hector Berlioz
◆ 《 夏の夜 Les nuits d'été 》 Op.7
◆ n°5. <墓地にて(月の光) Au cimetière (Clair de luna) >
テオフィル・ゴーティエ Théophile Gautier
◆ 『死の喜劇 La Comédie de la Mort 』 (1838)


     哀 歌 Lamento


   Connaissez-vous la blanche tombe
   Où flotte avec un son plaintif
      L’ombre d’un if ?
   Sur l’if, une pâle colombe,
   Triste et seule, au soleil couchant,
      Chante son chant :

   ご存知ですか あの白い墓
   嘆きの音をたてながらそこにゆらめくのは
      イチイの影なのですが?
   イチイの上には、一羽の蒼ざめた鳩が
   悲しく孤独に、夕陽のなかで、
      歌を歌っているので、

   Un air maladivement tendre,
   À la fois charmant et fatal,
      Qui vous fait mal,
   Et qu’on voudrait toujours entendre ;
   Un air, comme en soupire aux cieux
      L’ange amoureux.

   病的なほどにやさしい調べが、
   魅惑的かつ宿命的に、
      あなたを苛み、
   それでもいつも聴かずにいられませんが、
   天国で嘆息するかのような調べは
      愛の天使のものでしょうか。

   On dirait que l’âme éveillée
   Pleure sous terre à l’unisson
      De la chanson,
   Et du malheur d’être oubliée
   Se plaint dans un roucoulement
      Bien doucement.

   目覚めた魂はあたかも
   地下で泣きつつ
      その歌に声を合わせているかのよう、
   忘れられた者の不幸を
   クークー鳴く声で嘆いています
      いともやさしげな声です。

   Sur les ailes de la musique
   On sent lentement revenir
      Un souvenir ;
   Une ombre de forme angélique
   Passe dans un rayon tremblant,
      En voile blanc.

   その音楽の翼にのって
   ゆっくり戻ってくるかのようです
      それはひとつの思い出です
   それは天使の形をしたひとつの影で
   揺れる光線のなかを過ぎてゆきます、
      白いヴェールに包まれています。

   Les belles-de-nuit, demi-closes,
   Jettent leur parfum faible et doux
      Autour de vous,
   Et le fantôme aux molles poses
   Murmure en vous tendant les bras :
      « Tu reviendras ? »

   夜の美女たちが、目を半ば閉じて、
   かそけく甘い香りを放ちます
      あなたのまわりに、
   すると 幻影は物憂げな様子で
   あなたに手を延べて呟くのです、
      「戻ってくるでしょう?」

   Oh ! jamais plus, près de la tombe,
   Je n’irai, quand descend le soir
      Au manteau noir,
   Ecouter la pâle colombe
   Chanter sur la branche de l’if
      Son chant plaintif !

   おお! もう決して、墓のそばには
   私は行かないでしょう、夜のとばりが
      黒いマントになる頃には、
   蒼ざめた鳩が
   イチイの枝で歌う
      嘆きの歌を聴きに行かないでしょう!


クリスマス YouTube Germaine Tailleferre * Tre pastorali

クリスマス YouTube Le Soir
クリスマス YouTube 5. Rameau: Hippolyte et Aricie / Marc Minkowski & François Le Roux
クリスマス YouTube Simon Rattle, BPO - Ravel: L'enfant et les sortilèges
本 フランソワ・ル・ルー François Le Roux, baryton
本 CENTRE INTERNATIONAL DE LA MÉLODIE FRANÇAISE

 「歌曲( メロディ : Mélodie )」と「歌謡( シャンソン : Chanson )」というジャンルが明確に分けられています。

満月 YouTube Wilma Driessen - Apparition (C. Debussy)

◆ クロード・ドビュッシー Claude Debussy
◆ 《 出 現 Apparition 》
◆ ステファヌ・マラルメ Stéphane Mallarmé
◆ 『 詩 集 Poésies 』 (1887)


     出 現 Apparition


   La lune s’attristait. Des séraphins en pleurs
   Rêvant, l’archet aux doigts dans le calme des fleurs
   Vaporeuses, tiraient de mourantes violes
   De blancs sanglots glissant sur l’azur des corolles
   ─ C’était le jour béni de ton premier baiser.
   Ma songerie aimant à me martyriser
   S’enivrait savamment du parfum de tristesse
   Que même sans regret et sans déboire laisse
   La cueillaison d’un Rêve au cœur qui l’a cueilli.
   J’errais donc, l’œil rivé sur le pavé vieilli
   Quand avec du soleil aux cheveux, dans la rue
   Et dans le soir, tu m’es en riant apparue
   Et j’ai cru voir la fée au chapeau de clarté
   Qui jadis sur mes beaux sommeils d’enfant gâté
   Passait, laissant toujours de ses mains mal fermées
   Neiger de blancs bouquets d’étoiles parfumées.

   月は悲しんでいた。熾天使たちは泣きながら
   夢見ながら、指に弓をはさみ、おぼろな花の静けさの中、
   物憂げなヴィオルを弾いたら
   白いすすり泣きが花冠の蒼穹を滑って行った。
   ── それはおまえが最初の接吻に祝福された日。
   ぼくの夢想は自ら苛むことを好み
   哀しみの香りに賢くも酔っていた
   その香りは後悔もなく幻滅もないまま
   ひとつの<夢>の収穫が夢を摘んだ心に残したものだ。
   だからぼくは彷徨った、古びた舗道に目をやりながら
   その時、髪に陽を浴びて、夕暮れの街の中、
   おまえは笑いながら現れたのだ
   ぼくは見たと思った、光の帽子をかぶった妖精を
   かつて甘やかされた子どもの美しい眠りの中を
   通り過ぎ、軽く握った手からいつも
   芳しい星の白い花束を雪と降らせたあの妖精を。


◆ カミーユ・サン=サーンス Camille Saint-Saëns
◆ 《 ペルシアの歌 Mélodies persanes 》 Op.26 
◆ n°5 < 墓場にて Au cimetière >
◆ アルマン・ルノー Armand Renaud
◆ 『ペルシアの夜 Les nuits persanes 』 (1870)
◆ 「 墓場にて Au cimetière 」


     墓場にて Au cimetière


   Assis sur cette blanche tombe
   Ouvrons notre coeur !
   Du marbre, sous la nuit qui tombe,
   Le charme est vainqueur.

   この白い墓石に座って
   ぼくらの心を開こう!
   夜がおりてきて、大理石の
   魅惑が勝者となる。

   Au murmure de nos paroles,
   Le mort vibrera;
   Nous effeuillerons des corolles
   Sur son Sahara.

   ぼくらの言葉の呟きに
   死者が震えるだろう。
   ぼくらは花冠をむしって
   死者のサハラ砂漠に落とすだろう。

   S'il eut, avant sa dernière heure,
   L'amour de quelqu'un,
   Il croira, du passé qu'il pleure,
   Sentir le parfum.

   最後の時の前に、もしも、
   誰かの愛を得ていたなら、
   死者は自らが泣いた過去に
   芳香を感じることだろう。

   S'il vécut, sans avoir envie
   D'un coeur pour le sien,
   Il dira: « J'ai perdu ma vie,
   N'ayant aimé rien. »

   自分のための心を
   欲しいと思わず生きたのなら、
   死者は言うだろう、「私は人生をなくした、
   何ものも愛さずに」と。

   Toi, tu feras sonner, ma belle,
   Tes ornements d'or,
   Pour que mon désir ouvre l'aile
   Quand l'oiseau s'endort.

   きみは鳴らすだろう、美しい人よ、
   きみの金の飾りを、
   ぼくの欲望が翼を広げるように
   鳥が眠る時刻には。   
   
   Et sans nous tourmenter des choses
   Pour mourir après,
   Nous dirons: « Aujourd'hui les roses !
   Demain les cyprès ! »

   いずれ死ぬことに
   悩んだりせずに、
   ぼくらは言うだろう、「今日は薔薇が!
   明日には糸杉が!」と。



 フランス高踏派初期の詩人、アルマン・ルノーは、フランス国内でもあまり知られていません。日本では、まったく知られていない詩人のひとりだと思います。だけど、僕はルノーの詩が大好きです。

 それでは、また!

posted by 空っぽの皿 at 15:21| パリ 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月03日

◆ 生(き)の芸術 : アール・ブリュット Art brut

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家 Sanxingdui Museum

喫茶店 YouTube 中国民謡 茉莉花(ジャスミン) by Tang Can (湯燦)

   好一茉莉花,好一茉莉花,
   滿園花開香也香不過,
   我有心采一戴,又怕看花的人兒罵。
   好一茉莉花,好一茉莉花,
   茉莉花開雪也白不過,
   我有心采一戴,又怕旁人笑話。

   好一茉莉花,好一茉莉花,
   滿園花開比也比不過,
   我有心采一戴,又怕來年不發芽

   きれいな茉莉花、きれいな茉莉花
   庭中に咲いたどの花も その美しさにはかなわない
   一つとって飾りたいけれど 来年芽が出なくなってしまったらどうしましょう

   " Even if the worldends tomorrow,
   I will plant the seeding of an apple tree. "

   「たとえ世界の終わりが明日であろうとも、
   わたしは今日 リンゴの苗を植える。」
   

TV YouTube プッチーニ:歌劇『トゥーランドット』全3幕

夜 YouTube Schubert - "Nacht und Träume"

     《 夜と夢 Nacht und Träume D.827 》 op.43-1

  浄らかな夜は沈み
  空を流れる月の光のように
  夢もまた 静かに
  人の胸に 揺れている。

  夢はよろこびで人を酔わせ
  夜明けには呼びかける
  「浄き夜よ 帰りこよ!
  やさしい夢よ 帰りこよ!」と。


Hans Prinzhorn.jpgAugust_Natterer[1].jpg
Entwicklung der Psychiatrie 1922.jpg





 1922年、ドイツ、ハイデルベルク大学付属病院の精神科医だったハンス・プリンツホルン Hans Prinzhorn は、患者の視覚表現に興味を持ち、わずか1年半という短い期間に、ヨーロッパ各地の精神病院から500人、5000点以上もの作品を収集します。それ以前は、患者の精神状態を解釈する材料としてしか利用されることのなかったこれらの作品に、芸術的を見いだそうとしたのです。こうして、画期的な野心をもって出版されたのが、プリンツホルンの『精神病者の芸術性 Entwicklung der Psychiatrie 』でした。

 その衝撃の大きさは、計り知れないものがありました。
 まず、20年代のドイツ表現主義の作家たち、30年代のシュルレアリストにインスピレーションを与えます。

August_Natterer_Neter_artwork_1919.jpgMax Ernst Oeuvres de 1919  1936.jpg
August Natterer Wunderhirthe 1919.jpg


 時に、悲劇的な犠牲をもたらした第1次世界大戦は、ヨーロッパの若い知識層に深い傷を残し、彼らはルネサンス以来の科学的合理性への不信を募らせていました。従来の価値観を転覆させ、新しい芸術を渇望模索していたインサイダー(主流)のアーティストらが、いわゆる文明社会からはじき出された精神病患者の視覚表現に手がかりを求めたのは自然なことでした。

 精神病患者の作品をもっとも早くから、深く理解していたモダン・アーティストは、パウル・クレーでした。西洋文明の呪縛から自らを解放し、その始原の時点に立ち戻って芸術の本質を見直そう、というのがクレーの考えでしたが、その手本として、教育に汚されていない子供の絵、西洋の伝統文化から遥か隔たったアフリカやオセアニアの部族芸術、そして、社会に従属することを拒んだ精神病患者の絵に注目したのです。クレーの作品と、精神病患者の作品を見比べてみると、形態上の類似を越えて、気紛れな思いつきや、とりとめのない想いを画面に定着させるという、欲のない動作においてこそ、クレーが精神病患者たちの精神のありかたに近づこうとしていたことがわかります。

 アンドレ・ブルトンもまた、心霊術の霊媒や精神病患者が記すものに興味を抱いていました。彼自身、医学を学び、精神分析医になっていても不思議ではなかったからです。

 「理性による支配をまったく受けないところで、そしてあらゆる美学的、道徳的先入観のそとで、記述された思考」。

 1924年、ブルトンが『シュルレアリスム宣言』において提唱したオートマティスム(自動記述)は、「思考」を「イメージ」に置き換えれば、霊媒や精神病患者がトランス状態、あるいは錯乱状態で記したものにあてはまります。ただし、シュルレアリストが理性に対する反逆を前提に、無意識や夢を探る技法としてオートマティスムを意識的に選択したのに対して、霊媒や精神病患者の場合、そうではありません。意識と無意識は共存していて区別は不可能、描くという行為には目的も対象もなく、その手段に選択の余地もありません。描くという行為は、ただ彼らの肉体を通過して行ったに過ぎないのです。

 1922年、マックス・エルンストが、ドイツからパリに密入国した時、ポール・エリュアールへ進呈するために、出版されたばかりのプリンツホルンの『精神病者の芸術性』を抱えてきました。

 心理学と精神分析学を学び、コラージュ、フロッタージュ、デカルコマニーなど、合理的表現を裏切る技法を求め続けたエルンストにとって、プリンツホルンの『精神病者の芸術性』は、魅力的なサンプル・ブックでした。

 この上段中央の画は、アウグスト・ナッテラー(ネター) August Natterer (1868 - 1933), also known as Neter の《奇蹟の羊飼い Der Wunderhirthe 》という作品ですが、エルンストの『マックス・エルンスト作品集 1919 - 1936, Max Ernst Oeuvres de 1919 à 1936 Editions Cahiers d'Art 』(1937) の表紙(右側の画)に描かれた作品《オイディプス》が、ネターの作品から想を得ているのは一目瞭然といえます。

 そして40年代に、ジャン・デュビュッフェ Jean Dubuffet に強い影響を与えます。
 プリンツホルンの『精神病者の芸術性』を入手した彼は、伝統の枠をはずれたところに、表現の無限の可能性があることを発見し、驚喜しました ──

 「何をしてもいいんだ。何をしても許される。文化の大通りをはずれた所には、表現の可能性が何百万とある」と。

 一方で、精神病患者の作品をもっと見たいと熱望したデュビュッフェは、1945年、スイスに旅行します。デュビュッフェは、ベルンの精神病院でアドルフ・ヴェルフリ、ミュンジンゲンでハインリンヒ・アントン・ミュラー、そしてローザンヌの施療院でアローイズ・コルバスを発見します。

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     青 き 魚 を 釣 る 人     室生 犀星


  ほのかなるなやみのうちに
  ひと日過ぎゆき
  ひと日しづかにかへりくる。
  魚はかたみに青き眼をあげ
  噴きあげに打たれかなしむ。

  藍のうろこも痛く
  つりうどの眼もいたく
  魚はかなたにのがれゆき
  鉢なでしこの日の表
  つよき反射のなかに浮きもかなしむ。


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 プレゼント YouTube Brad Mehldau solo - My favorite things
 プレゼント YouTube My Favourite Things - 2006 London
 プレゼント YouTube John Coltrane - My Favorite Things - 1961
TV DOCUMENT L'ART BRUT ─ TSR Archives

 「アール・ブリュット」という言葉を考案したのもこの旅でした。

 伝統や流行の支配から解放され、社会的な妥協を入れず、専門家の評価には無関心、精神の熱狂と自閉的な内的必然性から生まれた「調理されていない、生(き)の芸術」という意味のフランス語であり、西洋美術史上初めて、アウトサイダー・アートを規定した言葉でした。

 1949年、展覧会「文化芸術よりも、生の芸術を L’Art brut préféré aux arts culturels 」をドロワン・ギャラリーにて開催し、啓蒙の目的でこれらの作品を紹介する冊子を自ら執筆、編集、刊行します。
その序文に ──

アール・ブリュット Art brut : 定義 Citations

« Nous entendons par là des ouvrages exécutés par des personnes indemnes de culture artistique, dans lesquels donc le mimétisme, contrairement à ce qui se passe chez les intellectuels, ait peu ou pas de part, de sorte que leurs auteurs y tirent tout (sujets, choix des matériaux mis en œuvre, moyens de transposition, rythmes, façons d’écriture, etc.) de leur propre fonds et non pas des poncifs de l’art classique ou de l’art à la mode. Nous y assistons à l’opération artistique toute pure, brute, réinventée dans l’entier de toutes ses phases par son auteur, à partir seulement de ses propres impulsions. De l’art donc où se manifeste la seule fonction de l’invention, et non, celles, constantes dans l’art culturel, du caméléon et du singe. »

 「芸術の教養で痛めつけられていない人たちの作品のことである。彼らにあっては文化人(アンテクチュエル)の場合と反対に、真似事(ミメテイスム)がどこにもない。彼らは主題、使う材料の選択、リズム、書法(エクリチュール)などすべてを自分自身の根底から引き出してくるのであって、古典芸術あるいは流行の芸術のパターンを借りているのではない。ここに見られるのは、自分自身の衝動からのみはじめて、すべてがまったく再発明された、完全に純粋で生の芸術的行為である。つまり文明的芸術(アール・キュルチュレル)にいつも見られるカメレオンと猿の機能でなく、発明という機能だけが現れた芸術である」。

 ── Jean Dubuffet, « L’Art brut préféré aux arts culturels », 1949 (Manifeste accompagnant la première exposition collective de l’Art brut à la Galerie Drouin, reproduit dans Prospectus et tous écrits suivants, Gallimard, 1967)

 
 デュビュッフェがアール・ブリュット作品に魅かれたのは、何よりも自由のエスプリだった、と主張していることを、僕たちは忘れてはなりません。

 「私の作品が、彼らの作品から影響を受けたことはない。彼らの完璧なまでの自由に影響されたのだ」。

 何を描くかでもなく、どう描くかでもなく、自由な状態=文化的伝統の外、生(き)の状態で描く。同時にデュビュッフェは、冷徹に言い放ちます ──

 「アール・ブリュットの作り手たちは美術の教育を受けていないが、私はそうではない。一度として、文化的な足枷を完全に排除できたことはない。アール・ブリュットの精神状態に近づこうとしてきたが、私の場合、それは意志の力によってである」。


     Et par le pouvoir d’un mot
     Je recommence ma vie
     Je suis né pour te connaître
     Pour te nommer

     そして言葉の力によって
     ぼくは再び生きはじめる
     ぼくは生まれた おまえを知るため
     おまえを名づけるために

     Liberté.

     自由よ。


 ポール・エリュアールの詩「自由」のラストからの引用でした。

本 日本のアウトサイダー・アート ─ Wikipedia


 「私たちは今後、次のような者を発明家(作家あるいは哲学者ではなく)と呼ばなければならないであろう。すなわち新たな定式を明るみに出し、そうすることで、もろもろの断片を投げかけながら、広汎にかつ細部にわたってシニフィアン(言語表現の所作)の空間を攻囲する者を」。

 ── ロラン・バルト (1915 - 1980)

 空想・・・空想い、

 僕たちは思考の軸を180度回転させ、
 「空想から科学へ」から「科学から空想へ」と、
 歴史のベクトルを逆転させなければならないのかも知れませんね。


本 NHKスペシャル|エジプト発掘 第1集 ピラミッド 隠された回廊の謎

TV YouTube Pyramid Fly Through

TV YouTube Timewatch: Pyramid - The Last Secret (Part 1 of 5)
TV YouTube Timewatch: Pyramid - The Last Secret (Part 2 of 5)
TV YouTube Timewatch: Pyramid - The Last Secret (Part 3 of 5)
TV YouTube Timewatch: Pyramid - The Last Secret (Part 4 of 5)
TV YouTube Timewatch: Pyramid - The Last Secret (Part 5 of 5)


 それでは、また!


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2009年07月02日

◆ 追 悼 : ピナ・バウシュ

PinaBausch.jpgnelken weiss.jpg
iphigenie.jpg

いす YouTube Le Sacre Du Printemps by Pina Bausch Wuppertal Dance Theater
いす YouTube Fensterputzer laveur de vitre pina bausch
いす YouTube Le Sacre du Printemps - (1970) Partie 1
いす YouTube Pina Bausch Vollmond
いす YouTube Pina bausch - Parle avec elle - Habla con ella - liste de lionel nivelle
いす YouTube Pina Bausch Walzer
いす YouTube PINA BAUSCH - The Man I love (Gershwin)


   人間のかなしさ、運命を独特のユーモアで描き
   記憶の襞に触れてゆく
 
   すべてを理解することも
   記憶することもできないけれど・・・

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  Café Müller : 彷徨う人々の、混迷を深める今と響きあう

  いす YouTube Café Müller pina bausch rare

  2009年6月30日、偉大なアーティストの戦死でした。

  繊細緻密な観察力、構成力、

  ピナ・バウシュの死を惜しみ、悼みます。


pina190[1].jpgpina_bausch_1434732c[1].jpg
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  本 ピナ・バウシュ ─ Wikipedia
  本 Pina Bausch ─ Wikipedia
  本 MySpace.com - Pina Bausch


メール ティンクさん、

 コメント、資料など、ありがとうございます。

 Tanztheater ("dance theatre")

いす YouTube Radka Toneff - Lost In the Stars
いす YouTube Alfred Denis Cortot plays Debussy in Cinephonie.
いす YouTube Henry Purcell - Suite No.2 in G minor:Saraband


     老 い た る え び の う た     室生 犀星


  けふはえびのやうに悲しい
  角(つの)やらひげやら
  とげやら一杯生やしてゐるのが
  どれが悲しがってゐるのか判(わか)らない。

  ひげにたづねて見れば
  おれではないといふ。
  尖(とが)つたひげに聞いて見たら
  わしでもないといふ。
  それでは一体誰が悲しがつてゐるのか
  誰に聞いてみても
  さつぱり判らない。

  生きてたたみを這(は)うてゐるえせえび一疋(ぴき)。
  からだぢゆうが悲しいのだ。


本 Homepage der Wuppertaler Bühnen
ビル Wuppertaler Bühnen ─ Wikipedia
家 Wuppertal ─ Wikipedia


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2009年06月30日

◆ グールド : シェーンベルク 《月に憑かれたピエロ》

Arnold Schoenberg.jpgSchoenberg[2].gif
Schoenberg[1].jpg


 グレン・グールドの発言


 「・・・ 知っての通り、《月に憑かれたピエロ》は私は1度も録音したことがないんだけれど、その理由というのがね、ありていに言えば、例の歌唱法、つまり<シュプレヒシュティン>の部分を聴くと、文字通り逃げ出したくなってしまうからなんだ。少なくとも器楽の部分だけなら結構いい曲だと思っているのにね」。

 「最近、私は自説を曲げて TV の特別番組用にこの曲の1部を録音したんだけれど、おかげでいい経験をさせてもらったよ」。

TV カナダ CBS テレビ番組『ミュジカメラ Musicamera 』
TV 特集《 我々の時代の音楽 Music in Our Time 》
TV 1975年2月5日、第2回「秩序からの飛翔 ─ 1910年から1920年の音楽 The Flight from Order : Music from 1910 to 1920 」 放映。

 ソニークラシカルは、この放送の音源を使って CD 盤を制作発売しました。

 「これから聴くのは、《ピエロ》全体を構成する21曲のうちの最初の7曲です。それぞれ次のような題がつけられています。<月に酔い>、<コロンバイン>または<コロンビーネ>、<伊達男>、<蒼ざめた洗濯女>、<ショパンのワルツ>、<マドンナ>、そして<病める月>です。お聴かせする部分に使われ楽器は、ヴァイオリン、フルート、クラリネット、バスクラリネット、チェロ、そしてピアノで、指揮はアーサー・ワイスバーグです」。

TV YouTube Glenn Gould and Patricia Rideout: Schoenberg Pierrot Lunaire

喫茶店 YouTube Arnold Schoenberg : Pierrot lunaire - I-VII {PART 1/4}

 グールドは、シェーンベルグの無調時代随一の影響力を持つ作品と見なされる、作品21の《月に憑かれたピエロ》をあまり評価していませんでした。歌唱法上の実用的利点については評価しているものの、これのおかげで曲は、「文字通り気狂い」じみたものになってしまったと言っています。グールドには、この作品の「おそろしく演劇臭い」ところが耐えられなく、「苛立たしい」ものであったようです。

目 グールドは、作品21 《月に憑かれたピエロ》 の 1 部だけを録音して、2 部、3 部は録音していません。

 シェーンベルグは、当初、<シュプレヒシュティンメ Sprechstimme 「話す声」>という語を採用しましたが、やがてその語をやめて「語る歌」を意味する<シュプレヒゲザング Sprechgesang >という語を使うようになります。この放送でグールドは、<シュプレヒシュティンメ>を、シュプレヒゲザング様式で歌う箇所を示す名詞として使い、<シュプレヒゲザング>の方は、この特殊な歌唱法を表す形容詞として使っています。

  <シュプレヒシュティンメ Sprechstimme >、<シュプレヒゲザング Sprechgesang > は、1義的には<レチタティーヴォ>のドイツ語訳ですが、シェーンベルグらの作曲家によって試みられた声楽演奏の1形態のことをも意味します。シュプレヒゲザングによる歌唱では、「歌う部分(ジングシュティンメ Singstimme )と<語る歌の部分>、両方の性格を区別するため、規定された音程とリズム内で語るように演奏する」というふうに、僕は理解しています。

 《月に憑かれたピエロ》、正式な題名《 Dreimal sieben Gedichte aus Albert Girauds Pierro lunaire 》にある「 3 かける 7 篇 Dreimal sieben 」という書き方に 3 と 7 が現われ、これがそのまま作品の詩篇の構成( 3 部各 7 篇)を告げています。また詩篇の合計 21 は、作品番号に対応するとともに作曲年( 1912 )の裏返しでもあります。3 は、作品に関る作者の数(詩人ジロー、訳者ハルトレーベン、作曲家シェーンベルグ)。詩はすべて厳密なロンド形式で、3 連 13 行からなり、最初の 1 行は 3 回繰り返され、7 行目と 13 行目も反復されます。演奏者は、指揮者、歌手、5 人の器楽奏者合わせて 7 人で、ピエロのモチーフは 7 音からなり「 Pierrot 」の 7 文字に対応しています。

 これは、数秘学、数霊術とも訳されていると思いますが、Numerology は、ラテン語の「数、秩序 numerus 」から作られた言葉です。西洋の占術の1種で、アルファベットの文字に順に数を当てはめ単語の数値を計算して、人間の運命、性格、未来の出来事などを予想します。数を万物の原理とし、森羅万象に隠された数的秩序を読み取る神秘思想が基になっていて、そこにはピュタゴラスの数論やカバラ思想などの古代思想が反映されていると言われています。

本 様々なアルファベットと数字の照応一覧表(英語)

 シェーンベルグの無調時代の代表作《月に憑かれたピエロ》作品 21 は、1912年に作曲され、初演者であり曲の依頼者でもあったアルベルティーネ・ツェーメ Albertine Zehme に献呈されました。ツェーメはライプツィヒの富裕な弁護士夫人で職業女優でしたが、同時にコジマ・ワーグナーの下でワーグナー・オペラの歌唱を学んだ歌手でもありました。19世紀末ドイツでは、劇的な筋立てを持った詩を音楽に合わせて朗読することが流行していて、ツェーメもまたそうした<メロドラマ>の上演に傾倒したひとりで、自身ショパンの曲に合わせて詩の朗読をときどき行なっていました。

 1912年初頭、ツェーメは、シェーンベルグにそのような詩の朗読のための音楽を依頼しました。詩は、ベルギーの詩人で「青年ベルギー高踏派」の創始者のひとりアルベール・ジロー Albert Giraud が、1884年にブリュッセルで刊行したフランス語の詩集『月に憑かれたピエロ』を、ドイツのユーモア・諧謔文学の作家オットー・エーリヒ・ハルトレーベン Otto Erich Hartleben がドイツ語訳したものでした。

本 Albert Giraud, Pierrot lunaire ─ Wikisource
本 Albert Giraud ─ The Lied and Art Song Texts Page

 報酬が高額であったのと、自らの裁量で作曲する詩が選べ、自由に歌唱の指導やリハーサルを行なってよいとのことから、シェーンベルグは即座に依頼を承諾し、50 篇の詩のなかから 21 篇の詩を選び、7 篇ずつのまとまりからなる 3 部構成の曲を構想しました。作品は、ベルリンで 1912年3月2日から6月6日にかけての短期間にほぼ書き上げられました。そして、40回ものリハサールを経て、シェーンベルグ自身の指揮のもと、同年10月16日、ベルリンのコラリオン劇場 Choralionsaal で初演されましたが、野次と中傷のなかでの上演となりました。

本 The Arnold Schönberg Center in Vienna (Austria)

 ここでの<メロドラマ>とは、歌なしの語りに何らかの形で音楽が参加する形式のことを指します。19世紀に流行り今日まで定着している感傷的な通俗劇とも、イタリア語でオペラを一般に意味する「メロドランマ(音楽劇)」とも関係はありません。その起源は、18世紀フランスに起こった演劇形式<メロドラム mélodrame >に遡ることができ、思想家として名高い J=J・ルソーとコワニェによる作品《ピグマリオン》(1767)に始まると言われています。

 ドイツでは、チェコ出身のゲオルク・ベンダが《ナクソス島のアリアドネ》(1774)、《メデア》(1774)でこの形式を完成させた後、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ウェーバー、ベルリオーズなどの作曲家が、何らかの形でこの形式に手を染めています。

 19世紀後半では、チェコのフィビヒ(フィビフ)が野心的な 3 部作《ヒッポダミア Hippodamia 》(1889 - 1891)でワーグナーのライトモチーフの手法を使ったこと、そして《ヘンゼルとグレーテル》で名高いエンゲルベルト・フンパーディングが、もうひとつの代表作《王様の子供たち Königskinder 》(1890年メロドラマとして作曲、1910年オペラへ改作)で、<語り>のリズムと音高を表わす特別な音符による記譜を試みたことが注目されました。ことに後者は、シェーンベルグのシュプレヒゲザングへと通ずる直接的な先駆と言われています。

 一方、ヴィーンなどでは、シューベルトも手がけたことのあるピアノとの語りのためのリート風メロドラマが好まれ、この伝統がやがて19世紀末のキャバレー運動を介して、シェーンベルグへとつながり、《月に憑かれたピエロ》を生み出します。また、シュトラウスもこの伝統のもとで、イギリスの桂冠詩人アルフレッド・テニスン Alfred Tennyson の物語詩に基づき、《イノック・アーデン Enoch Arden 》(1897)のような作品を残すことになります。

 グールドは、シュトラウスのこの朗読とピアノのためのメロドラマ《イノック・アーデン》を、カナダ生れの名優クロード・レインズとともに、1961年に録音しています(Columbia ML 5741 / MS 6341 62年発売)。

本 参考テクスト 本

本 Glenn Gould, La série Schönberg, texte etabli et présenté par Ghyslaine Guertin, traduit de l'anglais par Caroline Guindon, notes de Ghyslaine Guertin et Stéphne Roy (Paris : Christian Bourgois, 1998)


喫茶店 YouTube STRAUSS: ENOCH ARDEN / Michael York & John Bell Young. Pt. 3

          Then the third night after this,
While Enoch slumber’d motionless and pale,
And Miriam watch’d and dozed at intervals,
There came so loud a calling of the sea,
That all the houses in the haven rang.
He woke, he rose, he spread his arms abroad
Crying with a loud voice ‘a sail ! a sail !
I am saved’ ; and so fell back and spoke no more.

          やがてそれから3日目の夜、
イノックは身動きもせず、蒼ざめてまどろみ、
ミリアムを介抱しながら、時折、居眠りしていた。
そこへ大きい海鳴りがとどろき渡り、
港のすべての家々は震動した。
彼は眼を覚まし、立ち上がり、両手を大きくひろげ、
「船だ、船だ、わしは救われた」と声高に叫んで、
仰向けに倒れ伏し、再び口をきかなくなった。

  So past the strong heroic soul away.
And when they buried him the little port
Had seldom seen a costlier funeral.

  こうして逞しく雄々しい魂はこの世を去ったのだ。
そして人々が彼を葬ったとき この小さな港は
滅多にこれ以上の盛大な葬式を見たことがなかった。


喫茶店 YouTube Vladimir Horowitz plays Chopin's Etude, op. 25 no. 7

   砂洲を横切りて Crossing the Bar

       by Alfred Tennyson


Sunset and evening star,
  And one clear call for me!
And may there be no moaning of the bar,
  When I put out to sea,

日は落ちて宵の明星は燃え
  われを呼ぶ 冴えわたる声ひとつあり!
この世を去り われ船出するとき
  砂洲にきしめく幽かなる音もあらざれ

But such a tide as moving seems asleep,
  Too full for sound and foam,
When that which drew from out the boundless deep
  Turns again home.

涯てしなき永遠(とわ)の海より来れるもの
  再びふるさとの彼方に還りゆくとき
声もなく 泡もなきほどに充ちあふるる潮の
  動きつつも眠れるがごときものあれ。

Twilight and evening bell,
  And after that the dark!
And may there be no sadness of farewell,
  When I embark;

薄明かりて 夕べの鐘は鳴りわたり
  けれど 闇はあたりを閉ざす!
かくして われこの世をあとに船出するとき
  離別の心を乱す悲しみもあらざれ。

For though from out our bourne of Time and Place
  The flood may bear me far,
I hope to see my Pilot face to face
  When I have crossed the bar.

限られし時と場所とのこの世を離れて
  流れは われを遠く運ぶとも
砂洲を横切り 行きしあとは
  わが魂を導く主に向き合わんことの願い馳せる。



喫茶店 YouTube Glenn Gould plays Brahms Ballade Op 10 No 1 in D minor
喫茶店 YouTube Glenn Gould plays Brahms Ballade Op 10 No 2 in D major
喫茶店 YouTube Glenn Gould plays Brahms Ballade Op 10 No 4 in B major

TV YouTube The Life and Times of Glenn Gould (1 of 5)

夜 YouTube Matthias Goerne - Liederkreis, Op 39 Mondnacht

     V. 月の夜 Mondnacht

     ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ
     von Joseph von Eichendorff


  Es war, als hätt' der Himmel
  die Erde still geküsst,
  dass sie im Blütenschimmer
  von ihm nur träumen müsst!

  それは、まるで大空がそっと、
  大地に口づけでもしているかのようだった
  まるで大地が花たちのほのかな光の中で
  大空のことだけを夢見ずにはいられないほどに!

  Die Luft ging durch die Felder,
  die Ähren wogten sacht,
  es rauschten leis' die Wälder,
  so sternklar war die Nacht.

  そよ風が野に吹き渡り、
  やわらかに穂が揺れ、
  森はかすかなざわめきの音を立てていた
  星の明るい夜だった。

  Und meine Seele spannte
  weit ihre Flügel aus,
  flog durch die stillen Lande,
  als flöge sie nach Haus'.

  そして僕の心は
  その翼を広げ、
  静かな大地へと飛び立っていった
  まるで我が家に帰ってでも行くかのように。


 低声部に、ドイツ語で「結婚」を意味する E (ホ) ─ H (ロ) ─ E (ホ) が現われます。


 それでは、また!
 
posted by 空っぽの皿 at 16:35| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月28日

◆ サティ 《 1世紀ごとの時間と瞬時の時間 》

Erik Satie.jpgTombe de Satie.jpg
Erik Satie (selfportrait).jpg

クラブ 中央の画 : サティの自画像(墨汁)。キャプションには直筆で、
「たいへん古びた時代にたいへん若くして生まれた、と考えながらの自画像」と書かれています。

     いす     いす     いす     いす     いす     いす

いす YouTube Erik Satie - Gymnopédie No.3 Played by:Pascal Rogé

 「ジムノペディ(裸体の子供の意)」とは、古代スパルタで行なわれた舞踏のことで、「男子が裸で」アポロンを称えて踊った踊りを指します。

いす YouTube Janne Mertanen plays Satie

 画家マティスの言葉に ──

 私が夢見ているものは、心を落ち着かせなかったり、気掛かりになったりするもののない、座り心地のよい椅子といったような芸術である。

 という言葉があります。この言葉は、コルトー Alfred Denis Cortot が、サティの音楽を語る際に引用し、広く知られることになりました。


 《 1世紀ごとの時間と瞬時の時間 Heures séculaires et instantanées 》 (1914)

     序 文

 この曲を僕は心からウィリアム・グラン・プルュモ卿に捧げる。
今までのところ、僕を楽しくさせてくれたのはふたりの人で、ルイ11世とウィリアム卿であるが、ルイ11世は風変わりなほどのお人よしで、ウィリアム卿は変わらぬ不動性の人であった。

 僕がここにルイ11世とウィリアム・グラン・プルュモ卿の名前を挙げるのは光栄この上もないことである。

 ──────

 関係者の皆さん

 音楽演奏中にこのテクストを大声で読むことは、どんな人といえども禁じられています。僕の指示を知らなかったとされた方々は、その無礼な犯罪に対して、僕の正当な怒りを蒙ることになります。
 いかなる例外も許されません。


いす YouTube Anne Quéffelec: Eric Satie

 
     1. <悪意のある邪魔もの / 有害な障害物 Obstacles venimeux

 世界のこの広大な1部分にたったひとりが住んでいる
 ひとりの黒人である
 その人はとても退屈で 笑い死にしそうである
 古代の木の影が< 9時17分 >を指している

 ヒキガエルが自分たちの名前を互いに呼び合っている
 じっくり考えるために その黒人は
 自分の右手で小脳をつかみ出して
 その指をひろげてみせる
 遠くから見ると 彼は有名な生物学者みたいである

 4匹の名前のないヘビが彼の心を迷わせる
 悲哀と孤独がいっしょになって
 歪んでいる制服の裾からぶらさがっている
 大きな川の辺で、古いマングローヴが
 汚れていて気色の悪い根を
 ゆっくり洗っている
 これでは恋人同士でいちばん楽しい時ではない
 

     2. <朝の薄明(正午から) Crépuscule matinale (de midi)

 太陽は早く昇った とても上機嫌で
 暑さは普段より上回るだろう
 というのは 時は先史時代で荒れているのだ
 太陽は中天にある
 いい気になっている太陽みたいだ
 けれど あてにはならない
 たぶん 太陽は収穫物を燃やしてしまうか
 もの凄い1発
 つまり日射病を喰らわすだろう
 納屋のうしろで
 雄牛が食べながら病気になる


     3. <花崗岩でできた狂乱 Affolements granitiques

 (粗悪な毒気が牧草のなかで楽しむ)
 古くて見捨てられた村の柱時計が
 やはりもの凄い1発を打とうとしている
 <13時>を告げようと
 埃の雲から時代遅れも激しい
 大雨が降る

 嘲笑している木々が互いに枝をぐっと引っ張り合っている
 それとは別にゴツゴツしている御影石は互いに押し合って
 どこの場所を塞いだらよいかわからない
 <13時>が鳴ろうとしている
 つまり<午後の1時>の代表的な表現法として
 悲しいことに これは法的な時間ではない


     いす     いす     いす     いす     いす     いす

 サティの詩句は、彼の楽譜の間に記入されたものです。
 ですから、5線譜の間にちりばめられた詩でもあり、また、指示でもある言葉です。

 「音楽演奏中にこのテクストを大声で読むことは、どんな人といえども禁じられています。」

 ご注意ください! がく〜(落胆した顔)

 サティの「正当な怒りを蒙ることになります。」 わーい(嬉しい顔)

 <9時17分>、<13時> が出てくる箇所は、音符の数になって楽譜が構成されています。


     新月     やや欠け月     半月     三日月     満月

三日月 YouTube 月と地球〜 「かぐや」 が見た「ふるさと」〜 [HD]

本 月周回衛星「かぐや(SELENE)」 ─ TOP

半月 YouTube 「かぐや」HDTVによるギルクレータ(かぐや落下地点)付近

 「かぐや(SELENE)」 : 2009年6月11日午前3時25分(日本標準時) 月面落下。
 全長 4.3 m、重量 3 t。

満月 YouTube まんが日本昔ばなし 「かぐや姫」

満月 YouTube The Moon Is A Harsh Mistress - Jimmy Webb
満月 YouTube Radka Toneff The Moon Is A Harsh Mistress
満月 YouTube Glen Campbell in Concert-The Moon Is A Harsh Mistress
満月 YouTube JOAN BAEZ "The Moon Is A Harsh Mistress"
満月 YouTube Pat Metheny The Moon Is A Harsh Mistress


 1879年、サティは、パリ音楽院に入学しますが、アカデミックな音楽に反感をもち、読書に没頭します。ことにアンデルセンの童話を愛しました。

喫茶店 YouTube Edvard Grieg - Music for Peer Gynt (1876) - Solveig's Song - "Kanske vil der ga" (Elly Ameling)

喫茶店 YouTube Final Speech On Hans Clodhooper

 サティの音楽には、印象派の影響が色濃くあらわれてはいますが、むしろ思想的には、既存の形式を破壊するダダイスト的な立場を選びました。形にとらわれず自由に作曲しました。楽譜から拍子をなくし、調子記号もなくし、小節線もなくして作曲しさえしました。単調なリズムの連続でありながら、独特の和声の響きを生みだし、聴く者を不可思議な世界に誘い込みます。サティの即興的な曲の進行は、「これはこうなのだ」という、形式を重んじるベートーヴェンの曲の一部にみられるような押し付けがましさはありません。

 サティの反骨精神の内面には、サティの曲からのみ感じとれる<純真さ>があります。ドビュッシーは、美しいものを美しい曲に作曲し、それにふさわしい美しい題名をつけましたが、サティの題名は奇抜で、風変わりで、時には皮肉さえ感じられます。しばしば音楽でパロディーも演じていますし、漫画的でもあり、楽譜にスケッチを書き入れたり、詩をつけたり、その時々の新しい思いつきを試み、挑戦しています。それでも、基本的にはサティの音楽は、<純真であり、美しい>のだと、僕は感じます。


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Erik Satie,Anne Queffィヲlec.jpg


いす YouTube Alessandra Celletti plays Erik Satie

いす YouTube Erik Satie-video by Alessandra Celletti

いす YouTube Khalida sings Erik Satie, Gnossienne #1 - Serry y bouh

いす YouTube Erik Satie - "Caresse"

いす YouTube Picabia et "Entr'acte " de Rene Clair (1924)
いす YouTube Erik Satie: Cinéma (1924) Trascrizione per Pianoforte a 4 mani

いす YouTube Rêverie du Pauvre - Erik Satie


 「人の注意を引かず家具のようにただそこにある音楽」として、

 < 家具の音楽 musique d'ameublement > を唱えたサティ。

 その反骨精神と奇矯さゆえに、サティは、しばしば誤解されてきましたが、実は一切の虚飾を切り棄てた、きわめて密度の高い、客観的で透明な音楽を書きました。そして、ドビュッシーラヴェエルに大きな影響を与えたともに、<6人組>以降の近代フランス音楽の源泉となり、中期のストラヴィンスキーの<新古典主義>の先駆者となりました。また、20世紀フランス音楽を中心とする<旋法意識の復興>も、サティに負うところが多いと思われます。きわめて純粋な音楽精神の持ち主であり、近代・現代音楽の預言者的存在であり、ケージやメシアンなどその影響を受けた作曲家は少なくありません。

 「ペチコートをはくまでお待ちください、そのあとあなた様のもとに参ります」。

 1925年7月1日、聖ヨゼフ病院で死去。アルクイユの教会で葬儀が行なわれました。ジャン・コクトーは涙にむせて、ブランクーシ Constantin Brancusi の目はうるんでいました。
 
 
本 参考文献一覧サイト ─ Gallica


プレゼント YouTube Claude Debussy : "Mes longs cheveux" Pelléas et Mélisande


プレゼント Debussy 《 ハイドンを讃えて Hommage à Joseph Haydn 》
クリスマス YouTube Debussy: Hommage à Joseph Haydn (1909)

プレゼント Ravel 《 ハイドンの名によるメヌエット Menuet sur le nom d'Haydn 》
クリスマス YouTube Menuet sur le nom d'Haydn - Ravel (J.m.w.Clarke)

クリスマス YouTube Ravel - Menuet sur le nom d'Haydn

目 Haydon 200th anniversary

プレゼント YouTube Haydn 2009
プレゼント Haydn 2009
プレゼント Haydn at the House of Music ─ Welcome to Vienna !
プレゼント 2009 Year of Haydn : Video Clip


プレゼント YouTube Haydn trio no. 25 in G major - Cortot/Thibaud/Casals (1/2)
プレゼント YouTube Haydn trio no. 25 in G major - Cortot/Thibaud/Casals (2/2)

 これにて、《 本日休演 Relâche 》 いす  出 発 départ

いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Douze Petits Chorals - No 1
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Douze Petits Chorals - No 2
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Douze Petits Chorals - No 3
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Douze Petits Chorals - No 4
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Douze Petits Chorals - No 5
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Douze Petits Chorals - No 6
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Douze Petits Chorals - No 7
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Douze Petits Chorals - No 8
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Douze Petits Chorals - No 9
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Douze Petits Chorals - No 10
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Douze Petits Chorals - No 11
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Douze Petits Chorals - No 12

いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Nocturne No 1
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Nocturne No 2
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Nocturne No 3
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Nocturne No 4
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Nocturne No 5
いす YouTube Jean-Yves Thibaudet plays Satie Nocturne No 6


 それでは、また!


いす Yours Musicaly 空っぽの皿 ♪♪



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2009年06月26日

◆ あ・り・が・と・う

Donau-Wien-UNOcity[1].jpgCafe-Museum-Vienna-04-07[1].jpg
Cafe_Braeunerhof_Wien_2004[1].jpg

プレゼント YouTube Argerich & Kissin play Happy Birthday (4 Hands)

 ティンクさん、素敵な「想像力の戯れ」、ありがとう!

 淡明さん、素敵な「友あり 近方よりきたる」の詩、ありがとう!


 27歳になったので、ショパンの27番目のマズルカです。わーい(嬉しい顔)

 プレゼント の曲は、東京の友人からの贈りものです。

     あ・り・が・と・う

プレゼント YouTube Rubinstein plays Chopin Mazurkas No. 27

プレゼント YouTube Chopin - Mazurca en mi menor Op 41 Nº 2
本 ウラディーミル・アシュケナージ ─ Wikipedia

 ショパンのマズルカ第27番、《4つのマズルカ Quatre mazurkas Op. 41 》 の第2曲 (Op.41-2) は、1839年夏、マジョルカ島よりの帰途、サンドのノアンの住居で作曲されました。

 ショパンのマズルカのなかで、形式的にも楽想の点でも最もユニークな1曲として知られています。

喫茶店 YouTube Vladimir Sofronitsky plays Chopin Mazurka Op. 41 No. 2
本 ヴラディーミル・ソフロニツキー ─ Wikipedia

喫茶店 YouTube Chopin MAZURKA op. 41 no. 2 played by Martha Argerich


 最終的に、人はそれぞれの孤独な幻想にすがって死を迎えるしかないけれど、また、死に軽重はないけれど、生き残った者にそれをあげつらう楽しみを残しておいてくれたことを、生者は死者に感謝しなくてならない、と思う。記憶は削ることができないけれど、それは情報とは違うから苦痛じゃない。人はひとりで死ぬ。けれど、死のその瞬間まで、人は人と力をあわせることができる、と思う。元気に死にたいものです。


喫茶店 YouTube Schubert Fantasy for Violin and Piano D 934 (1/4)
喫茶店 YouTube Schubert Fantasy for Violin and Piano D 934 (2/4)
喫茶店 YouTube Schubert Fantasy for Violin and Piano D 934 (3/4)
喫茶店 YouTube Schubert Fantasy for Violin and Piano D 934 (4/4)

夜 YouTube Janne Mertanen: Chopin's Nocturne op.27 nr.2


 「一語の深度を辞書は計れない」。 (谷川俊太郎)


 それでは、また!

posted by 空っぽの皿 at 22:37| パリ 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

◆ うたのおくりもの

Aimard & Goerne .jpgBran_26[1].jpg
Brasov black church winter.jpg

るんるん イベント マティアス・ゲルネ & ピエール=ロラン・エマール

◆ Alban Berg
◆ 《 Vier Lieder 》 für eine Singstimme mit Klavier op. 2

■ Christian Friedrich Hebbel
■ Schlafen, Schlafen, nichts als Schlafen!

Schlafen, Schlafen, nichts als Schlafen!
Kein Erwachen, keinen Traum!
Jener Wehen, die mich trafen,
Leisestes Erinnern kaum,
Daß ich, wenn des Lebens Fülle
Niederklingt in meine Ruh,
Nur noch tiefer mich verhülle,
Fester zu die Augen tu!

■ Alfred Mombert
■ Schlafend trägt man mich

Schlafend trägt man mich
in mein Heimatland!
Ferne komm ich her,
über Gipfel, über Schlünde,
über ein dunkles Meer
in mein Heimatland.

■ Alfred Mombert
■ Nun ich der Riesen Stärksten überwand

Nun ich der Riesen Stärksten überwand,
Mich aus dem dunkelsten Land heimfand
an einer weißen Märchenhand.

Hallen schwer die Glocken.
Und ich wanke durch die Straßen
schlafbefangen.

■ Alfred Mombert
■ Warm die Lüfte, es sprießt Gras auf sonnigen Wiesen

Warm die Lüfte,
es sprießt Gras auf sonnigen Wiesen.
Horch!
Horch, es flötet die Nachtigall...
Ich will singen:

Droben hoch im düstern Bergforst,
es schmilzt und sickert kalter Schnee,
ein Mädchen im grauen Kleide
lehnt am feuchten Eichstamm,
krank sind ihre zarten Wangen,
die grauen Augen fiebern
durch Düsterriesenstämme.
»Er kommt noch nicht. Er läßt mich warten«...

Stirb!
Der Eine stirbt, daneben der Andere lebt:
Das macht die Welt so tiefschön.


喫茶店 YouTube Alban Berg Sonata op. 1 played by Alfred Brendel (1)
喫茶店 YouTube Alban Berg Sonata op. 1 played by Alfred Brendel (2)


◆ Robert Alexander Schumann
◆ 《 Frauenliebe und Leben 》 Op. 42
Frauenliebe und Leben ─ The Lied and Art Song Texts Page

喫茶店 YouTube Janet Baker: Frauenliebe (Schumann) - Barenboim

 T. <あの人に会ってから>

  あの人にあってから
  わたしは盲になったのだと思う
  わたしが眼をむけただけでも
  あの人だけが目につく
  目の覚めた夢のなかにいるように
  あの人の姿が わたしの前にちらつき
  深い暗闇から 明るく
  ただ明るく浮かびあがってくる。

  あの人のいないところでは
  わたしの周囲のすべてが光もなく 色も褪せている
  姉妹たちと遊びたいとも
  少しも思わない
  小さな部屋で静かに
  泣いているほうがいい
  あの人に会ってから
  わたしは盲になったのだと思う。


 U. <誰にもまさる君>
 V. <私にはわからない>
 W. <この指につけた指輪よ>
 X. <妹たちよ、手をかして>
 Y. <やさしい君よ、いぶかりの目で>
 Z. <胸に抱いて>

 [. <初めての悩みを>

  いまやあなたは私に初めて
  深い悲しみを与えた
  あなたは眠っている
  冷たいひどい人 死の眠りに
  残された人は 自分のまえを見つめてはいるけれど
  世界は空虚で 空しい
  私は愛し 生きていた
  けれど私はもう生きていない
  私は自分の内面に 静かに
  閉じこもり、ヴェールをおろす
  そのなかに 私はあなたを抱き、失われた幸せを求めましょう
  あなたは 私の全世界なのです


 ── マイケル・ジャクソンの死を悼んで・・・

Michael Jackson Videos ─ Yahoo! Music

いす YouTube Michael Jackson - Heal The World
いす YouTube Michael Jackson - Earth Song

 
◆ Robert Alexander Schumann
Liederkreis Op. 39 ( Schumann ) ─ Wikisource
◆ ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ Joseph von Eichendorff

 T. <異郷にて>
プレゼント YouTube Matthias Goerne - Liederkeis, Op. 39 "In der Fremde "

  紅い稲妻の陰に、故郷の方から
  雲が流れてきている。
  けれど父も母も死んで長く、
  そこで僕を知る人はもう誰もいない。

  すぐに、ああもうすぐに静かな時がやって来る、
  その時には僕は安らぎ、僕の上では
  美しく人気のない森が葉擦れの音を立て、
  そしてここでも、もう僕を知る人はいなくなる。


 U. <間奏曲>
プレゼント YouTube Matthias Goerne - Liederkreis, Op. 39 "Intermezzo"

  あなたの姿を、とっても幸せな気持ちで
  僕は心の底にしまっている。
  そのあなたは、とってもいきいきと楽しげに
  いつも僕を見つめていてくれる。

  僕の心は、静かに自分へ
  ある古いきれいな歌を歌う。
  それは空気の中に舞いあがっていって、
  あなたのもとへと駆けつける。


 V. <森の語らい>
プレゼント YouTube Matthis Goerne - Liederkreis ,OP 39 " Waldgespräch "

  もう暗くなり、冷えてきたというのに、
  なぜひとりで森の中を馬に乗って走っているのですか、
  森は深く、あなたはひとりぼっち、
  美しい花嫁よ! 僕が家へ送ってあげよう!

  「男性は嘘や悪巧みが達者なもの、
  苦しみでわたしの心は張り裂けてしまいました。
  角笛はあちこちにさ迷うものでしょう、
  お行きなさい! あなたはわたしが何者か知らないのです。」

  馬も女もこんなに豪華に飾られ、
  若々しい体はなんて美しいことか、
  そうか、わかったぞ ── 神よ、護り給え!
  あなたは魔女、ローレライだな。

  「わかったようね。── 高い岩山から
  わたしの城はライン川をじっと深く見下ろしている。
  もう暗くなり、冷えてきたが、
  お前はもはやこの森から決して出られない!」


 W. <静けさ>
プレゼント YouTube Matthias Goerne - Liederkreis, Op 39 " Die Stille "

  誰も知らない、誰にもわからない、
  僕がどれだけ、どれだけ幸せか!
  ああ、ただひとりだけ、ただひとりだけに知って欲しい、
  そのほかには 誰にも知られてなるものか。

  雪の降る外もこれほど静かではない、
  天空の星たちも
  これほど口をつぐんで黙りこくってはいない、
  僕の想いほどには。

  僕は願う、僕が小鳥で
  海を越えていけたらと、
  きっと海を越えても更に、
  天高くまで飛んでいくだろう!

  誰も知らない、誰にもわからない、
  僕がどれだけ、どれだけ幸せか!
  ああ、ただひとりだけ、ただひとりだけに知って欲しい、
  そのほかには 誰にも知られてなるものか。


 X. <月の夜>
プレゼント YouTube Matthias Goerne - Liederkreis, Op 39 Mondnacht

  それは、まるで大空がそっと、
  大地に口づけでもしているかのようだった。
  まるで大地が花たちのほのかな光の中で
  大空のことだけを夢見ずにはいられないほどに!

  そよ風が野に吹き渡り、
  やわらかに穂が揺れ、
  森はかすかなざわめきの音を立てていた、
  星の明るい夜だった。

  そして僕の心は
  その翼を広げ、
  静かな大地へと飛び立っていった、
  まるで我が家に帰ってでも行くかのように。


 Y. <美しき異郷>
プレゼント YouTube Matthias Goerne - Liederkreis, Op 39 " Schöne Fremde "

  ざわざわと梢が音を立て、身をふるわせる、
  ちょうどこの時、
  半ば埋もれた城壁のまわりを
  古き神々がめぐっているかのようだ。

  ここ、ミルテの木の下、
  ひっそりとたそがれていく美しい色彩の中で、
  まるで夢の中のようにとりとめもなく、何を、僕に
  ささやいているんだい?夢のような夜よ。

  僕の頭上ではすべての星々が輝いている、
  燃えるような愛の眼差しで。
  その遠さが、まるで酔ったように語るんだ、
  やがて来る、大きな幸せのことを。


 Z. <城の上にて>
プレゼント YouTube Matthias Goerne - Liederkreis, Op 39 " Auf Einer Burg "

  上では年老いた兵士が
  見張り中に眠りについている。
  その上ににわか雨が降ってゆき、
  格子越しには森がざわめいている。

  髭も髪も伸び、
  胸もひだ飾りも石と化し、
  彼は何百年も座っている、
  高い静かな庵の中に。

  外は静かで穏やか、
  みな谷へと下りていった。
  むなしい窓のアーチでは
  森の小鳥たちが寂しく歌っている。

  婚礼の一行がその下を
  陽の光の中、ライン川を行く。
  楽隊は陽気に音楽を奏で、
  そして 美しい花嫁は涙を流す。


 [. <異郷にて>
プレゼント YouTube Matthias Goerne - Liederkreis, Op 39 " In der Fremde "

  小川のせせらぎが聞こえる
  森のいたるところから
  森の中、せせらぎに包まれながらも、
  僕は自分がどこにいるのか わからないでいる。

  ナイチンゲールがさえずっている
  ここで寂しく
  まるで古く美しい時代について
  何かを語りたがっているかのように。

  ほのかな月の光がただよい、
  まるで谷にあるあの城が
  僕の足元にあるように見える、
  けれど城はここからはすごく遠いんだ!

  きっとその苑生は
  白や赤のバラで一杯で、
  僕の恋人も僕のことを待っているだろう。
  けれど彼女はずっと前に死んでしまったんだ。


 \. <憂愁>
プレゼント YouTube Matthias Goerne - Liederkreis, Op 39 " Wehmut "
 ]. <黄昏>
プレゼント YouTube Matthias Goerne Liederkreis,Op 39 " Zwietlich "
 XI. <森にて>

 XII. <春の夜>

  庭の上の空高くを
  渡り鳥が飛んで行くのが聞こえた。
  それは春の訪れを告げていた。
  下ではもう花が咲き始めている。

  僕は叫びたかった、泣きたかった、
  こんなあり得ないことが起るなんて!
  古い奇跡が再び差し込んでくる、
  月の光とともに。

  そして月と星は語っている、
  夢の中では森がざわめいている、
  ナイチンゲールも歌っている、
  あの人はあなたのもの、あの人はあなたのものと!


Schumann  Etudes symphoniques & Carnaval.jpeg
 喫茶店 YouTube Pierre-Laurent Aimard: Bach

 喫茶店 YouTube Mozart Concerto No. 10 for Two Pianos

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◆ Franz Schubert 《 Winterreise 》 D 911
◆ Matthias Goerne :baritone
◆ Alfred Brendel:piano

本 Winterreise ─ Wikisource

プレゼント YouTube Franz Schubert Winterreise D 911 part 1

 1. Gute Nacht (Fremd bin ich eingezogen) D 911,1 d-Moll

    おやすみ

 余所者として、ここへ来た
 去ってゆく今も、やはり余所者だ
 来たときは、五月が優しかった
 とりどりの花束を贈ってくれた
 あの子は僕を愛していると言ったし
 あの子の母さんは、結婚さえ口にした
 でも今、この世は、暗く沈んでいる
 路も、雪にふさがれている

 もう、逃げ出すみたいに
 旅立たなければ
 真っ暗闇のなかを
 路をひとりで探さなければ
 月の光に浮かぶ影法師だけが
 一緒に来てくれる
 一面の雪野原に
 獣道をたどってゆかなければ

 これ以上ここにいられるか
 皆が僕を追い立てているのに
 犬たちだって 飼い主の前で
 猛り狂って吠えている
 次から次へ誰かほかの人へと
 愛はうつろうもの
 神がそうお決めになったのさ
 いとしい人よ、おやすみ

 君の夢を破らないように
 君の眠りを妨げないように
 僕の足音が君に聞こえないように
 そっと、そうっと、扉を閉め
 行きしなに、家の門に
 「おやすみ」と書いてゆくから
 君が起きたとき
 君への僕の想いが見えるように


 2. Die Wetterfahne (Der Wind spielt mit der Wetterfahne) D 911,2 a-Moll

     風 見 鶏

 風に吹かれて風見鶏がくるくる舞う
 かわいいあの子の家の屋根の上で
 僕の気がおかしくなってしまったのか
 まるで口笛吹いて僕を追い立てるようだ

 彼はもっと早く気づくべきだった
 これみよがしなご立派な風見鶏に
 そうすればこの家に
 女性の鑑など求めやしなかった

 風で人の気持ちまでくるくる舞う
 屋根のような騒がしい音がしないだけ
 あの家の人たちが僕の痛みに気づくものか
 なにせお嬢さんはもう、玉の輿


 3. Gefror’ne Thränen (Gefror’ne Tropfen fallen) D 911,3 f-Moll

     凍った涙

 冷たく固まった雫が
 頬をかすめて落ちる
 なんだ、今のは
 僕は泣いていたのか?

 おい、涙、僕の涙は
 もう、生温いのか
 ひんやりした朝露のように
 凍えて氷になってしまうなんて

 胸から噴き出たときは
 真っ赤に熱くなっていたのに
 この冬じゅうの氷を
 溶かしつくしそうなほどに


プレゼント YouTube Franz Schubert Winterreise D 911 part 2

 4. Erstarrung (Ich such’ im Schnee vergebens) D 911,4 c-Moll

     凍てつく野

 雪のなかに空しく
 彼女の足跡を探す
 彼女が僕の腕にすがり
 緑の野を歩き回った跡を

 この雪野原に口づけし
 氷も雪も熱い涙で
 融かし去ってしまいたい
 黒い土が見えるまで

 どこに花はあるのだろう
 どこに緑の草はあるのだろう?
 花々は死に絶え
 草も枯れ果てた

 思い出のひとつも
 ここからは取り出せないのか?
 僕の苦しみが沈黙してしまえば
 誰も彼女のことを語ってはくれないのか?

 僕の心は死んだように冷たい
 そこに彼女の面影が凍りついたまま
 いつかこの心が溶け出したら
 彼女の面影も流れ去ってしまうだろう

 
 5. Der Lindenbaum (Am Brunnen vor dem Thore) D 911,5 E-Dur

     菩 提 樹

 泉のほとり、街の門の前
 一本の菩提樹が立っている
 その木陰にたたずみ
 いつも甘い夢にひたった

 木の皮にいくつも
 愛の言葉を刻んだ
 嬉しくても悲しくても
 木の下に来ていた

 旅立たねばならない今日も
 木の下を通る
 真っ暗な真夜中なのに
 目をつむった

 すると枝がざわざわした
 僕に呼びかけるように
 「おいで、ここへ、君、
 ここなら安らげるのに」

 冷たい風が真っ向から
 僕の顔面に吹きつけ
 帽子を吹き飛ばしたが
 僕は振り向きもしなかった

 もう何時間も
 あそこから歩いて来たのに
 囁きが耳に残っている
 「君はあそこでこそ、安らげるのに!」 と


プレゼント YouTube Franz Schubert Winterreise D 911 part 3

 6. Wasserfluth (Manche Thrän’ aus meinen Augen) D 911,6 e-Moll

     溢れ流れる水

 涙がいく粒も僕の目から
 雪に零れ落ち
 冷たい雪のかけらが餓(かつ)えたように
 この熱い悲しみを吸い込む!

 緑が芽を出してくれれば
 ほのかに温かい風も吹いて
 氷はばらばらにひび割れ
 ゆるんだ雪も解けて消えてしまう

 雪よ、お前は僕の想いを知っているだろう
 言ってくれ、お前はどこへ流れてゆくの?
 僕の涙についてゆけばいい
 すぐに小川と一緒になれるから

 小川とともに町を通り抜け
 にぎやかな通りを行ったり来たりして ──
 熱くたぎる僕の涙を感じたら
 そこに僕の恋人の家があるんだ

 
 7. Auf dem Flusse (Der du so lustig rauschtest) D 911,7 e-Moll

     川の上で

 あれほど楽しげな音をたて
 いきいきと煌めいていた流れなのに
 なんと静まり返ってしまったことか
 別れの挨拶すら無く

 凍てついた皮に
 お前は覆われ
 冷たく身じろぎもせず
 砂岸の間に横たわる

 その氷の覆いに
 尖った石で
 恋人の名前と
 日付、時を刻み込もう

 初めて声を交わした日と
 僕が立ち去ったあの日を
 名前と日付のまわりは
 きれぎれの輪で囲もう

 僕の心よ、この川に
 お前は自分の面影を見ていないか? ──
 あの氷の下の流れも
 水かさが増して荒れていないか?


 8. Rückblick (Es brennt mir unter beiden Sohlen) D 911,8 g-Moll

     振り返り

 焼け付くように足の裏が熱い
 氷と雪の上を歩いているのに
 町の塔が見えなくなるまで
 少しも休みたくはない

 石に蹴躓きながらも
 早く町を離れたかった
 屋根からカラスたちが雪や霰の球を
 帽子めがけてぶつけてくる

 初めに迎えてくれた時はまるで違ったのに
 なんと移り気な町なんだ
 町の家々のきれいな窓に
 雲雀とナイチンゲールが鳴き競っていた

 菩提樹がこんもりと花開かせ
 清らかなせせらぎが流れ
 そして、ああ、少女の瞳がきらきらしていた
 それなのに駄目になってしまったね

 あの日のことを思い浮かべると
 もう一度振り返りたくなる
 おずおずと戻って行って
 あの娘の家の前にそっと立ってみたい


プレゼント YouTube Franz Schubert Winterreise D 911 part 4

 9. Irrlicht (In die tiefsten Felsengründe) D 911,9 h-Moll

     鬼 火

 岩山の深い裂け目へと
 鬼火が僕を誘う
 どうやって出口を探すか
 そんなことはどうでもいい

 彷徨うことに慣れてしまったし
 どんな道でも目的地に行き着くさ
 われわれの喜びも、われわれの苦しみも
 すべては鬼火の戯れだ

 涸れた谷川の跡をたどって
 うねうねとゆっくり回って降りよう
 どんな川も海に達するように
 どんな苦しみもその墓にたどり着く


10. Rast (Nun merk’ ich erst, wie müd’ ich bin) D 911,10 c-Moll

     休 み

 今、体を横たえて
 初めて、疲れていることに気づいた
 険しい道でも
 歩きさえしていれば元気だったから

 僕の脚は休もうとしなかったし
 立ち止まると寒くてかなわなかった
 背中の荷物も重くなったし
 追い風が僕を前に飛ばしてくれた

 狭苦しい炭焼き小屋に
 寝場所を見つけだした
 けれど、手足が休まることはなく
 傷がずきずきする

 ああ、僕の心よ、戦いと嵐のなかでは
 あれほど奮い立っていたのに
 静かになったら 塞ぎの虫が
 熱くうずくのを感じるのだ


プレゼント YouTube Franz Schubert Winterreise D 911 part 5

11. Frühlingstraum (Ich träumte von bunten Blumen) D 911,11 A-Dur

     春 の 夢

 色とりどりの花の夢を見た
 五月に咲き誇っているような
 緑なす野の夢を見た
 鳥たちが賑やかにさえずるような

 だが雄鶏が時がつくり
 目が覚めてしまった
 あたりは冷たく、薄暗く
 屋根から鴉の叫び声がした

 それにしても、あの窓ガラスに
 誰が木の葉を描いたのだろう?
 きっと夢見た者を嘲笑っているのだろう
 冬のさなかに花を見た者を?

 愛ひとすじの夢を見た
 可愛い娘の
 抱擁と口づけの
 歓喜と至福の

 だが雄鶏が時をつくり
 心が覚めてしまった
 今、ここに独りで座り
 夢の跡を追う

 もう一度目を閉じる
 まだ胸が温かく高鳴っている
 いつ窓の木の葉は緑に染まるのか
 いつ僕はあの子を腕に抱きしめるのか?

 
プレゼント YouTube Franz Schubert Winterreise D 911 part 6

12. Einsamkeit (Wie eine trübe Wolke) D 911,12 h-Moll

     孤 独

 澱んだ風が
 樅の梢を揺らすとき
 一片の暗い雲が
 澄みわたった空を漂うように

 ぐったりした脚を引きずって
 自分の道をたどる
 明るく楽しげな人々のなかを
 独りっきりで、声を交わすこともなく

 ああ! なんと安らかな大気
 ああ! なんと明るい世界!
 吹きすさぶ嵐のなかでも
 こんなには惨めでなかったのに


13. Die Post (Von der Straße her ein Posthorn klingt) D 911,13 Es-Dur

     郵 便 馬 車

 通り道から郵便馬車のラッパが響いてくる
 なぜだ、こんなにワクワクするのは
 僕の心よ?

 手紙なんておまえに来るはずはないのに
 なぜだ、こんなに胸苦しくなって
 僕の心よ?

 そうか、馬車はあの町から来たんだ
 僕に恋人がいた町から
 僕の心よ?

 一度あっちに行って
 どうなっているか訊きたいのだろ
 僕の心よ?


14. Der greise Kopf (Der Reif hat einen weißen Schein) D 911,14 c-Moll

     白 髪

 霜が真っ白に
 僕の髪を染めてしまった
 老人になったのかと思い
 嬉しくなった

 でもすぐに霜が融けて
 また黒い髪が出てきた
 自分の若さにぞっとする ──
 これでは柩に入るのはずっと先だ!

 夕焼けから夜明けまでに
 白髪になってしまう人もいるなんて
 信じられない? 実際僕はならないじゃないか
 こんな長旅をしているのに!


プレゼント YouTube Franz Schubert Winterreise D 911 part 7

15. Die Krähe (Eine Krähe war mit mir) D 911,15 c-Moll

     カ ラ ス

 一羽のカラスが僕と一緒に
 町からついて来て
 今日までずっと
 頭上を回っている

 カラスよ、風変わりな奴め
 僕を見捨てないのか?
 そのうちここで僕を餌食にして
 この体をついばもうというわけか?

 いいよ、杖にすがる僕の旅も
 もうそんなに長くはないから
 カラスよ、最後まで見せてくれ
 墓までついてくる忠実ぶりを


16. Letzte Hoffnung (Hie und da ist an den Bäumen) D 911,16 Es-Dur

     最 後 の 希 み

 ちらほらと木々に
 色づいている葉も見える
 そんな木の下に立ち止まり
 よく物思いに耽る

 一枚の葉を見つめ
 希みを託す
 風が僕の葉を弄ぶから
 体の震えがとまらない

 ああ、その葉が地に堕ちた
 希みも消えた
 僕は崩れおれ
 希みの墓に泣き伏す


17. Im Dorfe (Es bellen die Hunde, es rasseln die Ketten) D 911,17 D-Dur

     村 で

 吠える犬、きしむ鎖の音
 村人らは眠りこけ
 欲深い夢を見て
 良くも悪くも元気を取り戻す

 朝になればすべて夢は消えている
 まあいい、とりあえず楽しんだのだから
 それでも果てしない夢を
 また枕の上で続けようとする

 僕に吠え続けろ、目覚めている犬よ
 皆がまどろんでいても、
  僕を眠らせるな!
 僕はもう夢を見尽くした
 眠りこける連中の所でなにをぐずぐずしているのか?


18. Der stürmische Morgen (Wie hat der Sturm zerrissen) D 911,18 d-Moll

     嵐 の 朝

 この嵐はなんていう破り方をするんだ
 空の灰色の服を
 ちぎれた雲があちこち
 ぶつかりながらふらついている

 真っ赤な炎が
 雲間を切り裂く
 これこそまさに朝
 僕の気持ちにぴったりだ

 僕の心は空に描かれた
 自分の姿を見つめている
 その姿こそまさに冬
 冷たく荒れ果てた冬だ


プレゼント YouTube Franz Schubert Winterreise D 911 part 8

19. Täuschung (Ein Licht tanzt freundlich vor mir her) D 911,19 A-Dur

     惑 わ し ( Täuschung : 欺瞞、詐欺、錯覚、思い違い )

 ひとすじの光が楽しそうに踊りながら僕の前に
 あっちへこっちへ僕はそのあとを追い回した
 自分から行ったけど、気づいてたんだ
 旅人を誘い込む光だと
 ああ、僕みたいに惨めなやつは
 色とりどりのまやかしに引っかかってみたくなる
 氷と夜と恐怖の背後に
 明るく暖かな家と
 そのなかの愛らしい人を見せてくれるから ──
 惑わしだけが今の僕にはありがたいんだ


20. Der Wegweiser (Was vermeid’ ich denn die Wege) D 911,20 g-Moll

     道 し る べ

 なぜ僕は避けているのだろう
 ほかの旅人たちが行く道を
 どうして人目につかない雪に埋もれた
 岩山の小道を探しているのだろう?

 なにも悪いことをしていないのに
 人目を避けなくてもいいのに
 なぜ愚かにも
 荒野に向ってしまうのだろう?

 道しるべが街道に立っていて
 方々の町に通じる道を指している
 だが僕はあてどなく歩く
 休みもせずに、でも安らぎを求めて

 一本の道しるべが目の前に
 揺らぎもせず立っている
 この道を進まねばならない
 誰も帰ってきたことのないこの道を


プレゼント YouTube Franz Schubert Winterreise D 911 part 9

21. Das Wirtshaus (Auf einen Todtenacker) D 911,21 F-Dur

     宿 屋

 ある墓地に
 僕の道はつながっていた
 ここにこそ泊まろうと
 僕は思いついた

 緑の弔いの花輪は
 疲れた旅人を
 ひんやりした宿屋に
 招いてくれるしるしに違いない

 なんとこの宿屋の部屋は
 すべて塞がっているというのか?
 もう崩れ落ちてしまいそうに
 疲れきって深く傷ついているのに

 なんと冷酷無比な宿屋なんだ
 そうか、僕を拒むのか
 それなら行こう、先へ進もう
 なあ、僕の忠実な杖よ


22. Muth! (Fliegt der Schnee mir in’s Gesicht) D 911,22 g-Moll

     勇 気

 雪が顔に降りつけてきたら
 払い落としてやろう
 僕の心がぶつくさ不平を言ったら
 明るく元気に歌い飛ばしてやろう

 心がなに言ったって聞くもんか
 聞く耳なんてない
 心がいくら嘆いたって知るもんか
 嘆くなんてくだらない

 陽気に世の中に入ってゆこう
 風雨にさからって
 この地上に神がいないなら
 われわれ自身が神になろう!


プレゼント YouTube Franz Schubert Winterreise D 911 part 10

23. Die Nebensonnen (Drei Sonnen sah ich am Himmel steh’n) D 911,23 A-Dur

     幻 の 太 陽

 三つの太陽が空に見えた
 長いあいだそれをじっと見つめた
 太陽もうつろに立ち止まっていた
 僕から離れたくないように
 ああ、お前たちは僕の太陽ではない
 ほかの人の顔を照らしてくれ!
 確かに僕にも三つの太陽があった
 今は最良の二つは沈んでしまった
 三つめも続いて沈んでくれたら
 闇のなかで安らげるのに


24. Der Leiermann (Drüben hinterm Dorfe) D 911,24 a-Moll

     辻 音 楽 師

 村のはずれに
 辻音楽師が立っている
 かじかんだ指で
 一心にライアーを回し鳴らしている

 裸足で氷の上を
 よろよろしながら
 ちっぽけな皿のなかは
 空っぽのままだ

 誰も聴こうともしない
 誰も見ようともしない
 犬だけが老人を囲い込んで
 唸り声をあげている

 老人はすべてに
 どこ吹く風
 ただただライアーの取っ手を回し
 鳴り止むことがない

 風変わりな老人よ
 お前と一緒に行こうか?
 僕の歌に合わせて
 お前のライアーを回してくれるかい?






Yours Musicaly 空っぽの皿 ♪♪


posted by 空っぽの皿 at 21:29| パリ 曇り| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月24日

◆ 想像力の戯れ (ルースス・インゲニイ) Lusus ingenii

Bachs.png
 謎かけや謎解き遊びを公正に行なうために、ルール(規則やものさし)があります。ルールを教えてあげても、そのルールの細部にこだわって、大局が見えなくなってしまうのは、さしずめ、とても些細なことだと思います。なぜ、そのルールなの? なんて言い出したら、とてもその知的なゲーム、巧妙な遊びはできないと思うんだけど・・・

 キリスト教の数象徴法は、2 世紀末にアレクサンドリアの神学において最初の頂点に達します。エジプトは何千年もの伝統が生き続ける土地でしたから、この思想の成長を促進するのにとりわけ適していました。太古からの土着の伝承が、この地で近東の思想世界と合流しました。そして、ギリシア哲学の遺産、つまり新ピュタゴラス派と新プラトンもこの地に集まり、古代ギリシアの数理思想をますます大規模に育成してゆきます。

 その後、アウグスティヌス( 354〜430 )が出現します。それまでに発展したこの種の思想のあらゆる流れが、ちょうど焦点に集まるように、彼のうちで一体化されます。彼は意識して、聖書と教会の神学に結びついただけでなく、ピュタゴラスをも拠りどころにし、神聖教の意味とその用法や解釈法について、根本的なことを書き記しました。たとえば、神聖数は加法によっても乗法によっても互いに結合しうること、象徴数の10 倍化( 7, 70, 700 )も累乗化( 7, 49。 12, 144 )もその意味内容の増大強化することです。また、乗法と加法の両者を組み合わせることもできます( 77=70+7 )。7 という数字は 3 と 4 から成り立つというように、神聖数はときとしてその構成部分からも理解される、というものでした。

 後世の数象徴法のなかで、アウグスティヌスに基づいて証明できないような解釈は、ほとんど 1つも見い出せないと言われています。アルファベット数のルールも彼が書いたものです。

   《アルファベット字画数一覧表》

   A - 1 ─ 1
   B - 2 ─ 2
   ・・・
   H - 8 ─ 8 
    I - 9 ─ 9 (3×3) 3: 三位一体
   J - 10 ─ 9 (3×3) 3: 三位一体
   K - 11 ─ 10
   L - 12 ─ 11
   ・・・
   T - 20 ─ 19
   U - 21 ─ 20 (10×2) 10: 十戒
   V - 22 ─ 20 (10×2) 10: 十戒
   W - 23 ─ 21
   X - 24 ─ 22
   Y - 25 ─ 23
   Z - 26 ─ 24

 それでは問題です。

 なぜエッフル塔の 1 階展望台にある科学者らの名前は 72 人なのでしょう?

喫茶店 YouTube Glenn Gould plays Grieg piano sonata in e minor Op 7 I. Allegro moderato
喫茶店 YouTube Glenn Gould plays Grieg piano sonata in e minor Op 7 II. Andante molto
喫茶店 YouTube Glenn Gould plays Grieg piano sonata in e minor Op 7 III. Alla menuetto, ma poco più lento

 72 は、6×12 です。6 は、神学では「神の創造の日数」、音楽では「最も協和する音程」、数学では「最初の完全数」です。そして、12 は、3×4 です。3 は「天 caeli 」、4 は「地 terrae 」、つまり「天と地 caeli et terrae 」の象徴数です。創造 factorem を表すこの言葉に相当する「創造者」は、ギリシアのニケア信教では poiten 。この言葉は「詩人 poieten 」という意味ですが、芸術家 artist に近い言葉です。

 よって、こじつければ、72 という数字は、「天に向って地にそびえ立つエッフェル塔は、これら科学者の創造があったからこそ、この地に今ある」という意味を象徴する数字であるといえます (^_^;) 。

 また、宗教的な数象徴を知らない場合は、どう戯れるか ──

 エッフェル EIFFEL の合計数は、42 。エッフェル塔には、3 つの展望台があります。とても高いところにあるので、3 を 10 倍します。そうすると、あら不思議、72 = 42 + 30 ( 3×10 )になります。72 は、エッフェル塔の象徴数になります。よって、72 人の科学者たちは・・・ ここから先は、みなさんで「戯れ」てください。

 どんなことでも疑問に思ったり、立ち止まって考えることは、とても大切な姿勢だけれども、ときには規律のなかでの自由を楽しむ、立ち止まらないで前へ進む、という姿勢も大切なことだと思います。

 ルールさえ覚えて、それに従うと、ほんとうに楽しく遊べるゲームです。

喫茶店 YouTube Johannes Brahms - Rhapsody in B minor Op.79 No.1 (Glenn Gould)

 バッハの時代、この「想像力の戯れ」が盛んにおこなわれました。
 むろんバッハもこの謎かけや謎解きをするのが大好きでした。

 ギリシア語を学んだバッハは、「創造者 poiten 」という言葉を知っていました。<音楽創造者>バッハにとって、<あらゆるものの創造者>としての神を意味するこの言葉は、特別な意味をもっていました。

 次の問題です。

プレゼント YouTube Mass in B minor BWV 232 (Thomaskirche 2005, Blomstedt) - 8/15

 《ロ短調ミサ曲》の<クレード Credo >において重要な数 43、ならびに 84 という数字の意味するものは何でしょう?

 14 は、バッハ B+A+C+H 。41 は、J+S+B+A+C+H であり、14 の逆の数字でもあることは、以前の記事のなかで書きましたね。

 (ヒント) クレードは、C+R+E+D+O = 43 で、「私は信じます」、「われは信ず」という意味です。

   Credo in unum Deum,
   Patrem omnipotentem,
   Factorem caeli et terrae,
   visibilium omnium et invisibilium.  (ラテン語出典サイト

   私は信じます、唯一の神を
   全能の父を、
   天と地の創り主を、
   すべての見えるものと、見えないものの創り主を。


 ・・・・・・・ ・・・・・・

 はい、そのとおりです! わーい(嬉しい顔)

 推定される数字 84 は、──

◎ 6  ×  14     = 84

 6 は、神学:神の創造の日数、音楽:最も協和する音程、数学:最初の完全数。
 14 は、バッハ。

◎ 7  ×  12     = 84

 7 は、3 天 + 4 地 。 12 は、3 天 × 4 地 。

◎ 41  +  43     = 84

 41 は、J.S バッハ。 43 は、クレード。


 《 ロ短調ミサ曲 》 BWV 232 のなかの合唱曲<唯一なる神を信ず Credo in unum >では、「クレード」という言葉が 43 回現われます。さらに、この合唱は、それに続く楽章<全能の父を Patrem omnipotentem >と一緒になって、129 小節からなっています。これは、43 の 3 倍にあたる数字で、「クレード」という言葉を 3 回繰り返すという典礼の規定に一致しています。このことは、三位一体の信仰告白なくしては、真の信仰はありえないことを意味しています。

 84 は、どうしたんだ! 84 という数字は、「天と地 caeli et terrae の創造 factorem 」を表す神秘的な意味をもちます。バッハは、《ロ短調ミサ曲》の自筆総譜、合唱フーガ<全能の父を Patrem omnipotentem >の最後に、この曲の小節数を 84 ( = 7 × 12 )と書いています。

 また、キリスト CHRISTUS は数象徴 112 によって表現されます。
 《ロ短調ミサ曲》の<クレード>の原形は、784 ( = 7 × 112 ) 小節を数えました。つまりそこでは、「キリスト」という聖なる名への信仰が 7 回告白されたことになります。


 冒頭の特徴あるマーク(記章)は、バッハの印章です。この花押の上の王冠には珠玉の突起が、9 個あります(両端の眉毛みたいなもの:環帯のうしろにあるので部分的にしか見えない 2 個を含みます)。環帯には、5 つの宝石が飾られています。合計 14 個の宝玉は、BACH の名を表しています。中央の珠玉の縁飾りは、三位一体を表す三つ葉形、つまりキリストを象徴しています。目に見える環帯の上の 7 個の珠玉は、贖罪を示します。5 つの宝石は、キリストの 5 つの傷を象徴しています。目に見える合計 12 個の宝玉は、教会を象徴しています。

 そして、J・S・B (29) という花押は、バッハの名前以上のものを表しています。S・D・G [ Soil Deo Groria ] (29) と読み変えることもできるからです。「神に栄光あれ」。


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 それでは、また! 



  
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2009年06月17日

◆ うたのおくりもの : チプリアン・ポルムベスク

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家 チプリアン・ポルムベスク音楽記念館


 友人のブログに、ぼくの知らない人の名前を見つけました。ぼくは、まずは自分で調べてみます。人から得た情報なり知識は、その場ではわかったような気がしますが、やがて忘れてしまうからです。また、ひとつの情報だけでは、その情報が正しいのかどうかはわかりません。だから、できるだけたくさんのことを、いろいろな角度・視線から調べてみます。そうすると、楽しいですし、新たな発見があることもあります。

天満 敦子 ─ Wikipedia
1992年に文化使節としてルーマニアを訪問、この縁がもとで翌1993年にルーマニア出身の薄幸の作曲家チプリアン・ポルムベスク (en:Ciprian Porumbescu)の遺作「望郷のバラード」の楽譜を托されることとなった。哀愁を帯びた美しい旋律に魅せられて日本初演するとそれが評判となり、CDはクラシックとしては異例の大ヒットとなった。「望郷のバラード」はまさに彼女の代名詞のような存在になっている。
 チプリアン・ポルムベスクの《 バラーダ Balada 》 Op.29 (1880) は、遺作ではありません。

 ── それでは、きょうの記事です。

 東欧唯一のラテン民族の国ルーマニア、ルーマニア語は文法的にはイタリア語よりさらに古典のラテン語です。スラブ系の言語とはまったく異なります。ポルムベスクにも見られるルーマニア人の持つ、独特なラテン気質というものを、先ず忘れないでおいてください。

 チプリアン・ポルムベスク、正式にはチプリアン・ゴレムビオヴスキ・ポルムベスク Coprian Golembiowski Porumbescu は、1853年10月14日、現在のルーマニアの北部ブコヴィナ Bucovina 地方、スチャヴァ県 Judeţul Suceava シポテレ・スチェヴェイ Sipotele Sucevei という、村が幾つか集合したコミューンで生まれました。9人兄弟の2番目として生まれましたが、兄弟のうち6人は子供のころに亡くなり、チプリアンと弟のシュテファン (Stefan 1856〜1896) と、妹のマリオラ (Marioara 1860〜1932) の3人だけが残りました。

 チプリアンは、3、4歳になると、一度聴いた歌はすぐ覚えて歌うことができました。あるとき、ラウタール(吟遊詩人)と呼ばれる民俗音楽専門のヴァイオリン奏者が、彼の家にやって来て演奏しました。それを聴いたチプリアンは、さっそく父イラクリエにヴァイオリンを買ってほしいと頼みます。決して裕福とはいえない家庭でしたが、イラクリエは工面して、ヴァイオリンをチプリアンに買い与えました。チプリアンには大好きな民謡が1曲ありました。それは、《 羊飼いの歌 Măi ciobane de la stână 》という曲で、後にオペレッタ《 クライ・ノウ Crai Nou 》 『新月』 (1882)のアリアに用いられることになります。

 父イラクリエは、チプリアンに音楽の才能があることに気づき、よい音楽教師がいないか、とずいぶん探し、ショパンの弟子でもあり友人でもあったカロル・ミクリ Carol Miculi (1880年、ライプツィヒのキストナー Kistner 社から出版された『ショパン作品集』の編集者として有名)に頼みます。ミクリは快く、この友人の息子のピアノの勉強を引き受けます。1859年から1863年の間でした。ミクリがショパンから受け継いだ大きな影響は、当然チプリアンにも引き継がれました。またその頃、ミクリは民俗音楽の研究家としても名が通っていましたから、その影響も少なからずチプリアンは受けていました。ミクリは、後のチプリアンの作曲活動の基本ともなる要素を与えた、とも言えます。

喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu, Zana Dunarii
 《ドナウ川の妖精 Zâna Dunării 》 Op.4 (1880)

喫茶店 YouTube 望郷のバラード(オーケストラ) 天満敦子

 この投稿者のコメント、間違っています。── ふらふら

 1873年、チプリアン20歳の時、チェルノウツィにあるギリシア正教神学学校(大学に相当します)に入学します。そして、哲学を専攻しますが、この神学校は、音楽の授業が重要視されていて、それが唯一の救いとなりました。

 1875年、ハプスブルク帝国フランツ・ヨーゼフ皇帝は、統治下100年を記念して、チェルノウツィに大学を設立することを決定します。これにより、近隣諸国のルーマニア、ドイツ、ポーランド、チェコから学生が、法学、哲学、神学などを学びに来るようになりました。

 愛国心に燃えるルーマニアの学生らは、「アルボロアーサ Arboroasa 」と名づけられたソサエティを創立します。アルボロアーサという名は、かつてのブコヴィナの地名で「森の国」を意味します。そして、一気に学生たちの政治的運動が活発化してゆきます。このような状況のなかで、チプリアン22歳の時、「アルボロアーサ」の会長に就任します。

 1877年、「アルボロアーサ」は、ハプスブルク政府に対する反対勢力と見なされ、チプリアンを含むメンバーは逮捕されて、およそ11週間投獄されます。その期間、チプリアンの結核が再発し、刑務所の病院に入院した記録も残されています。この当時のチプリアンの主な作品としては、ピアノ伴奏による声楽曲 《 囚われ身のため息 Suspinul Prizonierului 》 (1877) があげられます。

 1878年7月21日、真夏の暑い日。── ポルムベスクが生涯想いを馳せた永遠の恋人、ベルタとの出逢いがありました。

 ベルタ・ゴルゴン Bertha Gorgon 。当時16歳のベルタの父は、ポルムベスクの父(ルーマニア正教)と同じ神父でしたが、宗派が異なるエヴァンゲリスト教会(<福音主義>のプロテスタントに属する宗派)でした。

 1879年、ポルムベスクは、ハイネの詩「君は花のごとく」に自分の想いを託して、
 自分の作品《君は花のごとく Du bist wie eine Blume 》を贈ります。

Heinrich Heine, Buch der Lieder (1827)

     XLVII.

  Du bist wie eine Blume,
So hold und schön und rein;
Ich schau’ dich an, und Wehmuth
Schleicht mir in’s Herz hinein.

  Mir ist, als ob ich die Hände
Auf’s Haupt dir legen sollt’,
Betend, daß Gott dich erhalte
So rein und schön und hold.

 いろいろあったようで、ポルムベスクは恋の病に陥って、持病の結核までが悪化する始末。父イラクリエは息子の異常事態にすぐ気がつくとともに、最初から息子の片思いであることが読めていました。また、ベルタとの結婚にはベルタの父がもっとも反対するであろう、ということにも感づいていました。そして、息子のヴィーン行きを強く希望します。

 ヴィーン行きを承知したポルムベスクは、ベルタに別れを告げます。素知らぬ顔で別れ際に、「さようなら」と言っただけでした。彼の日記(1879年10月5日)には、次のようにあります ──

   泣きたいくらいだった。でも泣いてはいけない・・・と思った。
   僕の心の弱みを見せるわけにはいかないから。
   さようなら、僕の愛するベルタ・・・

 そして後に、この贈りものの曲は、《君は花のごとく(枯れた薔薇) Du bist wie eine Blume ( Roza Vestejită ) 》 と名づけられました。

     喫茶店 coffee break 喫茶店

喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu, Batraneasca
 ピアノ曲 《老人のためのダンス Bătrânească 》
喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu, Hora Detrunchiatilor
 ピアノ曲 《生きるすべを失った人の踊り Hora Detrunchiatilor 》

   パウル・バドゥラ=スコダ Paul Badura-Skoda
   イタリア、アッシジ 「ピアノ・マスタークラス」 にて

 バッハやモーツァルトだからメトロノームのように正確に弾くのではない。もちろん、ショパンだからカンタービレを勝手にテンポ・ルバートにして弾くのでもない。リズムは正確に、テンポはできるだけ正しく。それは左手の役目。できるまで、そして体の中にすべてがしみつくまで、メトロノームを使って練習しなさい。それからイタリアのオペラをよく聴きなさい。偉大な歌手たちの声の美しさをまず聴き比べなさい。人間の声は色彩でいうなら100色入りのパレットのようだから。そしてその色とりどりの雫が、左手という橋桁の上に形成された右手のメロディの流れのなかにしみ込んでゆくように、イメージして弾きなさい。── それがショパンが用いたベルカント唱法です。ショパンはイタリアオペラをよく聴きました。ベルカント唱法からピアノ様式を完成させたかったのです。声楽のポルタメントやヴァイオリンのグリッサンドで音階を上下する技術をピアノでも可能にしよう、と考えたのがショパンでした。そして最後に、あなたの生来の音楽的な才能が大事です。


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 1879年10月、ポルムベルクは、ヴィーン大学哲学科の3年生に編入し、哲学を学びながら、同時にヴィーン音楽院にも、特別聴講生として籍をおきます。ここで彼は音楽理論、和声、ソルフェージュ、作曲、合唱の授業を受けます。

 和声は、アントン・ブルックナーと、オルガニストのフランツ・クレンに習い、その他、ピアノをランデスクロン Landeskron に、合唱と合唱練習をファイシュテンベルガー Faistenberger に師事しました。

 ヴィーンでは学業以外に、「若いルーマニアの会」に参加し、そこでも音楽活動を積極的に行い、さらに毎晩のように、ヴィーンで演奏会やオペラ、オペレッタなどに通い、さまざまな音楽を聴いたり見たりしました。

 ヴィーンでの生活は、経済的にはいつも大変だったようですが、「ワイン数本と自分の外套とを交換して、友人たちと楽しく飲んだ」、という記録も残っています。それでもポルムベスクは、ヴィーンでの生活を「心地よく気持ち良い Gemütlichkeit 」と記述しています。

 1880年、「若いルーマニアの会」から、この時期の集大成ともいえる曲集『ルーマニアの学生のための合唱曲集』を出版します。

喫茶店 YouTube Trei culori- Imnul de Stat al Republicii Socialiste Romania

本 『ルーマニアの学生のための合唱曲集』 (1880年) より
本 Colectiunei de cântece sociale pentru studentii români (1880)

     《 3色旗の歌 Cântecul Tricolorului 》

   僕は この世の中で3つの色しか知らない
   それぞれの色は古くから存在していて
   そして よく知られている色
   それは 勇敢な民族を思い出す色

   赤は 自由と国への愛 僕の心の炎の色
   金色は 尊厳のある太陽の色 僕らの未来の色
   永遠に咲く花のように 永久に輝く色
   青は 国への変わらぬ信頼と忠義の色

   この空のあるかぎり
   この世界のあるかぎり
   この3つの色は存在するだろう
   僕らには 素晴らしい名前と将来があるから


 このポルムベスクの歌詞による《3色旗の歌》は、社会主義時代には勝手に、政府の都合のいいように別の歌詞がつけられ、そのためたくさんの歌詞が存在しますが、1989年まで、ルーマニア国歌として存在していました。

 出版された『ルーマニアの学生のための合唱曲集』は、全部で20曲あります。《われわれの旗に統一を Pe-al Nostru Steag 》などの愛国心を歌った曲以外には、民族的な歌や、学生が集まったときに歌う曲、その他に、ジプシーの歌が2曲収められています。

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喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu - Ballade for Violin and Orchestra

 1880年7月19日、ポルムベスクはヴィーンの音楽院の1年生を終え、故郷ストゥプカ Stupca に帰ってきます。久しぶりに会ったベルタの態度は、ポルムベスクの心を傷つけます。けれど、皮肉なもので、作曲への情熱は彼の魂を揺さぶり、沸々と新たな旋律が湧き出ててきました。

 同年9月22日、ポルムベスクは、《ベルタのノクターン》を作曲します。別名、《テンピ・パッサーティ Tempi Passati 》 すなわち、《過ぎ去った過去》。ポルムベスク没後の1892年に出版されました。

 またこの期間、自作の詩による歌曲《諦め Resignation 》、ピアノ曲《ブラックユーモア Galgenhumor 》を創作します。《ブラックユーモア》は、自分の情けない姿を哀れみつつ、反面クスッと口元で苦笑いするような、皮肉めいた心境を曲中に表現しています。


  10月7日(火曜日) ポルムベスクの日記

  午前中は荷造りをした。午後にはヴィーンに出発する。
  さようなら、懐かしい故郷、ストゥプカ。
  さようなら、僕のいとしい人たち。
  さようなら、僕のふるさと・・・
  さようなら、みんな元気で・・・ 

 10月16日、《バラーダ》 初稿
 10月21日、《バラーダ》 完成。

 この曲は、ルーマニアに古くから伝わる民俗音楽のひとつ、ドイナの旋律を基に歌い上げられ、ポルムベスクの際立った旋律線の美しさは、民俗音楽との融合に伴い、より一層説得力をもつものとなっています。

 ポルムベスクがこのようにして作品を創り上げた事実は、後のコダーイやバルトーク、東欧の音楽家たちに重要な影響を与えました。

 第1主題の素朴な旋律に続いて、第2主題ではモルトヴァ地方の民謡《高い樅の木の山》を基本に、旋律をほぼ忠実に用いながら、音程を1部変えたり、リズムを変化させたりしています。また、この部分にはドリア調のテトラコードがみられ、独特な雰囲気を漂わせています。

 最初、ポルムベスクは2台のヴァイオリン用の曲として作曲を試みましたが、最終的にはピアノ伴奏つきのヴァイオリン独奏曲として完成させました。後に、テオドール・ロガルスキ Theodor Roglski によって、オーケストラ伴奏にも編曲されています。《 Balada pentru vioară şi orchestră 》 op. 29 。

 《バラーダ》は、ルーマニア国民のために書かれ、当時ハプスブルク帝国の権力のもとに追いやれたルーマニア国民の苦しみを表象しています。その苦しみと、ベルタとのかなわぬ恋の悲痛な気持ちとが一体となって、人間の悲しみを歌い上げた曲です。


 同年12月、ポルムベルクはベルタにロマンスを作曲して贈っています ── 題名はズバリ、《僕はあなたを愛していた Ich liebte dich 》。

 ここでイメージの固定化という意味で、伝えておきたいことがあります。それは、ポルムベルクがラテン系の男性であるということ。なぜベルタは彼に冷たい仕打ちをしたのでしょう? 彼女が友人へ宛てた手紙が残されていて、そこには次のように書かれています。──

   貴女にお願いがあるのだけれど・・・彼に伝えてほしいの、次のことを。
   彼は私に黙っているけれど、彼がヴィーンでどんなふうに過ごしていたのか、
   私には全部手に取るようにわかっているのよ。
   ・・・だからそんな彼を、私は絶対に許せないわ。
   私が怒っていることを、貴女の口から彼に伝えてくださらない? お願いだから。


  1881年3月3日(木曜日) ポルムベスクの日記

  昨夜は亡くなった母の夢を見たようだ。母が懐かしい・・・もう一度逢いたい。

  僕は毎朝コーヒーを下宿のおばさんに頼む。起きて着替えると、おばさんはいつも熱々の美味しいコーヒーを運んできてくれる。コーヒーが冷めないように真白のナプキンを掛けてくれる。このおばさんは本当に良いおばさんだ。いつも部屋はきちんと掃除してくれるし、鏡だっていつもピカピカだ。僕はここに住めて幸せだ。

  僕は『ドイツ新聞』を定期購読している。常に新しい情報を得るには新聞は必要だ。新聞は家主のおばさんが決まっていつものタバコ屋から買って届けてくれる。

  それにしても家から何の音沙汰もない。明日こそは手紙が来るだろうか・・・

  今日は僕の好きな《フィデリオ》(ベートーヴェン)を勉強した。今度の土曜日に公演がある。

  勉強のあと出かけて、ネクタイ、櫛、歯ブラシ、そのほか細かい身の回りの必需品を買った。それでずいぶんと散財してしまった。

  エパの家に出かけた。彼の家ではしょっちゅう、可愛くて優しい愉快な女の子たちと知り合いになれる。たとえばモデル・・・彼女はそんなに美人ではないが、でも小柄で優しい子だ。テレーゼ・ミューラー・・・彼女はヘルナルス・ハウプト通り8番地の2階の19号室に住んでいる。テレーゼとは気が合い愉快なお喋りのできる友達だ。今夜は夕食を一緒にしてから、10時頃の電車で彼女を家まで送った。寄り道をして帰ろうかと一瞬思ったがやめた。なんだかもやもやした気分がおさまらなかったけど、ここはおとなしく家に帰ることにした。


 ポルムベスクの母エミリア Emilia は、彼が19歳の時に結核で亡くなっています。

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喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu - Crai Nou --1. Aria Dochitei - Hora
喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu - Crai Nou --2. Cantecul lui Corbu
喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu - Crai Nou --3. Corul fetelor si flacailor
喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu - Crai Nou --4. Scena Leonas-Anica: Anico, Anico
喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu - Crai Nou --5. Scena Bujor-Dochita-Ispravnicul
喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu - Crai Nou --6. Cantecul Dochitei
喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu - Crai Nou --7. Duetul Ispravnicul-Dochita
喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu - Crai Nou --8. Cantecul Anicai cu Leonas
喫茶店 YouTube C. P. - Crai Nou --9. Scena Anica-Dochita-Bujor-Leonas-Ispravnicul
喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu - Crai Nou -10. Duet Bujor - Corbu + Cor
喫茶店 YouTube Ciprian Porumbescu - Crai Nou -11. Scena Ispravnicul-Corbul si Corul final

 1882年2月、ポルムベスクはブラショフ Braşov のギムナジウムと呼ばれる10代の女子中学校に赴任します。トランシルヴァニア地方にあるブラショフは、ブカレストから北に180キロほどのところに位置し、森に囲まれた美しい古都として知られています。ブラショフは、ザクセン人が住んでいた頃、ドイツ語名でクローンシュタット Kronstadt と呼ばれていました。トランシルヴァニア Transilvania は、カルパチア山脈に3方を囲まれた台地で、「森の彼方の国」という意味です。

 1882年2月27日、ブラショフにて、オペレッタ Opereta 《新月 Crai nou 》初演。
 同年2月28日、2回目の公演。
 同年3月14日、3回目の公演。

 指揮は、ポルムベスク自らがおこないました。台本は、ルーマニアの詩人ヴァトリ・アレクサンドリ Vasile Alecsandri のテクストを基に、ポルムベスクが部分的に書き直しています。

 民俗音楽を題材にした合唱曲<クライ・ノウ Crai nou >、
 行進曲<山の中腹で Pe plaiul munte >、
 ヴィーン風の行進曲<おいで、おいで Haidţi haideţi > などの曲が、特によく知られています。

 没後の1883年8月13日、4回目の公演がおこなわれました。

 「演奏も質の高い出来映えだったが、それ以上にこのオペレッタは、すさまじい人気とともに人々のこころに残り、ポルムベスクは永遠のルーマニアの作曲家としての地位を確立した」。

 ── ブラショフ(クローンシュタット)新聞 Kronstaedter Zeitung


 この作品:オペレッタ《新月》は、彼以降のルーマニアの作曲家、ジョルジェ・エネスク George Enescu らに大きな影響を与えました。

Casa memorială G. Enescu.jpg  るんるん 《 Sonate n°3 en ré majeur op.24 n°3 》
  Vivace con brio
  喫茶店 YouTube Dinu Lipatti - George Enescu
  Andantino cantabile
  喫茶店 YouTube Dinu Lipatti - George Enescu
  Allegro con spirito
  喫茶店 YouTube Dinu Lipatti - George Enescu
家 Casa memorială George Enescu de la Cumpătu, Sinaia
メール ティンクさんへ ありがとうございました。


夜 ピアノ曲 [ ノクターン ] 《 ネルヴィの想い出 Souvenir de Nervi 》 Op.17

 《クライ・ノウ》発表当時、日いちにちと、結核 Tuberculoză の病魔はポルムベスクの命の炎に怪しげに近づいてきていました。ブラショフの厳しい気候は、彼の健康状態をさらに悪化させることに間違いはありませんでした。このようなポルムベスクを見かねた友人たちは、彼をイタリアで療養させようと資金を集めはじめます。ブラショフの資金家たちもこれに協力します。

 1882年10月、冬の到来前に、ポルムベスクは、イタリアのネルヴィに向います。この地で彼は、評論家カミッロ・ボイト Camillo Boito と、イタリア人作曲家マルコ・サーラ Marco Sala と知り合います。そして彼らは、ジュゼッペ・ヴェルディ Giuseppe Verdi に引き合わせてくれました。

 ヴェルディの前で、ポルムベルクはヴァイオリンを構え、ドイナを弾きました。ヴェルディは、この曲に深く感動し、またその演奏にも讃辞を送りました ──

  君の弾くヴァイオリンの音色は、まさに人の声のようだね。悲しみも苦悩も、そしてもちろん喜びも ── 君の奏でる曲は、まるでイタリアのオペラを聴くようだね。そして、流れるドイナの旋律は、われわれイタリア人の心の琴線にも触れる素晴らしいものだ。濡れるような、何ともいいようのない人の心そのものだ。

 けれど、病は快復の兆しがなく、所持金もどんどん底をついていきました。おそらくポルムベスクは、自分に残された命がそう長くないことに気がついていたのでしょう。

 もうイタリアに未練はない。早く故郷に帰りたい・・・・・・

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家 故郷ストゥプカ、現チプリアン・ポルムベスク村にあるメモリアルハウス。
家 Casa memorială Ciprian Porumbescu : ポルムベスクは、この家で亡くなりました。

 1883年2月5日(あるいは17日)、イタリアをあとにしたポルムベスクは、故郷のストゥプカに帰ってきました。故郷に戻ったポルムベスクは、キリストの弟子ジョルジュを主人公とし、ヴェルディと出会った感激と希望を胸にした新しいオペレッタ、《聖ジョルジュの夜》を手がけ始めますが、この作品は、未完のままに終わります。死は、あまりにも早くポルムベスクに訪れます。

 1883年6月5日の夜、咳が出て吐血が始まり、翌6日午前3時、ポルムベスクは眠るように安らかに、静かに息をひきとりました。享年29歳、あまりにも短い生涯でした。けれど、爽やかに通り過ぎる風のように、彗星のごとく音の世界を駆け抜けた生涯でした。

プレゼント いす YouTube Schubert - Am Tage aller Seelen - Fischer-Dieskau, Moore

   Ruh'n in Frieden alle Seelen,
   Die vollbracht ein banges Quälen,
   Die vollendet süßen Traum,
   Lebenssatt, geboren kaum
   Aus der Welt hinüberschieden:
   Alle Seelen ruhn in Frieden !

   安らかに憩え、あらゆる魂よ、
   不安な苦しさを経験した魂、
   甘美な夢を見終えた魂、
   生に倦んだ魂、生まれたばかりで
   この世から別れた魂、
   あらゆる魂よ、安らかに憩え!

   Und die nie der Sonne lachten,
   Unterm Mond auf Dornen wachten,
   Gott im reinen Himmelslicht
   Einst zu sehn von Angesicht:
   Alle, die von hinnen schieden,
   Alle Seelen ruhn in Frieden !

   そして太陽に笑いかけることのなかった魂、
   月の下、茨の上で目を覚ましていた魂、
   清らかな天の光に包まれて神と
   かつて対面した魂、
   この世と別れた魂のすべて、
   あらゆる魂よ、安らかに憩え!


いす YouTube Takemitsu Litany
 ラテン語リタニア Litania、ギリシャ語 λιτή (litê) 祈る人・嘆願。
 パニヒダ(ギリシア語: Μνημόσυνο, ロシア語: Панихи́да, 英語: Memorial service (or panikhída) : 正教会において永眠者の為に行われる祈り。


 6月6日、彼の葬式がとりおこなわれ、村の農民たちが大勢集まり、永遠の別れを惜しみました。けれど、ベルタの姿はありませんでした。彼女はポルムベスクの死を知る由もなかったのです。

 ポルムベルクの最後の言葉は、妹マリオラに向って、──

   お願いだ、どうか《ベルタのノクターン》を弾いてくれないか

 マリオラがピアノを弾き終わると、──

   もう一度、もう一度でいいから弾いてくれないか・・・・・・


 ── だったと、伝えられています。


プレゼント 夜 YouTube Chopin Nocturne Op.27 No.1 (Arthur Rubinstein)

《 ルーマニア・ラプソディ Rapsodia română 》 pentru orchestră (1882)
喫茶店 YouTube C. Porumbescu: Romanian Rhapsody for Orchestra, 1882 (Part 1)
喫茶店 YouTube C. Porumbescu: Romanian Rhapsody for Orchestra, 1882 (Part 2)

  ルーマニア国民のために作曲することが自分の使命であり、
  国民の心に近い存在となる作品を作ることで国民を理解したい。

  ── チプリアン・ポルムベスク

プレゼント YouTube Balada Ciprian Porumbescu

 《バラーダ》 は、そういった意味においても、当時のルーマニア国民の心を代弁した作品のひとつだったのではないでしょうか。

 29歳という短い生涯のうちに250曲以上の曲を残したポルムベスク、そのなかでも、── 

 混声合唱曲 《 セレナーデ Serenadă 》
 男性4部合唱 《 プルト川の土手 La malurile Prutului 》
 男性4部合唱 《 プトゥナ修道院の祭壇 Altarul Mănăstirii Putna 》
 ユニゾンによる合唱曲 《 ルーマニア人の心 Inimă de român 》 (1880)
 ユニゾンによる合唱曲 《 いざ我ら喜ばん [ 大学卒業の時の歌 ] Gaudeamus Igitur 》
 混声合唱曲 《 ルーマニア兵士のオード Odă ostaşilor români 》

 ── などの歌が、今でも広く愛され、歌い継がれています。

ルーマニア映画 『チプリアン・ポルムベスクの生涯 Ciprian Porumbescu 』
TV YouTube Ciprian Porumbescu--Ballade
TV Google ビデオ Ciprian Porumbescu [filme Romanesti] 上映時間 2:18:53

 お楽しみください。

 それでは、また!


本 参考サイト:
 Ciprian Porumbescu ─ Wikipedia (ルーマニア語)
本 参考文献:
 Viorel Cosma, Ciprian Porumbescu - Monografie, Bucurreşti. 1957


夜 キャンドルナイトの夜に  Yours Musicaly 空っぽの皿 ♪♪



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2009年06月15日

家 Chapelle Foujita ぼくは立ち止まらないよ

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      家 Chapelle Foujita


本 フランス政府観光局公式サイト Reims, ランス


 「目に見えるどんな風景も、その風景のなかに、ここから消えていった人の、目に見えない記憶をつつみもっている」。

 「草花の咲きみだれる道で、また、星ふる夜の空の下で、思わず魅せられて立ち止まる」。

  「今日、ひつようなのは、一日一日の、
  静かな冒険のためのことば」。

 ── 長田 弘 『世界はうつくしいと』 みすず書房 より引用

本 『いちばん美しいクモの巣』 みすず書房


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クラブ 左側の画: 「聖母子」 左側から跪づく女性2人目が君代夫人
クラブ 中央の画: 入口上部壁画「磔刑のキリスト」
クラブ 右側の画: 「磔刑のキリスト」右側部 右角から3人目がフジタ自身

 フジタ礼拝堂(シャペル・フジタ Chapelle Foujita )は、正式には「ランスの礼拝堂ノートルダム・ドゥ・ラ・ペ(平和の聖母) La chapelle Notre-Dame-de-la-Paix de Reims 」、または、「礼拝堂ノートルダム・ドゥ・ラ・ペ(平和の聖母)・フジタ礼拝堂 Chapelle Notre-Dame-de-la-Paix dite Chapelle Foujita 」、と呼ばれています。これは、ヨハネ23世の回勅「地上に平和を Paix sur la Terre 」に由来します。設計、装画をはじめ金具、ステンド・グラス、彫刻のプランもすべてフジタ自身の手によるものです。

本 ウィキペディア 『藤田嗣治』 ─ 「晩年」 <?>

1968年1月29日にスイスのチューリヒにおいてガンのため死去した。遺体はパリの郊外、ヴィリエ・ル・バクル(Villiers-le-Bacle)に葬られた。日本政府から勲一等瑞宝章を没後追贈された。

最後を見取った君代夫人はパリ郊外の旧宅をメゾン・アトリエ・フジタとして開館するのに尽力した 近年刊行の個人画集・展覧会図録等を監修した。約40年後の2009年4月2日に、東京で98歳で没した。遺言により遺骨は夫嗣治が眠るランスのフジタ礼拝堂に埋葬された。
 目 補 足

 1968年1月31日、フジタの遺体はチューリッヒ州立病院からランスに運ばれ、エチエンヌ・ドルブ通りの葬儀控室に安置され、翌2月3日の朝10時、ランス大聖堂で葬儀が執り行われました。葬儀では、音楽、とりわけモーツァルトを愛したフジタにちなんで、オルガンが演奏されました。棺は、ランスの北墓地に仮埋葬され、数週間後に地下納骨所を造り終えた時点で、ランスの平和聖母の礼拝堂に移されました。

いす YouTube Glenn Gould plays Mozart Sonata in A major K 331 1st MVT

 埋葬から3年後、フジタの埋葬をめぐって、ルネ・ラルー René Lalou (シャンパンセラー、マム MUMM 社の社長、フジタの支援者)と君代夫人との間に、行き違いがでてきました。──

本 Le Monde, “A la suite d'un procès, Les restes du peintre Foujita sont transférés de Reims à Villiers-le-Bâcle”, 21/8/1971
本 『ル・モンド』─「起訴の顛末 ─ フジタ画伯の遺骸、ランスからヴィリエ=ル=バークルへ」 (1971年8月21日)

 フジタの遺体は木曜日の朝、シャペル・フジタと呼ばれるランスの礼拝堂から秘密裏に掘り出され、ヴィリエ=ル=バークルの墓地の小さな墓地、イヴリーヌ墓地に運ばれた。

 ・・・(フジタが生前の希望によって、礼拝堂の地下納骨所に埋葬された経緯が続き、今ではシャペル・フジタがランスの観光名所のひとつになった、と述べられて)・・・

 ところが、今年の7月初め、フジタ夫人はランス市長に亡夫の遺骸をおさめた亜鉛メッキの棺を、彼女の住むヴィリエ=ル=バークルの墓地に移す許可を申請した。7月27日、市条令により、夫人の願いは受理された。すると、ラルー氏が反撃にでた。彼は個人として、またフジタ友の会会長の名において、遺体発掘の差し止めを求めてランスの裁判所に提訴したが、その請求は却下された。


 自らの会社の敷地内に礼拝堂を建てるよう取り計らったのも、ランス市長や知事に働きかけて埋葬許可を取ったのもラルーでした。それらのお礼に、美術館にフジタの絵を寄贈する約束になっていた、といわれています。けれど、君代夫人はその話は聞いていないと難色を示し、ラルーと対立しました。さらに、夫人は、「お墓参りに行くのにランスは遠くて不便だから、ヴィリエ=ル=バークルの墓地に移したい」、と主張して、裁判になったのでした。

 フランスの法律上、亡夫に対しての一切の権利を持つのは配偶者です。こうして、フジタの遺体はヴィリエ=ル=バークルの自宅の近くの墓地に埋葬し直されました。


 この判決を不服とするラルー、およびフジタ友の会は、フジタの遺体をランスへ返却するよう求めて、行政裁判所に控訴しました。判決は、生前の画家の遺志を尊重すべきだ、とする原告の主張に理解を示しながらも、故人の文書による遺書がない以上、葬儀および埋葬については残された配偶者が決める権利がある、というものでした。(1972年3月24日付、『ル・モンド』 “Le corps du peintre Foujita ne sera pas exhuné”, 24/3/1972 )

 およそ30年間、ヴィリエ=ル=バークルの墓地で眠った後、
 2003年10月6日、君代夫人の発案によって、フジタの遺体は再びランスの礼拝堂に移されました。生前の希望どおり、フジタは礼拝堂で、ようやく安らかな永遠の眠りについたのです。

 
家 Maison-atelier Foujita
Adresse : 7, route de Gif, 91190 Villiers-le-Bâcle

 1959年10月14日、フランス国籍取得から4年後、フジタ夫妻はランス大聖堂で受洗式を行い、フジタは「レオナール baptisé Léonard 」という洗礼名を授かります。マダム・キミヨもまた洗礼を授かり、「マリー・アンジュ・クレール baptisée Marie-Ange Claire 」と称することになります。

 1960年10月14日、洗礼1周年を記念し、パリから南西20キロほど離れた郊外、シュヴルールの森のなかにある小さな村ヴィリエ=ル=バークル、ジフ街道沿いの農家を購入します。1年をかけて改修・改装工事をしたあと、10年以上住んだモンパルナスを離れ、1961年11月24日に転居します。

 1966年5月、平野政吉は長男の誠(現「平野政吉美術館」館長)を伴って、ランスの礼拝堂の壁画制作に入る直前のフジタと対面するため、ヴィリエ=ル=バークルにある家に訪問します。その時の模様を、平野政吉は次のように書いています。──

本 平野政吉「聞き書き わがレオナルド藤田」 朝日新聞(1983年1月12日)

  藤田は、君代夫人に「大将が来たよう」と叫んで、私を迎えてくれた。「藤田美術館がとうとう建つ」と言う私に、藤田は「記念に、ぼくがミケランジェロに挑戦した絵を譲ろう」と言った。

  私はうれしくて、パリの街行く人に、だれ彼となくシャンパンをふるまった。だが次の朝、藤田から電話が入った。「あの話はなかったことにしてくれ」。夫人の反対らしかった。私は納得した。その代わり「藤田美術館」の名前はやめた。

  私と別れ際、藤田は「美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ」と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。藤田は、スケッチをくれた。これが、最後の対面となった。


 フジタの死後、キミヨ夫人は3〜4年間ほど、この家住んでいました。その後、パリのアパルトマンとの間を行き来するようになりましたが、次第にパリにいる期間が長くなります。さらに、東京にも住まいを購入し、3ヶ所を行き来することになります。やがて、ヴィリエ=ル=バークルの家は負担になり、夫人はヴィリエ=ル=バークルの村役場に、家を譲渡したい、と申し出ますが、村では管理費が負担できず、代わって県が引き受けることになりました。こうしてフジタの家は、1991年4月6日、エッソン県に贈与されました。3年後の1994年9月9日、歴史建造物に登録されました。そして、2000年、「メゾン・アトリエ・フジタ」として一般公開されるようになりました。


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La vie et l'oeuvre de Lィヲonard-Tsuguharu.jpg

本 Google ブックス Léonard-Tsuguharu Foujita
本 Google ブックス Léonard-Tsuguharu Foujita

 1970年代に入り、キミヨ夫人は、フジタの“遺志”を理由に、日本での個展、複製を禁じます。この根底には、日本での藤田評価が1920年代の「乳白色」絵画に集中していること、フランス国籍となったにも関らず「日本人画家」として扱われる苛立ちと<不信>がありました。

 1977年、開館したばかりのパリのポンピドゥー・センターと、東京国立近代美術館との同時開催の回顧展が企画、準備されていましたが、直前になって急遽とりやめになる<事件>がありました。

 1979年、キミヨ夫人は、小学館が刊行した美術全集『原色現代日本の美術』第7巻(近代洋画の展開)に対して、著作権侵害として販売差し止めの提訴を行います。出版社の小学館は事前に許諾を求めていたのですが得られず、論文の挿図として刊行しましたが、カラーで鑑賞性の高いものだったための提訴でした。1984年夏の1審判決で、出版社の主張は退けられ、回収を命じられます。

 フジタの生誕100周年にあたる1986年、日本で大規模な回顧展が開催されましたが、夫人は、この展覧会カタログ『レオナール・フジタ展』に対して、著作権侵害として販売差し止めの提訴を行い、勝訴します。

 1987年、フランスの美術研究者・鑑定家シルヴィー・ビュイッソン女史が刊行した画集『レオナール・ツグハル・フジタ』(左側の画)は、フジタの画業全体を初めてフランス語に総括し、可能な限り多数の図版を掲載した大著で、カタログ・レゾネ Catalogue Raisonne (総目録美術書)に順ずる基本資料とも呼べる労作でした。けれど、マダム・キミヨは、この出版を差し止める訴訟をフランスで起こします。最終的に敗訴しましたが、日本で提訴した輸入販売を禁止する仮処分裁判では勝訴しました。

 2000年に入り、ようやく夫人の姿勢が軟化します。

 2001年、ビュイッソンが2冊目のフジタ作品集を刊行します(中央の画)。これは、1冊目の出版以降に発見、特定された作品や情報をまとめたもので、2冊あわせて<カタログ・レゾネ>にほぼ近い状況が整い、後続研究に大いに貢献しました。

本 Glory in a Line: A Life of Foujita--the Artist Caught Between East and West

 2006年、日本の近代期を専門とするノンフィクション作家フィリス・バンバウムが、アメリカの出版社より、初めての英文によるフジタの伝記『栄光の線描写 フジタの生涯 ── 西洋と東洋との狭間で苦悩した画家』を出版しました。これにより、日本とフランスという文化や言語の枠を超えた関心の広まりがありました。

プレゼント レオナール・フジタ展スペシャルサイト
プレゼント 展覧会のみどころ レオナール・フジタ展スペシャルサイト
プレゼント Bienvenue sur www.Foujita.essonne.fr

メール 淡明さん、すてきなサイトのご紹介、ありがとうございました。

喫茶店 YouTube Dinu Lipatti (17 years old!) - George Enescu, Bourrée Op. 10

著作権ってなんだろう?

 グーグル社にしろ、アマゾン社にしろ、こうやってご紹介したように、パソコンからの検索で即座にほぼ全頁読むことができます。

 フランス国立図書館のガリカ Gallica のサイト では、古い蔵書をデジタル化していて、誰でも読めるし、全巻ダウンロードすることも可能です。しかも完全な無料公開。世界中から自由にアクセスできます。わざわざパリに行って、特別の入館証を使って閲覧しなくても、貴重な古書を丸ごと読むことができます。最近では、デジタル化が進み著作権のまだ残っている書物まで、いくつか読むことができるようになってきています。僕のような状況にいるものにとっては、たいへんありがたいことなのですが・・・。でも、やっぱり僕は本が好きだけれど。

 僕自身としては、著作や芸術作品というものは、昔からの先行作品があって、その轍の先を継ぐようにして成立するものだから、一個人の財産だと主張するのは、おこがましいという気がどこかにあります。まして作者本人が亡くなった後、何十年も著作権が遺族に継承されるのは、芸術や学術という普遍的な文化に対する冒涜だ、とも思うのだけれど、とはいえ、作者にも生活があり家族がある以上、利権にこだわる理由もわからないではありません。けれど、教育や研究など公共の利益に関る使用は、著作権より優先する、というフェアユースの問題もあります。


本 ガリカ ─ Wikipedia
本 Gallica デジタル書庫への道


 レオナルド・ダ・ヴィンチの手記に、次のような言葉があります。──

Foujita[3].jpg  ・・・ 版画が版木に、感覚が知覚できるものに左右されるように、
  愛するものは愛する対象によって左右され、
  対象と結合して同じひとつのものとなる。
  作品こそ その結合から生まれる最初のものである。
  恋される対象が下劣なら、恋するものも下劣になる。
  ── 結合されたものがそれを受け入れるものと調子の合うとき、
  そこには歓びと快楽と満足とが生まれる。
  ── 愛するものが愛される対象のもとに到着したとき、
  そこに憩いが生まれる。
  ── 重荷がおろされるところには休息がある。
  対象は、認識されたのち、はじめてわれわれの知性にとどまる。


喫茶店 YouTube Yehudi Menuhin and George Enescu play Bach

 コダーイの2番目の妻、シャロルタ夫人のような姿勢もあれば、
 フジタの5番目の妻、キミヨ夫人ような姿勢もあります。

喫茶店 YouTube George Enescu, Balada pentru vioara

     みなもと The Source      タゴール


  赤子の手足に花咲くうつくしき柔らかき新しい生命(いのち)──
  誰れかそんなに長く それが何処に隠されていたかを知っているか。
  然り。 母がまだ若き娘の時分、
  それは愛のやさしい沈黙の神秘となって 母の心を充たしていた。
  ── 赤子の手足に花咲いたうつくしい柔らかい新しき生命。


喫茶店 YouTube George Enescu - Romanian Poem Op. 1, 1897 (Part 1)
喫茶店 YouTube George Enescu - Romanian Poem Op. 1, 1897 (Part 2)

  日本に生まれて祖国に愛されず、フランスに帰化してもフランス人としても待遇を受けず、共産党のように擁護もなく、迷路の中に一生を終わる。

 ── レオナール・フジタ 手記『夢の中に生きる』 1965年4月18日付

Foujita[2].jpg
  プレゼント YouTube Glenn Gould plays Die Meistersinger (exerpt)


  一日をきれいに生きられたらいいのだ。

  人生は、音楽の時間のようだと思う。

  ── 長田弘 『世界はうつくしいと』 「グレン・グールドの9分32秒」


喫茶店 YouTube George Enesco plays Corelli Sonata

 病床のフジタは、絶え絶えの息で、田淵安一にこう言いました ──

 「戦争というものは本当に悲惨なもので、あの絵を見てもらったらわかるけど、あそこには将校は一人も描いていない、死んでゆく兵隊がかわいそうで兵隊しか描いていない」。


 6月23日は、沖縄「慰霊の日」

 「不発弾等対策安全基金」 ── 見舞いはすれど、賠償はせず。愚かなり。

 日本が見えない。どこぞの国の首相は、漫画は読んでも、フジタは読まないらしい。今になって、フジタやキミヨ夫人の気持ちがよく分かります。フジタの言葉を借りれば ──

 「日本(画壇)は早く国際水準に到達して下さい」。


 1968年1月29日13時15分、チューリッヒの病院で、長い闘病生活と死の苦痛から解放され、永遠の眠りにつきました。81歳の生涯でした。

いす YouTube Glenn Gould - Mozart fantasia in D minor

 ひよわなものや、かぼそいものや、可愛らしいものたちの夢を、
 そっと守り育ててゆくような、フジタの慈愛と優しさが、
 空気のように「平和の聖母礼拝堂」の空間を充たしていた ──


Yours Musicaly 空っぽの皿 ♪♪


 
posted by 空っぽの皿 at 23:01| パリ 雨| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月11日

◆ コダーイ : みんなのための音楽をしよう! Legyen a zene mindenkié !

メール ティンクさんへ

 いつも変わらぬ、タイミングのよさのコメント、ありがとうございます。

 16区のポルト・ドートゥイユ近くには、オートゥイユ財団のショップがあります。常設ショップは、平日のみ営業していて、ショッピング兼チャリティーを楽しむことができます。

プレゼント オートゥイユ財団の公式サイト : Fondation d'Auteuil


メール 「種屋さん」へ

 初めまして。ようこそ。
 開店休業中にもかかわらず、あたらしい種を届けていただきまして、ありがとうございます。

 こんなこともあるんですね。いつも、一方的におしかけて、種を分けてばかりいただいているのに、きちんとしたご挨拶もしていないのに、おそれいります。「種屋さん」の種は、なかなか育てるのが大変なのですが、育てがいがあるので、「一本の苗木」になるまで、楽しませていただいています。

 これからも、よろしくご指導してくださいね。
 
 プレゼントされた曲を、改めて、ご紹介します。 

starker [2].bmpstar12[1].jpg
star1[1].jpg

本 ヤーノシュ・シュタルケル János Starker ─ Wikipedia

本 無伴奏チェロソナタ (コダーイ) ─ Wikipedia

プレゼント YouTube János Starker - Kodály Cello Solo Sonata I. Mvt
プレゼント YouTube János Starker - Kodály Cello Solo Sonata II. Mvt
プレゼント YouTube János Starker - Kodály Cello Solo Sonata III. Mvt


     本     本     本     本     本     本

kodaly2[1].gifkodaly8[1].jpg
Kodaly-Teaching.jpg.jpeg

     本     本     本     本     本     本

Ki a jィョ zenィヲsz.jpg
 1953年6月、コダーイが、
 ブダペストのフランツ・リスト音楽アカデミーの
 学期末終業式の際に行なった、有名な講演があります ──

 本 『よい音楽家とは? Ki a jó zonész ? 』

     “Ki a jó zenész ? ”

  Copyright 1954, by Kodály Zoltán


   1.

 学生のみなさん、こんにちは! 今日は皆さんを長い休暇に送り出すにあたって、少しお話したいと思います。 ・・・

 ・・・

 よい音楽家とは? この問題については、シューマンがはやくも今から100年前に適切な言葉で述べています。ところが、その言葉のハンガリー語訳が2種類も出ているというのに、私たちの学生がそれを1度も読んだことがない、ということを知って、私は慄然としました。私のいうのは、シューマンの『音楽の家訓と処世訓 Musikalische Haus-und Lebensregeln 』 がこの1年間に、図書館から1度しか貸し出しされなかったという事実です。

 それに対して、地方の中等学校の音楽好きの生徒だった頃、私たちは、「クライスレリアーナ」とは? 「ダヴィッド同盟」とは? といったように、なんでも知りたがったものです。当時の私たちには、お金も図書館もなかったのですが、シューマン著作集の廉価なドイツ語版を買うお金ぐらいはどうにかなりました。その頃はまだハンガリー語訳はなかったのです。ドイツ語を習い始めて1、2年しかたっていなかった当時の私たちですから、ドイツ語には苦労させられましたが、精神豊かでみずみずしいシューマンの著作からは、生涯忘れることのできない感銘を受けました。そして実際にまた、シューマンの助言にしたがって、よりよい音楽家になろうと努力したものです。それなのに今日、知性的な学生でさえ、設備の整った図書館が彼らのために用意してくれているその本を、手にとってみることがないとすれば、そのことに対して私たちはなんと言ったらよいのでしょうか。私は、図書館の本を全部読みなさい、と言っているのではありません。打ち明けた話をしますと、音楽学者志望でない実践的音楽家が読んでためになる音楽書というのは、ごく僅かしかないのです。しかしその僅かな音楽書の1つに数えられるのがシューマンの著作なのです。

 では、シューマンが彼の《若き人たちのためのアルバム Album für Jugend 》[ 作品68、1848年 ] のために書いた『音楽の家訓と処世訓』の1部をみてみることにしましょう。

  一番大切なことは、聴く耳をつくりあげること。幼いときから、調性や音を判断できるようにすること。鐘、窓ガラス、カッコー、それらが、どんな音を出しているかを調べてみること。

 絶対音感というのは神話です。それは、私たちが生まれつき持っているのではなくて、目測と同じく慣れの問題なのです。国際協定によって、標準音高が決められる前には、1点イ音も、町ごとによって違っていたのです。

 ・・・

 ・・・ ルービンシュタインは、彼の死後出版された手記のなかで、「ピアノ弾奏は指の動きであり、ピアノ演奏は心の動きであるが、今日聞かれるのは、たいがい前者である」と述べています。

  たとえ声がよくなくても、楽器の助けなしで、譜面を見て歌えるよう努力すること、そうすると、耳は、ますます鋭敏になるというわけだ。けれど、もし響きのよい声をもっていたら、天から与えられたもっとも美しい贈りものと考えて、ためらうことなく、それを立派なものにするように鍛えなさい。

  ・・・

  一日の音楽の勉強を終えて疲れを感じたら、それ以上は無理して勉強しないこと。喜びと新鮮な気分なしに勉強するよりは、休んだほうがいい。・・・・・・音楽の勉強の疲れからは、詩を読んで立ち直るように努めなさい。

 シューマンのこの助言は、後にブラームスによって、次のように付け加えられました、「よい演奏がしたければ、たくさん練習するだけでなしに、本もたくさん読まなければならない」、と。

  たびたび戸外を散策しなさい。

 ・・・

  友だちのなかでは、自分より多くのことをしっている人を選ぶように。

  謙虚でなければいけない。きみが見つけ、考えたもののなかには、きみの前に誰も見つけなかったもの、誰も考えなかったものは何ひとつないのです。そして、もし考えたり、見つけたりしたなら、それを天からの贈りものとして、ほかの人にも分けて与えなければいけない。

  いろいろな時代の傑作を聴きながら音楽史を勉強することこそ、きみを自惚れと虚栄心から癒すもっとも手っ取り早い手段である。

  素晴らしい音楽書の1つが、ティボーの『音楽芸術の純粋さについて Über die Reinhit der Tonkunst 』である。大きくなったら、繰り返し読むといい。

 このことは、今日ではあまり深く考えなくてもよいだろうと思います。なぜなら、シューマン自身、ほかの箇所で書いているのです。「ベートーヴェンは必ずしもモーツァルトが学んだものをみな勉強する必要はなかった。同様にモーツァルトはヘンデルが、ヘンデルはパレストリーナが・・・・・・。なぜなら彼らはそれぞれに、その前から自分自身のなかに、先人たちを取り入れていたからである。しかし、誰も例外なしに改めて汲み取るべき泉がひとつだけある。私のいうのは、ヨハン・セバスティアン・バッハという泉である」、と。

 
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喫茶店 YouTube Janos Starker Plays Bach

喫茶店 YouTube Janos Starker - Bach Cello Suite 3 I. Prelude
喫茶店 YouTube Janos Starker - Bach Cello Suite 3 II. Allemande
喫茶店 YouTube Janos Starker - Bach Cello Suite 3 III. Courante
喫茶店 YouTube Janos Starker - Bach Cello Suite 3 IV. Sarabande

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 ・・・

  他のいろいろな芸術なり学問はもちろん、生活全般もしっかり観察しなさい。

 レシェッティツキーも同じことを言っています、「生活のない芸術はなく、また芸術のない生活もない」、と。

  ・・・

  誰かが言った、完全な音楽家なら、初めて聴いた複雑なオーケストラ作品でも、まるで実際に、楽譜を読んでいるかのように眼前に思い描くことができなければならない、と。これは考え得る最高のことです。

 シューマンは別の箇所で、これと同じことを次のように言い表しています、「若い音楽学生が、ベートーヴェンの第8交響曲の練習を聞きながら、熱心にスコアに当たっていたとき、オイゼビウスは《あれはきっとよい音楽家にちがいない》というと、フロレスタンは、《とんでもないことだ! よい音楽家とは、スコアがなくても音楽がわかり、音楽がなくてもスコアのわかる人のことをいうのだ。耳は眼を、眼は外的な耳を必要としない、というのでなければならないのだ》と言った」と。── これこそ、音楽家たる者がみな目指して努力するべき目標なのです。音楽を黙読しながら、音高が狂っていないかどうか、ときどき音叉でチェックするというのが好ましいやり方です。シューマンは、1842年8月4日付のある書簡のなかでも書いているのです、「音楽をたくさん読みなさい。内的聴覚を鋭くするのには、それが一番です。曲を弾くのは、心のなかでその曲を1音洩らさず聴いてからでなければなりません」、と。

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   2.


 以上の箴言的な助言は、よい音楽家になるために進むべき道を、きわめて明確に示しています。これは、誰にむけられた助言なのでしょうか。第一にはピアノを弾き、作曲する子どもたちに向けられています。それにしても、シューマン自身が、その子どもたちに対して「幼いときから / 小さいときから」という言葉を何度用いているというのでしょうか。これらはすべて、シューマン時代のドイツ音楽教育に対する批判なのです。彼自身その欠点に気づくようなり、そしてそのことの意識のために、彼は生涯を通じて悩まされ続けたのでした。彼が、自分がドイツの若者のために作曲した《子どものためのアルバム》 Op. 68 によい助言を付け加えなければならない、と考えたのも、まさにそのためなのです。当時のドイツにおいて、シューマンの言うとおりに音楽教育が行なわれていたとしたら、シューマンの助言は要らなかったはずです。

シューマンはあまり旅行しませんでした。パリにもローマにも行ったことがなく、ラテン民族のあいだでどんな音楽教育が行なわれていたのか、知らなかったのに、ドイツ人の間での音楽教育の欠点にはっきり気づいていたのでした。パリに行って当地のオーケストラ演奏を聴いてはじめて、ベートーヴェンの第9交響曲を正しく理解するようになった、と告白しているヴァグナーも、その著『指揮について Über das Dirigieren 』 においてドイツの音楽教育を鋭く批判しながら、他の民族の音楽教育との違いの根本について詳しく述べています。

 ヴァグナー曰く、ラテン民族の音楽教育は歌から出発していて、その楽器演奏までが歌唱的である、しかもその基礎は、何世紀も前から培われ、そしてその間、絶えず改良を加えられてきたソルフェージュ教育である、このソルフェージュの練習によってはじめて、見た音符を音に変えたり、聞いた音を直接音符に変える能力が音楽家のなかに育つのである。誰も生まれながらにしてこの能力を持っているのではない、誰もが苦しい勉強によってそれを習得するしかないのである。そして、人によって違いがあるとすれば、その能力の習得のためにどれだけの年月を要するかという点だけなのである、そして本来的にいって、これこそ、教えることのできる唯一の能力なのである、なぜなら天分というのは、── 創造的天分と追創造的天分の別を問わず ── 生得の才能だからである、そしてこの天分がどの程度伸びるかは、その音表象力の程度如何によって決まるのである。しかもその表象力によって、音の海に対する制海権が確保されるのである、もしその制海権がなければ、船は無事出帆しても、たとえ沈没の憂き目にあわないまでも、危なっかしい進路変更を余儀無くされるのである、と。

 この時以来、ドイツの最も傑出した音楽家たちは、飽きることなくこうした事実に言及するようになります。「歌えない人は ── 声のよしあしにかかわらず ── ピアノも弾くべきではない」とは、ビューローの有名な言葉ですが、ビューローはどんなつもりでこのようなことを言ったのでしょうか。確かにそれは、私たちがベートーヴェンのソナタを弾く前に、その各楽章、各声部を残らず歌わなければならない、という意味ではなくて、彼が言っているのはむしろ、旋律の本質がどこにあるのかを感じたり、理解していない人、そしてその旋律の本質的な側面を自分の声で ── それがどのような声であるかはともかく ── 表現できない人に、よい演奏のできようはずはない、ということなのです。

喫茶店 YouTube Glenn Gould - Beethoven, Sonata Op. 31 N.2 - I Largo,Allegro
喫茶店 YouTube Glenn Gould - Beethoven, Sonata Op. 31 N. 2 - II Adagio
喫茶店 YouTube Glenn Gould - Beethoven, Sonata Op. 31 N. 2 - III Allegretto

 私は、考え得るかぎりの美しい歌が、考え得るかぎりの悪声によって歌われるのを聞きました。それは、トスカニーニの声でした。彼は、オーケストラの試演の際に、その音楽家と歌手たちのために、そのさえないしわがれた声で楽句を歌って聞かせたのでした。こうして、彼らはトスカニーニの指揮のもとに、非常に美しく歌うことができました。彼がオーケストラに最も頻繁に要求するのは、「歌って! 歌って! Cantare ! Cantare ! 」でした。

わーい(嬉しい顔) YouTube TOSCANINI EN COLERE
プレゼント YouTube Arturo Toscanini
プレゼント YouTube Beethoven Symphony No. 5, 1st mvt--Arturo Toscanini/NBC Symp

 ビューローは、ピアノ奏者にこの意味の警告を発した、最初にして唯一の人ではありませんでした。タールベルグ Sigismond Thalberg は、当時、リストの強力なライヴァルとみなされていましたが、おそらくそれには、それなりの理由があったのだろうと思います。シューマンも、1838年10月26日付のクララ宛ての書簡のなかで、タールベルクのことを、「・・・・・・きみたちの誰とも比肩しうる素晴らしい奏者」と呼んでいるのです。現代の私たちには、彼の演奏を想像することは難しいのですが、彼が報告している彼の勉強方法が、彼の演奏に何らかの痕跡も残さなかったとは、ちょっと考えられないことです。彼はその著作、『ピアノに応用された歌唱法 L'art du : chant applique au piano 』(この著作も、私は、生徒が手に持っているのを見たことがありません)の序文のなかで、「私が5年間、イタリア楽派の有名な大家のひとりについて歌唱法を学んだということを話せば、それが若い芸術家を励ますことになるかもしれない」、と述べているのです。

 ヴァグナー、ビューロー、あるいはタールベルクといった人々の、このような警告的な言葉を意にも留めないで、ハンガリーの音楽教育は、もっぱらドイツの例に倣いました。そこには、ソルフェージュ教育の痕跡すらなかったのです。しかしデブレツェンでは、スイスから帰国した、ソティオリ・ナジ・カーロイ Szotyori Nagy Károly 1821-1897 (ルーマニアの神学者、聖歌隊楽長)が、それに類したことを始めました。その際彼は、technique générrale を「一般訓練」と訳したのです。しかも彼は、音楽家がすべて持たなければならない基礎知識、という意味でその訳語を用いたのです。そして、ここで最も重要なことは、音楽の読み書きなのです。そして19世紀の70年代以来、フランスの勧めによって、これにさらに音楽の書き取りが加えられたのでした。今日では、このメソッドはすでに至る所に導入されています。

 ・・・

 私は若い教師だった頃、ポッパー David Popper 1846-1913 (チェリスト兼作曲家)教授の生徒のひとりに、和声法で5(当時としては最低の成績)をつけました。その生徒は、1年を通じて1回も出席せず、何ひとつ勉強をしなかったからです。ポッパーは、その生徒が進級して、「器用な楽隊屋」になれるように、せめて4をやってくれませんか、と私に頼みました。私はそれに対して、「先生、私はまた、私たちが育てるべきは、音楽家であって楽隊屋ではないと思っていたのですが」と言いました。もし私たちがその生徒に、よい音楽家になるために必要なことを残らず教えないとすれば、それはよくないことです。

 明らかにポッパーは、包括的な音楽能力を習得するよう、彼の生徒に勧めなかったのです。言うまでもないことですが、彼より劣った人たちは、彼のやり方に倣いました。指は達者だが、頭は空っぽという多くの「半人前音楽家」が、このアカデミーから生まれたのは、このように、いわゆる副科がおろそかにされたためなのです。そうした卒業生が少なからず、社会からあまり価値ある人物とみなされないのも、そうした理由によることです。

 私は1907年以来、こうした状態を改良するために、いろいろなことをやってきたのですが、今そうしたことの詳細には立ち入りません。当時の教授陣のなかでは、私は孤立していましたので、私がなにがしかの成果をあげることに成功したのは、私自身のクラスの場合だけでした。1918年には、私はこの学校の指導陣に参加しましたが、これもひとえに、そうすれば全体的な指示によって、基礎教育を改良することができるのではないか、との思いがあったからです。

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 若くして音楽院の副校長に就任していたコダーイでしたが、第1次世界大戦後、政局が不安定になり、それが音楽の世界にも影響を及ぼし、音楽院の同僚だった2人の教授が、コダーイを告発し、その地位から追い落とされます。そればかりでなく、以後2年間は教職に就くことができませんでした。けれど、その失意の期間、彼はバルトークとの音楽研究と、音楽院で公式に指導できない学生が、彼を慕って自宅へレッスンに通ってきたことで精神的に支えられました。

 1923年、ブダペスト統合50周年記念行事のための音楽を創作することになった際、コダーイは、旧約聖書の詩篇第55編をテクストとして用い、《ハンガリー詩篇 Psalmus Hungaricus 》 Op.13 を完成させましたが、聖書のこの箇所は、信頼していた人々の裏切りによって苦しむ人が、神に救いを求める心情を歌った箇所でもあります。同僚に裏切られて苦難を味わったコダーイの気持ちを象徴する作品として、理解されています。

プレゼント YouTube Daniel Potyok (tenor) Kodaly:Psalmus Hungaricus, Peter Erdei
プレゼント YouTube King David-tenor part from "Psalmus Hungaricus"

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 たくさんのコダーイの論考が述べられてゆくのですが、ここでは省略させていただきます。

 ・・・

 以上に述べたことに基づくと、よい音楽家の判断基準は次の4点にまとめることができます。

  1. よく訓練された耳
  2. よく訓練された知性
  3. よく訓練された心情
  4. よく訓練された手

 これら4つの要素はどれもみな一緒に、いつも均衡を保って育てられなければなりません。そのうちどれが1つ後れても、先走っても、いけないのです。

 これまでのところ生徒は大概、第4の要求にだけ応じてきました。つまり、指の訓練が他のどれよりも先走っているわけですが、もし彼らが他の要素も一緒に平行して伸ばしていたとすれば、この指の訓練においても、もっと早く、そしてもっと容易に同じ成果に達していたに違いないのです。楽器演奏の授業になって、リズムの基本的な誤りを修正しなければならない、ということなどないとか、作品の内容的、和声的、形式的分析は全部自分のものにしているとか、精神的な側面からその作品に近づくことができるようになっているといった場合には、知性が指をリードすることになるので、指を介して知性に進むときよりも、指は早く正道に達するのです。確かに、先生なり他の芸術家の真似をしても、ある時点までは見せかけの成果をあげることができるでしょうが、一人前の仕事ができるほどまでにこぎつけるには、はじめの3つの要素はどうしても必要なのです。

 訓練すべきはじめの2つの要素は、ソルフェージュおよび、ソルフェージュと密接に関連する和声法と楽式論によって習得されます。必要な補足は、できるだけ多面的な音楽活動によって行なわれます。室内楽や合唱に参加することなしには、よい音楽家になれないでしょう。

 第3の要素のための授業が学校のカリキュラムに取り入れられているのを、私は見たことがありません。ここに最大の誤りの源泉があるというのに、です。しかし、この履修材料は、授業時間のなかでは教えることができません。おそらく、それに対する唯一の基礎は心理学であり、心理学なら教えることができます。けれど、それ以上のことを提供してくれるのが、生活であり、偉大な文筆家の作品を読んだり、偉大な芸術家の創作を研究することなのです。つまり、「他のいろいろな芸術なり学問は勿論、生活全般もしっかり観察せよ!」なのです。どの芸術も、それにのみ固有であって、他のどの芸術にもみられないものをあらわします。シューマンは他の箇所で、「教養ある音楽家が、ラファエロのマドンナを研究することは、画家がモーツァルトの交響曲を研究するのと同様に有益である」、と述べています。

 音楽家は勿論、なによりも自分自身の芸術に没頭しなければなりません。音楽生の多くは、狭く限られた教材のほかはほとんど何も知らないのですが、その理由はといえば、彼らが充分に発達した読譜力をもたないことから、あれやこれやの作品の勉強のために、あまりにも多くの時間を必要とするからです。偉大な作品は、1回サッと聞くだけでは、充分ではありません。私たちは、その作品を聞く準備をしなければならないのです。作品を聞く前も、聞いた後も、音符を研究しなければならないのです。そのようにしてはじめて、私たちはやがて、その作品を正しく理解し、それを永続的に自分のものとすることになるのです。きわめて重要なのは、アンサンブルに参加することなのですが、非常に残念なことには、このアカデミーには数年前から合唱団がありません。以前は、合唱団が偉大な名作を演奏することをつうじて、生徒諸君の音楽的および精神的な成長に大きく貢献していたのです。弦楽4重奏はひとつありますが、生徒諸君のほうは、この最高級の音楽を聞くとどんな恩恵があるのか、よくわかっていません。シューマンのイ短調弦楽4重奏曲の素晴らしい演奏が行なわれたとき、ほんの数人しか聞いていませんでした。しかもそれは、その感情の豊かさのために、心情を育成するのに特にふさわしい作品であるというのに、です。このような作品の場合、遠くに出向いても損はしないでしょう。それなのに、その作品がこの塀の中で聞けるというチャンスを、殆んどの生徒が利用しなかったのです。

喫茶店 Drei Streichquartette op. 41, Nr. 1 a-Moll, Nr. 2 F-Dur, Nr. 3 A-Dur (1842)
喫茶店 《3つの弦楽4重奏曲 Drei Streichquartette 》 op. 41
喫茶店 <弦楽4重奏曲第1番 イ短調 Streichquartette Nr. 1 a-Moll> op. 41 - 1

喫茶店 YouTube "Quartetto Brioso" (audio) plays Robert Schumann "Scherzo" / String-Quartet op.41 Nr.1

 私たちがこれまでみてきたように、よい音楽家という称号は、多くの多面的な努力によってはじめて取得できるものです。どのような音楽活動をする人であれ、その人がほんの少しでも怠けたら、そのことはすぐにわかるのです。若い時に疎かにした基礎訓練も、後になってからそれを取り戻すことはできません。「幸いなるかな、今なお若く、しかも何ひとつ疎かにしていない者よ!」、というわけですが、しかしまた、光陰矢の如し、ともいいます。14歳までに、よどみなく音楽の読み書きができるようにならなかった場合、その後、たいへん苦労してやっとそれを習得するか、最後まで習得できないで終わる、しかないのです。

 よい音楽家には、洗練された趣味もなければなりません。シューマンは、ヘルツ Heinrich Herz とヒュンテン Franz Hünten のふたりと戦うだけでよかったのですが、今日の音楽創作の大変な混乱のなかで、進むべき道を見い出すためにもすでに、その洗練された趣味が必要です。しかし今日では、確かな趣味を手に入れることが、100年前より100倍も難しくなっているのです。本物と偽物を区別することが、ほとんど不可能の場合も多いのです。しかしよい音楽家は、何がよい音楽であるかを知っています。長い年月のあいだに取得した音楽文献の知識、理論と実践の知識、そしてさらには、洗練された趣味が、彼にとって道しるべなのです。

 長いあいだにわたるこの苦労の多い勉強は、いったい何のためにするのでしょうか。コンテストで賞を得るためでしょうか。同僚を追い越して名声と栄誉を得るためでしょうか。そうではありません。才能を授けられた者にとっては、それを最高度まで鍛えぬき、それによって、自分の同胞に考え得る最大の利益をもたらすことが義務なのです。なぜなら人はそれぞれ、同胞のために役立ち、祖国に仕えることができる分に見合っただけの価値をもつものだからです。真の芸術は、人間性をより完全なものにするのに、最も強力な手段のひとつです。その芸術をできるだけ多くの人々に理解できるものにする人は、人類の恩人なのです。

 こうして私たちは、完全な音楽家であることは到達しがたい理想である、との認識に到達します。最良の人々ですら、自分自身に欠点を見い出すからです。しかしその目的を知る人は、そこに至るまでの距離を測ることができます。また、その理想に近づくには何をなすべきかも知っています。したがって、このような人々にとっては、シューマンが『音楽の家訓と処世訓』の最後に書いた次の言葉は、あきらめではなくて激励を意味するのです。

  勉強に終わりはない。

 

 この講演は、英語とドイツ語に翻訳され、広く世界で読まれています。

本 The selcted Writings of Zoltán Kodály, London 1974
本 Zoltán Kodály, Wege zur Musik, Hrsg. von Fere Bonis, Gorvina Kiado 1983


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プレゼント YouTube Kodály Zoltán Székely fonó (A csitári hegyek alatt)


 1958年、コダーイは、49年間連れ添った妻エンマと死に別れます。
 19歳年上だったエンマ自身も作曲を学び、高い教養に恵まれていましたが、若いコダーイの才能を信じて、献身的に、彼をバックアップしてきていました。それだけにコダーイは、悲嘆に暮れ、耐え難い喪失感にとらわれました。

 その1年後、自分の孫ほどの音楽院の学生シャロルタと再婚し、周囲を驚かせました。
 シャロルタ(右側の画)は、コダーイの旧友の娘で、声楽・合唱指揮を学んでいました。コダーイとの結婚を機に、この「国民的音楽家を支えることを、自分の使命と考えるようになった」、と語っています。

 柔らかな美貌に恵まれたシャロルタは、暖かな春の息吹きを、コダーイの周囲に再びもたらしました。ふたりの結婚生活は、およそ6年4ヶ月で終わり、コダーイは帰らぬ人となりましたが、シャロルタは彼の死後にも絶えることなく、夫の理念( 「コダーイ・メソッド」 : 音楽教育法 )を国内外に広めるために、各地を精力的に訪ねています。そして、このような働きの一方で、国内にいるときには、短かった結婚生活の場所を訪れる人々のために、ブダペストにあるコダーイ記念館に、新しい花を飾るのを日課とされています。コダーイが亡くなって、42年の歳月が流れましたが、シャロルタのこの変わらぬ姿が、人々の敬愛を集めています。 


     本     本     本     本     本     本

 コダーイが、その講演『よい音楽家とは?』の前半(1.)で引用したシューマンの『音楽の家訓と処世訓(または養生訓)』は、吉田秀和氏の邦訳になる、シューマン著 『音楽と音楽家』(岩波文庫、初版 : 昭和33年7月25日)の<第五部 1844年以後> - 2 「音楽の座右銘」として掲載されています。

 ご紹介にあたり、吉田秀和氏の翻訳を参考にさせていただきました。
 ここに改めて、心からの感謝とお礼を申しあげます。

 下記に、ドイツ語原文を載せておきます。ドイツ語を勉強されている方の参考になれば、幸いです。

 このシューマンの手稿原文は、音楽雑誌『音楽新報 Die Neue Zeitschrift für Musik 』 (1850年第32巻36号付録)に発表されたものを、テクストとしました。

 音楽雑誌『音楽新報』は、現在でも、下記のサイトで読むことができます。

本 Musik der Zeit - die website der neuen zeitschrift für musik

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本 Musikalische Haus- und Lebensregeln


Die Bildung des Gehörs ist das Wichtigste. Bemühe dich frühzeitig, Tonart und Ton zu erkennen. Die Glocke, die Fensterscheibe, der Kuckuck ─ forsche nach, welche Töne sie angeben. ─

Du sollst Tonleitern und andere Fingerübungen fleißig spielen. Es gibt aber viele Leute, die meinen damit Alles zu erreichen, die bis in ihr hohes Alter täglich viele Stunden mit mechanischem Üben hinbringen. Das ist ungefähr ebenso, als bemühe man sich täglich das ABC möglichst schnell und immer schneller auszusprechen. Wende die Zeit besser an. ─

Man hat sogenannte “stumme Claviaturen” erfunden, versuche sie eine Weile lang, um zu sehen, daß sie zu nichts taugen. Von Stummen kann man nicht sprechen lernen. ─

Spiele im Tacte! Das Spiel mancher Virtuosen ist wie der Gang eines Betrunkenen. Solche nimm dir nicht zum Muster. ─

Lerne frühzeitig die Grundgesetze der Harmonie. ─

Fürchte dich nicht vor den Worten: Theorie, Generalbaß, Contrapunkt etc.; sie kommen dir stets freundlich entgegen, wenn du dasselbe tust. ─

Klimpere nie! Spiele immer frisch zu, und nie ein Stück halb. ─

Schleppen und eilen sind gleich große Fehler. ─

Bemühe dich, leichte Stücke gut und schön zu spielen; es ist besser, als schwere mittelmäßig vorzutragen. ─

Du hast immer auf ein rein gestimmtes Instrument zu halten. ─

Nicht allein mit den Fingern mußt du deine Stückchen können, du mußt sie dir auch ohne Clavier vorträllern können. Schärfe deine Einbildungskraft so, daß du nicht allein die Melodie einer Composition, sondern auch die dazu gehörige Harmonie im Gedächtniß festzuhalten vermagst. ─

Bemühe dich, und wenn du auch nur wenig Stimme hast, ohne Hilfe des Instrumentes vom Blatt zu singen; die Schärfe deines Gehörs wird dadurch immer zunehmen. Hast du aber eine klangvolle Stimme, so säume keinen Augenblick sie auszubilden, betrachte sie als das schönste Geschenk, das dir der Himmel verliehen. ─

Du mußt es so weit bringen, daß du eine Musik auf dem Papier verstehst. ─

Wenn du spielst, kümmere dich nicht darum, wer dir zuhört! ─

Spiele immer, als hörte dir ein Meister zu. ─

Legt dir Jemand eine Composition zum erstenmal vor, daß du sie spielen sollst, so überlies sie erst. ─

Hast du dein musikalisches Tagewerk gethan und fühlst dich ermüdet, so strenge dich nicht zu weiterer Arbeit an. Besser rasten, als ohne Lust und Frische arbeiten. ─

Spiele, wenn du älter wirst, nichts Modisches. Die Zeit ist kostbar. Man müßte hundert Menschenleben haben, wenn man nur alles Gute, was da ist, kennen lernen wollte. ─

Mit Süßigkeiten, Back- und Zuckerwerk zieht man keine Kinder zu gesunden Menschen. Wie die leibliche, so muß die geistige Kost einfach und kräftig sein. Die Meister haben hinlänglich für die letztere gesorgt; haltet euch an diese. ─

Aller Passagenkram ändert sich mit der Zeit; nur, wo die Fertigkeit höheren Zwecken dient, hat sie Werth. ─

Schlechte Compositionen mußt du nicht verbreiten, im Gegentheil sie mit aller Kraft unterdrücken helfen. ─

Du sollst schlechte Compositionen weder spielen, noch, wenn du nicht dazu gezwungen bist, sie anhören. ─

Such‘ es nie in der Fertigkeit, der sogenannten Bravour. Suche mit einer Composition den Eindruck hervorzubringen, den der Componist im Sinne hatte; mehr soll man nicht; was darüber ist, ist Zerrbild. ─

Betrachte es als etwas Abscheuliches, in Stücken guter Tonsetzer etwas zu ändern, wegzulassen, oder gar neumodische Verzierungen anzubringen. Dies ist die größte Schmach, die du der Kunst anthust. ─

Wegen der Wahl im Studium deiner Stücke befrage Ältere; du ersparst dir dadurch viel Zeit. ─

Du mußt nach und nach alle bedeutenderen Werke aller bedeutender Meister kennen lernen. ─

Laß dich durch den Beifall, den sogenannte große Virtuosen oft erringen, nicht irre machen. Der Beifall der Künstler sei dir mehr werth, als der des großen Haufens. ─

Alles Modische wird wieder unmodisch, und treibst du's bis in das Alter, so wirst du ein Geck, den Niemand achtet. ─

Viel Spielen in Gesellschaften bringt mehr Schaden als Nutzen. Sieh dir die Leute an; aber spiele nie etwas, dessen du dich in deinem Innern zu schämen hättest. ─

Versäume aber keine Gelegenheit, wo du mit Anderen zusammen musicieren kannst, in Duo’s, Trio’s etc. Dies macht dein Spiel fließend, schwungvoll. Auch Sängern accompagnire oft. ─

Wenn Alle erste Violine spielen wollten, würden wir kein Orchester zusammen bekommen. Achte daher jeden Musiker an seiner Stelle. ─

Liebe dein Instrument, halte es aber nicht in Eitelkeit für das höchste und einzige. Bedenke auch, daß es noch andere und ebenso schöne gibt. Bedenke auch, daß es Sänger gibt, daß im Chor und Orchester das Höchste der Musik zur Aussprache kommt. ─

Wenn du größer wirst, verkehre mehr mit Partituren, als mit Virtuosen. ─

Spiele fleißig Fugen guter Meister, vor Allen von Joh. Seb. Bach. Das wohltemperirte Clavier“ sei dein täglich Brot. Dann wirst du gewiß ein tüchtiger Musiker. ─

Suche unter deinen Kameraden die auf, die mehr als du wissen. ─

Von deinen musikalischen Studien erhole dich fleißig durch Dichterlectüre. Ergehe dich oft im Freien! ─

Von Sängern und Sängerinnen läßt sich Manches lernen, doch glaube ihnen auch nicht Alles. ─

Hinter den Bergen wohnen auch Leute. Sei bescheiden! Du hast noch nichts erfunden und gedacht, was nicht Andere vor dir schon gedacht und erfunden. Und hättest du's, so betrachte es als ein Geschenk von Oben, was du mit Anderen zu theilen hast. ─

Das Studium der Geschichte der Musik, unterstützt vom lebendigen Hören der Meisterwerke der verschiedenen Epochen, wird dich am schnellsten von Eigendünkel und Eitelkeit curiren. ─

Ein schönes Buch über Musik ist das Ueber Reinheit der Tonkunst“ von Thibaut. Lies es oft, wenn du älter wirst. ─

Gehst du an einer Kirche vorbei und hörst Orgel darin spielen, so gehe hinein und höre zu. Wird es dir gar so wohl, dich selbst auf die Orgelbank setzen zu dürfen, so versuche deine kleinen Finger und staune vor dieser Allgewalt der Musik. ─

Versäume keine Gelegenheit dich auf der Orgel zu üben; es gibt kein Instrument, das am Unreinen und Unsauberen im Tonsatz wie im Spiel alsogleich Rache nähme, als die Orgel. ─

Singe fleißig im Chor mit, namentlich Mittelstimmen. Dies macht dich musikalisch. ─

Was heißt denn aber musikalisch sein? Du bist es nicht, wenn du, die Augen ängstlich auf die Noten gerichtet, dein Stück mühsam zu Ende spielst; du bist es nicht, wenn du (es wendet dir Jemand etwa zwei Seiten auf einmal um) stecken bleibst und nicht fortkannst. Du bist es aber, wenn du bei einem neuen Stück das, was kommt, ohngefähr ahnest, bei einem dir bekannten auswendig weißt, ─

mit einem Worte, wenn du Musik nicht allein in den Fingern, sondern auch im Kopf und Herzen hast. ─

Wie wird man aber musikalisch? Liebes Kind, die Hauptsache, ein scharfes Ohr, schnelle Auffassungskraft, kommt, wie in allen Dingen, von Oben. Aber es läßt sich die Anlage bilden und erhöhen. Du wirst es nicht dadurch, daß du dich einsiedlerisch Tage lang absperrst und mechanische Studien treibst, sondern dadurch, daß du dich in lebendigem, vielseitig-musikalischem Verkehr erhältst, namentlich dadurch, daß du viel mit Chor und Orchester verkehrst. ─

Mache dich über den Umfang der menschlichen Stimme in ihren vier Hauptarten frühzeitig klar; belausche sie namentlich im Chor, forsche nach, in welchen Intervallen ihre höchste Kraft liegt, in welchen andern sie sich zum Weichen und Zarten verwenden lassen. ─

Höre fleißig auf alle Volkslieder; sie sind eine Fundgrube der schönsten Melodien und öffnen dir den Blick in den Charakter der verschiedenen Nationen. ─

Übe dich frühzeitig im Lesen der alten Schlüssel. Viele Schätze der Vergangenheit bleiben dir sonst verschlossen. ─

Achte schon frühzeitig auf Ton und Charakter der verschiedenen Instrumente; suche ihre eigenthümliche Klangfarbe deinem Ohr einzuprägen. ─

Gute Opern zu hören, versäume nie. ─

Ehre das Alte hoch, bringe aber auch dem Neuen ein warmes Herz entgegen. Gegen dir unbekannte Namen hege kein Vorurtheil. ─

Urtheile nicht nach dem Erstenmalhören über eine Composition; was dir im ersten Augenblick gefällt, ist nicht immer das Beste. Meister wollen studirt sein. Vieles wird dir erst im höchsten Alter klar werden. ─

Bei Beurtheilung von Compositionen unterscheide, ob sie dem Kunstfach angehören, oder nur dilettantische Unterhaltung bezwecken. Für die der ersten Art stehe ein; wegen der anderen erzürne dich nicht! ─

“Melodie” ist das Feldgeschrei der Dilettanten, und gewiß, eine Musik ohne Melodie ist gar keine. Verstehe aber wohl, was jene darunter meinen; eine leichtfaßliche, rhythmisch-gefällige gilt ihnen allein dafür. Es gibt aber auch andere anderen Schlages, und wo du Bach, Mozart, Beethoven aufschlägst, blicken sie dich in tausend verschiedenen Weisen an: des dürftigen Einerlei’s namentlich neuerer italienischer Opernmelodien wirst du hoffentlich bald überdrüssig. ─

Suchst du dir am Clavier kleine Melodien zusammen, so ist das wohl hübsch; kommen sie dir aber einmal von selbst, nicht am Clavier, dann freue dich noch mehr, dann regt sich in dir der innere Tonsinn. ─

Die Finger müssen machen, was der Kopf will, nicht umgekehrt. ─

Fängst du an zu componiren, so mache Alles im Kopf. Erst wenn du ein Stück ganz fertig hast, probire es am Instrumente. Kam dir deine Musik aus dem Innern, empfandest du sie, so wird sie auch so auf Andere wirken. ─

Verlieh dir der Himmel eine rege Phantasie, so wirst du in einsamen Stunden wohl oft wie festgerannt am Flügel sitzen, in Harmonien dein Inneres aussprechen wollen, und um so geheimnißvoller wirst du dich wie in magische Kreise gezogen fühlen, je unklarer dir vielleicht das Harmonienreich noch ist. Der Jugend glücklichste Stunden sind diese. Hüte dich indessen, dich zu oft einem Talente hinzugeben, das Kraft und Zeit gleichsam an Schattenbilder zu verschwenden dich verleitet. Die Beherrschung der Form, die Kraft klarer Gestaltung gewinnst du nur durch das feste Zeichen der Schrift. Schreibe also mehr, als du phantasirst. ─

Verschaffe dir frühzeitig Kenntniß vom Dirigiren, sieh dir gute Dirigenten oft an; selbst im Stillen mit zu dirigiren, sei dir unverwehrt. Dies bringt Klarheit in dich. ─

Sieh dich tüchtig im Leben um, wie auch in anderen Künsten und Wissenschaften. ─

Die Gesetze der Moral sind auch die der Kunst. ─

Durch Fleiß und Ausdauer wirst du es immer höher bringen. ─

Aus einem Pfund Eisen, das wenig Groschen kostet, lassen sich viele tausend Uhrfedern machen, deren Werth in die Hunderttausend geht. Das Pfund, das du von Gott erhalten, nütze es treulich. ─

Ohne Enthusiasmus wird nichts Rechtes in der Kunst zu Wege gebracht. ─

Die Kunst ist nicht da, um Reichtümer zu erwerben. Werde nur ein immer größerer Künstler; alles andere fällt dir von selbst zu. ─

Nur erst, wenn dir die Form ganz klar ist, wird dir der Geist klar werden. ─

Vielleicht versteht nur der Genius den Genius ganz. ─

Es meinte Jemand, ein vollkommener Musiker müsse im Stande sein, ein zum erstenmal gehörtes, auch complicirteres Orchesterwerk wie in leibhaftiger Partitur vor sich zu sehen. Das ist das Höchste, was gedacht werden kann. ─

Es ist des Lernens kein Ende. ─

 「勉強に終わりというものはない。─ 」

 本当に、そのとおりですね。

本 Album für die Jugend ─ Wikipedia

プレゼント YouTube Schumann "Album for the Young, Op.68" - No.6 Armes Waisenkind
プレゼント YouTube Schumann "Album for the Young, Op.68" - No.9 Volksliedchen
プレゼント YouTube Schumann "Album for the Young, Op.68" - No.10 Frohlicher Landmann
プレゼント YouTube Schumann "Album for the Young, Op.68" - No.14 Kleine Studie
プレゼント YouTube Schumann "Album for the Young, Op.68" - No.35 Mignon
プレゼント YouTube Schumann "Album for the Young, Op.68" - No.38 Winterzeit

 それでは、また!

Yours Musicaly 空っぽの皿 ♪♪


posted by 空っぽの皿 at 19:32| パリ 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

◆ バルトーク : 枝 葉 ( 補 遺 )

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本 Béla Bartók Essays 著者: Béla Bartók, 編者: Benjamin Suchoff

 すべてではありませんが、英語で読むことができます。

プレゼント YouTube BARTÓK BÉLA
プレゼント Bartók Béla Emlékház バルトーク記念館(英語)

本 コダーイ・ゾルターン ─ Wikipedia

プレゼント YouTube Kodály Zoltán: Öregek
プレゼント YouTube Kodaly - Romance Lyrique

本 アニー・フィッシャー ─ Wikipedia

プレゼント YouTube Bartók 15 Hungarian Peasant Songs - Annie Fischer (1/2)
プレゼント YouTube Bartók 15 Hungarian Peasant Songs - Annie Fischer (2/2)


◆ ハンガリーの 枝 葉 : コズマの 枯 葉

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プレゼント YouTube Sartre / Kosma - Dans la rue des Blancs Manteaux (Juliette Greco)

本 コズマ・ヨージェフ Kozma József ─ Wikipedia

プレゼント YouTube Juliette Greco - Je suis comme Je suis (Prevert-Kosma) & Interview

プレゼント YouTube Joseph Kosma - Chansons pour les enfants l'hiver - En sortant de l'école

プレゼント YouTube Yves Montand - Page d'ecriture (Prevert-Kosma)
プレゼント YouTube Yves Montand - En sortant de l'école (Prevert-Kosma)
プレゼント YouTube Yves Montand - Tournesol (Prevert-Kosma)


プレゼント YouTube 枯葉 Autumn Leaves - 1966 BILL EVANS
プレゼント YouTube Les Feuilles Mortes_Yves Montand à l´Olympia
プレゼント YouTube " Autumn Leaves " Chet Baker - Paul Desmond
プレゼント YouTube Stan Getz-Autumn Leaves
プレゼント YouTube Autumn leaves
プレゼント YouTube Andrea Bocelli ft. Veronica Berti 'Les Feuilles Mortes'
プレゼント YouTube Cannonball Adderley feat. Miles Davis " Autumn Leaves"
プレゼント YouTube Edith Piaf - Autumn Leaves (Les Feuilles Mortes)

プレゼント YouTube Hana Hegerová - Co mi dáš [Les Feuilles Mortes] (1985)
プレゼント YouTube Autumn Leaves (J.Kosma) on bayan played by Borys Myronchuk

プレゼント YouTube Les Feuilles Mortes - Andrea Bocelli

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2009年06月09日

◆ うたのおくりもの : 辻井 伸行

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プレゼント NEW Welcome to the 2009 Cliburn Competition Webcast !

 Click here をクリックをしてください。
 次に、下段の Nobuyuki Tsujii をクリックしてください。
 現在、回線が混み合っているので、彼の映像を見ることができないかもしれません。
 隣りの Zhang, Haochen の映像は見ることができますので、そちらの演奏をお楽しみください。

プレゼント YouTube Cliburn 2009 Nobuyuki Tsujii Semifinal Recital
プレゼント YouTube Cliburn 2009 Nobuyuki Tsujii

 おめでとう!! 辻井 伸行 さん

本 The Van Cliburn Foundation

プレゼント YouTube 全盲の天才ピアニスト 辻井伸行 Blind genius pianist Nobuyuki Tsujii

プレゼント YouTube 川のささやき - 辻井伸行

 みなさまも、よい1日を!!


メール ティンクさん

 コメントありがとうございます。
 ティンクさんのコメントのなかにあった曲を、ここで改めてご紹介しておきます。

プレゼント YouTube Kapustin/"8 Concert Etudes for Piano Op.40-2" Tsujii

 本当に素直で、誠実で、謙虚で、<夢>や希望を与えてくれる音楽を語りかけてくる演奏ですね。温かで、純真な人柄が心に響きます。

 辻井さんが、「まだ小さな頃」の演奏がありました ──

プレゼント YouTube Nabuyuki Tsujii plays Chopin

 それでは、また!


posted by 空っぽの皿 at 14:15| パリ 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月08日

◆ ラプソディア αψδία, rhapsodia

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プレゼント YouTube Béla Bartók at the piano Hungarian Folk Music Katie Kadar
プレゼント YouTube Béla Bartók at the piano Rumanian Folk Dances
プレゼント YouTube Bartók plays 10 Easy Pieces/15 Hungarian Peasant Songs

 先ず最初に、前述したバルトークの『音楽における種の純潔性』についてですが、「種の純潔性」とは、ナチスの用語法のひとつです。よく読んでいただけるとお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、バルトークは、一種の反語、相手と同じ言葉を使って、意味を反転させるアイロニカルな論法をとっています。つまり、「種の純潔性」という言葉を逆手にとって、文化が混沌、あるいは多様性のなかからしか生まれ出ないことを論じています。このアイロニカルな論法は、バルトークの記述に多くみられる特徴のひとつです。

 次に、『ハンガリーの民俗音楽』の論文の後半部を、抜粋し、引用します ──

 さて、最後に、“ もともとハンガリー自身のもの ” として外国で非常によく知られている芸術音楽の作品のなかで、ハンガリーの民俗音楽がどのような役割を果たしているかということについて、ここで触れておきたいと思います。ところで、私はリストの《ハンガリー狂詩曲》とブラームスの《ハンガリー舞曲》を考えているのですが、実は、これらの有名な曲の中には、真の意味での民謡は1つもありません。リストとブラームスが自身の作品に用いた曲のすべては、いわゆるディレッタント音楽家(素人音楽家)の作曲になるものでした。その理由はほかでもなく、リストやブラームスの時代には、いわゆる教養人と呼ばれた人たちの間で、実際の民俗音楽についてほとんど何も知られていなかったということと、また仮に、何か知っていたとしても、そうした人たちにとっては、民謡とは単に“ 民衆の歌 ” という集合名詞にまとめられているような曲にすぎず、民謡も民衆的な通俗歌もいっしょくたに考えられていたということです。

 ところで、リストがジプシーについて書いた著書の中で犯した誤りは、さらに著しいものです。彼は、ジプシーたちが演奏している曲や、リスト自身の作品に用いた曲が、実際ジプシーの創作になるものである、と信じているのです。そして、彼によりますと、ハンガリーの農民たちの音楽には何らの音楽的価値もない、というわけです。これから見ても、リストが農民音楽については何も知らなかったことは明らかです。・・・ ましてや農民音楽を体系的に収集しようなどとは、夢にも考えて見なかったことでしょう。・・・ 農民たちは、都会の紳士たちの前では、どうしようもないほどにきまって、最も新しい、いわば都会から来たての歌を歌い始めるのが常だからです。つまり、そのような歌こそが、都会の紳士の前で歌うのに最もふさわしいものだと信じ込んでいるのです。そして、長い間さんざん手間どらせたあげくに、ようやく私たちの前に、村の宝物を持ち出してくるというわけです。

・・・

 ジプシーたちは、いつも注文者の願う音楽を演奏するのが慣わし(習わし)です。ですから、貴族たちには、貴族階級出身のディレッタント音楽家の曲を演奏し、農民たちには、村の農民音楽を演奏してきました。そして、もしも農民たちに、特別に演奏してもらいたいという注文がない時には、ジプシーたちは、曲の区別も選択もなしに、自分たちの気に入りの曲で農民たちを楽しませるのです。こうして、民衆的な通俗歌が農民たちの間で広められてゆきました。彼らは、何といっても貴族階級に奉仕する音楽家たちでしたので、演奏する曲が民衆的な通俗歌で充ち溢れていただけでなく、その演奏の中には自然なものは何もありませんでした。その上、彼らは、聴衆のために演奏した曲のいずれも、彼らふうに作り変えてしまいました。つまり、節度のない、感情過多なルバートや、旋律をごてごてと塗りたくる装飾音によって、すべての曲を、もはや原曲の見分けがつかないほどまでバルランド・ルバードに変形してしまいました。・・・

 ・・・ 

 それはともかくとして、リストの《ハンガリー狂詩曲》やブラームスの《ハンガリー舞曲》の中に使われている曲が、ジプシーの創造になるものではなく、ディレッタント音楽家による民衆的な通俗曲であることは全く明らかです。そして、こういった通俗曲の作曲家たち、つまり教養あるディレッタント音楽家たちの名前はほとんど全部が知られているのです。


 さて、あなたは、どのように感じられましたか?
 日本語版ウィキペディアの『フランツ・リスト < 3. 帰属にまつわる逸話 > 』の中にあるように、「後にバルトークはこれを厳しく批判している」のでしょうか?


プレゼント YouTube Jung Lin Performing Liszt's "Hungarian Rhapsody no 2"
わーい(嬉しい顔) Welcome to Jung Lin.com

プレゼント YouTube 2008 入賞者記念 加藤 大樹/ リスト:ハンガリア狂詩曲 第2番

本 リスト 『ハンガリーにおけるジプシーとその音楽』 1857年
LISZT, Franz, Des Bohémiens et de leur musique en Hongrie. Paris, 1857
(画面の右ページをクリックするか、→ をクリックしながら読むことができます。)

 リストは、この書物の冒頭部分で、ドイツのヘーゲルの美学を数ページにわたって引用しています。そこには次のような一文があります。

 「あらゆる重要な民族は、その民族の本源的精神を表明した原初的書物を持っている。」

 そして、この原初的書物は、通常「叙事詩」として伝えられてきた、とリストは述べています。これはたとえば、日本の『古事記』や、琵琶法師たちが謡い継いだ『平家物語』などを想起していただければ、わかりやすいかも知れません。つまり、ある種の叙事詩が、民族の固有のものとして、語り継がれていて、それがその民族の拠り所となっていた、という事態を指しています。

 ところが、ハンガリーには、そのような民族叙事詩は伝えられてはいません。そこで、リストはヘーゲールの言葉を利用しながら、「このような叙事詩は必ずしも書物という形態を採らなくても良い」のであって、「場合によっては<音楽>の形でも良い」。そして、ハンガリーの場合は、「ジプシーたちの音楽(当時の概念からすれば「ハンガリー音楽」)のなかに」、そのような「叙事詩の断片が伝えられているのである」、というあまり論理的ではない論理を展開します。リストによれば、ジプシーが演奏し、ハンガリー人が自らの精神を反映していると感じて愛し、保護してきた音楽こそが、ハンガリー人にとっての民族叙事詩である、という1つの結論を導きます。

 そして、リストが《ハンガリアン・ラプソディ》という曲集で行なったことというのは、そのようなジプシー音楽の中に伝えられたきた叙事詩の断片を、祖国を代表する音楽家であるリスト自身が、音によって完全な叙事詩として再構成してみせましょう、という壮大かつ奇怪なものでした。

 ちなみに、「ラプソディー」という言葉をリスト本人が用いた時代には、その歴史的由来が、はっきり意識されていました。つまり、古代ギリシアにおける叙事詩の語り手ラプソドス Ραψωδός 、英語のラプソード Rhapsode に遡って、この曲名には、そのような叙事詩人の歌う詩の断片という意味が込められていました。

本 狂 詩 曲 ─ ウィキペディア
本 《 ハンガリー狂詩曲 》 ─ ウィキペディア

 「ハンガリーの民謡は、・・・ あまりにも単純で、不完全なので、強い印象を与えたものではなく、これが他の世界でも好まれたり、すでに人気のある他の叙事的音楽と同列に扱われるとは思えない。これに対して、ジプシーたちが演奏する器楽曲はどんな芸術音楽にもひけをとらないものである。」

 つまり、リストにとって、ハンガリー農民音楽はつまらないものでしかありませんでした。けれど、ハンガリーへの思い入れをもっていたリストは、そこでより魅力的だったジプシー音楽を、むりやりハンガリーの精髄である、と主張することで祖国の文化的面目をなんとか保とうとしたのかも知れません。

 でも、リストはそのつもりでも、これじゃねえ・・・。
 当然ここにはさまざまな批判が出てきますよね。
 
 バルトークは若い頃、この祖国の英雄の作品を徹底的に研究し、自分の作曲の出発点としました。けれど同時に、リストのハンガリー音楽に関する理解には、当然のことながら、納得できないところがありました。

 だからといって、バルトークの文章を鵜呑みにして、リストを「厳しく批判」したのでしょうか。ぼくには、バルトークの文章は、むしろリストを擁護しているように読みとれます。リストのことを語りながら、バルトークが、実は、自分のことを語り、そして周囲の無理解に対して痛烈な非難を浴びせているのではないでしょうか。バルトークの文章がもつ特殊なアイロニー、複雑なニュアンスを感じとっていただければ幸いです。その上で、どう判断されるかは、読者のみなさまに委ねます。


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クラブ 中央の画: 1951年に刊行された『バルトーク書簡集』初版の表紙
クラブ 右側の画: 1923年3月、ロンドン、バルトーク(中央)とイェリー(左)とアディラ(右)の姉妹。

本 『バルトーク書簡集 Bartók Béla levelei 』 より

本 参考・参照文献 本

Demény János (közr.) Bartók Béla levelei- Budapest: Zeneműkiadó, 1976.(5th edn, 5版)

Bartók Béla ifj. Gombozcné Konkoly Adrienne (közr.) Bartók Béla családi levelei. Budapest: Zeneműkiadó, 1981.

 (közr) は、編集者の略。ifj. は、ジュニア(jr.)のこと。


メール 1902年11月12日付 バルトークの手紙

 アラーニ家は、とても面白い。まず、彼らはヨアヒムの親戚です(アラーニ姉妹の父方の祖母が、ヨアヒムの妹にあたります)。そして、この家では、まったくドイツ語が聞かれないのですが、それは、単に誰もドイツ語ができないからです。この点では、彼らはブタペストでは珍しい家族です(彼らは、ドイツ語よりむしろフランス語のほうが得意なようです)。


 ブダペスト音楽院在学中に、バルトークは、イェリーの姉ティティにピアノを教えるようになりました。この頃、末娘のイェリーはまだ9歳の子供でした。アラーニ家の長女アディラと次女ティティは、その後、演奏家として有名になり、ロンドンを主な活動拠点とするようになりますが、第1次世界大戦の折、帰国する機会を逸し、ハンガリーの出身であることを隠すため、姓をアラーニ Arányi からダラーニ d'Arányiというフランス風の姓を名乗るようになりました。

本 ヨーゼフ・ヨアヒム ─ Wikipedia
本 アディラ・ファーキリ ─ Wikipedia
本 イェリー・ダラーニ ─ Wikipedia

 大戦後の1921年、ルカーチ家に居候していたバルトークのもとに、イェリーが訪ねて来ます。成長したイェリーの演奏にすっかり魅せられ、刺激されたバルトークは、創作のブランクから脱け出すかのように、ヴァイオリン・ソナタの作曲にとりかかります。

メール 1921年10月19日付、妻マールタからバルトークの母宛ての手紙

 私は、これほどすばらしい「驚き」を誕生日に受け取ったことはありません! <本当に我を忘れてしまいそう>(この部分だけドイツ語)。ベーラのニュースが、私を驚かせたのです ── 彼は作曲しています! ようやく。誕生祝いとして彼が作曲中のヴァイオリン・ソナタを見せてくれたとき、私は嬉しくてたまりませんでした。・・・ これよりすばらしいプレゼントなんてあるでしょうか? 本当にうれしいことです。ここ数年のひどい出来事のせいで、ベーラの創造力が弱ってしまったのではないかと、どれほど心配したことでしょう。そして、イェーリ・アラーニにはどれほど感謝していることか。彼女のすばらしいヴァイオリンの演奏が、ベーラを(彼の言うところの)長い休暇から救ってくれたのですから。


プレゼント YouTube Bartok violinsonata 1 mvt3 Oistrakh Richter
プレゼント YouTube Kyung Wha Chung plays Bartok violin sonata No.2 (2nd Mov)


 イェーリの演奏は、「極めて活発で、情熱的なものだった」と、当時の演奏批評に、記されています。そしてなによりも、彼女の演奏を念頭において書かれた2曲のヴァイオリン・パートの性格が、その演奏の方向性を物語っています。この2曲のソナタは、バルトーク作品のうちでも最も冒険的で、前衛的な響きをもつものとして知られていますが、バルトークをこのような響きへと駆り立てた要因のひとつに、イェーリという存在があったことを忘れてはなりません。

 翌1922年、バルトークとイェーリはまず、ロンドンで演奏会を開き、さらにパリに向かいます。4月8日のパリでの演奏会後、このツアーを企画したアンリ・プルニェール(音楽雑誌『ラ・ルヴュ・ミュジカル』の主宰者)の家に招かれます。そしてこの晩餐会は、おそらく20世紀の音楽史のなかでも、もっとも心ときめく晩餐会だったのではないでしょうか。

メール 1922年4月10日付、妻マールタ宛ての手紙

 あぁ、パリの演奏会が終わったよ! ・・・ 5時からの演奏会後、夜8時からプルニェール家で(打ち上げなしで)晩餐があり、そこにはラヴェル、シマノフスキー、ストラヴィンスキーにバルトークが集まった。つまり、音楽史上特筆すべき出来事が起こったわけだ(とイェリーが言ったんだ)。あとはシェーンベルクさえいてくれればね。夕食のあと、さらにミヨー、プーランク、オネゲル、アルヴェール・ルーセル、そしてマリア・フロイント、カプレ(指揮者)、あるいはほかにも多くの音楽家やアマチュアがやって来た。この選りすぐりのメンバーの前で、僕たちはもう一度ソナタ(第1番)を演奏した。ラヴェルが僕の横に座って譜めくりをしてくれ、左にはミヨーがいて楽譜を覗き込み、イェリーの譜面はプーランクがめくった。熱狂的な反応だったが、これは曲のせいばかりではなく、イェリーの演奏のせいでもあった。・・・ ラヴェルとプーランクは第2、第3楽章が、ミヨーは第1楽章が、ストラヴィンスキーは第3楽章が特に気に入った。といっても、ストラヴィンスキーの意見については、挨拶もなくどこかほかのところへ行ってしまったので、間接的に聞き得ただけだ。・・・ ラヴェルとはそんなに話さなかった ── 僕よりずっと背が低く、非常に細身。話しぶりはとても辛辣だ。


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TV Elgar's Tenth Muse (1996)
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喫茶店 YouTube Elgar's Tenth Muse 2

本 ELGAR'S TENTH MUSE (日本語解説サイト)

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Maurice Ravel au piano 1912.jpgszigeti.jpg
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プレゼント YouTube Sarah Chang - Ravel Tzigane (Berlin Philharmonic Orchestra)
プレゼント YouTube David Oistrakh plays Ravel Tzigane

本 ツィガーヌ ─ Wikipedia
本 ロマ ─ Wikipedia ジプシー自身の言葉ロマニ Romani に由来します。英語では、Romani people. と表記します。


 1924年、ラヴェルは《ツィガーヌ》を作曲します。その2年前の1922年6月、ラヴェルは演奏旅行のためにイギリスに向かいます。そこで、ラヴェルはイェリー・ダラーニに再会します。あのプルニェール邸での晩餐会の約2ヶ月後のことでした。ラヴェルは彼女にジプシー風の旋律を弾いてくれと頼みます。その即興の演奏は、ラヴェルの希望で延々と続けられ、朝の5時までかかり、これが《ツィガーヌ》作曲のきっかけになりました。

 ラヴェルは、この「ジプシー風」音楽を、あえてリストの《ハンガリアン・ラプソディー》の末裔として書きます。そして、この作品のサブ・タイトルに< 演奏会用ラプソディー une rhapsodie de concert >と付けています。また、後年の自伝草稿では、「ハンガリアン・ラプソディーの精神に則って書かれたヴィルトゥオーソのための作品」と明記しています。

 ラヴェルは、この作品をジプシー的語法で埋め尽くしましたが、それに共感しているわけではありません。彼は、ジプシー音楽の「本質」を捉えるつもりなどなく、ただその精巧なイミテーションを作ろうとしただけでした。ラヴェルの評伝で有名なジャンケレヴィッチのいうところの、「仮面(マスク)」の1つにすぎませんでした。

 この時代特有のフランス流洗練のあり方として、《ツィガーヌ》は、本物、自然を排し、偽物、人工物を偏愛する、この屈折した美意識の産物でした。ラヴェルはよく、自分の持ち物・調度品などを人に見せて、「でもこれは偽物でして」と言って、周囲の人たちを驚かせていたそうです。

 もし、「ジプシー音楽」が、バルトークのいうように「まがいもの」であったなら、ラヴェルにとってそれは、いっそう魅力的な素材でした。ラヴェルの美意識は、ともすればオリジナル志向に傾きがちなバルトークの芸術とは、根本的に対立していたのです。

 ラヴェルの《ツィガーヌ》のコンセプトは、バルトークの民俗音楽研究にとって、痛烈なアイロニーとなっています。「ジプシー音楽」が真の民謡ではないことは認めるとしても、でもそれは芸術的に無価値といえるのだろうか。科学的真偽と芸術の美醜に関連はあるのか。バルトークの研究が、その真偽を明らかにしたとして、彼の創作はそれに何らかの影響を及ばされるものなのか? ラヴェルの作品は、バルトークにこのような問いを投げかけました。


プレゼント YouTube Josef Szigeti, Béla Bartok: Rhapsody n°1

 では、この挑発的な作品を知ったバルトークは、どう感じたのでしょう?

 バルトークのラヴェルに対する反応が、実は1928年に書かれた2曲の《ラプソディー rapszódia 》だったのではないでしょうか。

 バルトークは、2曲を書き上げた段階で、ヴァイオリニストのセーケイを招き、「どちらかの曲を君に献呈する」と言いました。セーケイは、より冒険的で不思議な響きのする第2番を選択しました。そして、残った第1番を、シゲティに献呈します。

 リストに心酔していた若きバルトークは、1904年のピアノ作品に、この「ラプソディ」のタイトルを与えていますが、リストの民俗音楽観に疑念を持つようになってからのバルトークは、このタイトルを封印してきました。また、1938年12月1日の手紙では、「この題名を好まない」とも記しています。ではなぜこのタブーを破ってまで《ラプソディ》を作曲したのでしょうか。──

 シゲティは、「ラヴェルの<演奏会のためのラプソディ>という副題をもつ《ツィガーヌ》に対するプロテストだったのではないか」という推測をしています。

本 イェネー・フバイ ─ Wikipedia
本 セーケイ・ゾルターン ─ Wikipedia
本 ヨゼフ・シゲティ ─ Wikipedia


 バルトークの《ラプソディ》は、ハンガリー語で「ゆっくり」を表す「ラッシュー Lassú 」と、「速い」を表す「フリッシュ Friss 」との緩・急2部形式をとっています。これは、リスト以来の「ラプソディ」の定型を踏襲しています。

 Bartók: I. rapszódia
 1. Moderato (Lassú)
 2. Allegro moderato (Friss)

 Bartók: II. rapszódia
 1. Moderato (Lassú)
 2. Allegro moderato (Friss)

 そして、バルトークの《ラプソディ》は、ジプシーによるヴァイオリン旋律などをほぼそのままの形で用い、全体を一種の「コラージュ」として、まとめあげています。これは、以前のバルトークの主張からすれば、ジプシーによって「歪曲」されたものを使っていることになります。バルトークはこれらを意識的に用いており、この段階では、バルトークの考えに変化があったことが推測されます。

 1935年以降に書かれた、バルトーク自身の編纂による『ルーマニア民俗音楽 全5巻 Rumanian Folk Music I-V 』 (1967〜1975年) の序文の一部を読んでみましょう ──

本 Bartók Béla, Benjamin Suchoff ed., Rumanian Folk Music, The Hague : Martinus Nijhoff, 5 vols. 1967.1975.

 この書物の主題は民俗音楽であって、私はこのコレクションで、農民の音楽と村の生活の本質的1部となっているような人々、あるいは、その重要な役割によって、音楽的にこの生活に完全に同化しているような人々(つまり、ジプシーの音楽家たち)の音楽だけを問題にしました。ジプシーたちは、音楽的には村に住む人々に完全に溶け込んでおり、したがって彼らを除外する理由は何もありません。・・・ 

 けれど、農民とジプシーだけを問題にする、といっても何らかの選択は必要です。その際、気をつけなければならないのは、旋律の形式、あるいはその歌い方や演奏法が、都市の影響によって毒されていないか、という点にあります。


 これを読めば明らかのように、バルトークが問題にしているのは、ジプシーの音楽そのものではなく、より正確には、そこに見られる「都市の影響」です。つまり、1921年頃の「ジプシー / ハンガリー」という対立が、「都市 / 農村」という対立へと変化しています。そして、バルトークが自らの作品で使った旋律は、ジプシーの旋律ではあっても、リストの場合のように、都市の趣味によって毒されたものではなく、農村に完全に同化したものである、という点で、バルトークの基準に抵触するものではありませんでした。

 ラヴェルがやってみせたように、バルトークもここでジプシーの素材を用いて、《ラプソディ》を書いています。けれど、ラヴェルのように19世紀風の「ハンガリー=ジプシー音楽」の通念を利用するのではなく、自らが取材したジプシーの旋律を用いています。そして、ジプシーの旋律を用いながらも、過去の様式を皮肉な手つきで弄ぶのではなく、同時代の前衛に貢献し得ることを示してみせたのではないでしょうか。

 ほとんどポスト・モダンの手法に等しいラヴェルの姿勢と比べれば、バルトークの姿勢は、融通がきかず、生真面目に見えます。けれど、ラヴェルの《ツィガーヌ》とバルトークの《ラプソディー》を聴き比べてみると、僕にはバルトークの《ラプソディー》の方が、より自在で闊達に聴こえます。もちろん、これはどちらが正しい、という問題ではありません。20世紀を代表する2つの個性が、潜在的相互批判を繰り広げた軌跡として、僕たちはこれを読み取るべきではないでしょうか。


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喫茶店 YouTube Szigeti- Bach
喫茶店 YouTube The Art of Joseph Szigeti (vaimusic.com)
喫茶店 YouTube Szigeti plays Hubay Hungarian Rhapsody No 3
喫茶店 YouTube Joseph Szigeti- Hubay: The Zephyr
喫茶店 YouTube Kodály:Intermezzo from Háry János (Arr.Joseph Szigeti)

     喫茶店     喫茶店     喫茶店     喫茶店     喫茶店     喫茶店

 とある「種屋さん」から分けていただいた「一粒の種(たね)」、大切に育んできました。
 そして、どうやら立派な「一本の苗木」になったようです。
 ありがとうございました。

 「バルトークの叙事詩」として、この「苗木」に、「ラプソディア」という名をつけました。この「ラプソディア」が、育まれ、紡がれ、綴られ、語り継がれてゆかんことを願いながら、ここでの書き込みを終えます。

 さて、また新たな「種(シード Seed )」を見に「種屋さん」に行こうかな・・・
 ネタを探さなくちゃタネ わーい(嬉しい顔)

 そして最後に、Magyar 畑の Wikipédia 君、Français 畑の Wikipédia さん、English 畑の Wikipedia さん、日本語畑のウィキペディア君に、感謝とお礼を申し上げます。

 それでは、また!


クリスマス Yours Musicaly 空っぽの皿 ♪♪


posted by 空っぽの皿 at 08:34| パリ 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月04日

◆ うたのおくりもの : バルトーク 「ただ、清い、泉から Csak tiszta forrásból 」

Bartィョk in traveler's costume before making his first trip to Transylvania to study ethnic music..jpgListening to collected folksongs.jpg
Bartィョk recording folk_music.jpg
 プレゼント YouTube Bartók Three Hungarian Folksongs from the Csík District
 プレゼント YouTube Bartók, Piano Concerto No. 3 - Mov 2 (Martha Argerich)

クラブ 中央の画: 1908年、当時のハンガリー領ニトラ県ダラージュ村で、フォノグラーフ(ろう管蓄音機)を使って、スロヴァキア民謡を収集しているバルトークの写真。
クラブ 右側の画: イヤホーンを用いて採譜しているバルトーク。


 「・・・ バルトークその人こそ、他に例のないほどの警戒心と感受性とをもって世界の一切の動きを見張り、絶えず変化し、形づくられてゆく宇宙の声と、苦闘し続ける人類の新しい声とに、自らのうちにあって形を与えてゆく人である」。

 ── サボルチ・ベンツェ Szabolcsi Bence

本 サボルチ・ベンツェ 『バルトーク・ベーラの生涯 Bartók Béla élete képekben 』 より


     いす     いす     いす     いす     いす

メール 淡明さん

 さっそく、貴重な情報ありがとうございます。
 郷土料理は、ちょっと見た目は不気味だけれど、食べると、美味しいんでしょうね。
 水郷 柳川の町も行きたくなりますね。
 ごちそうさまでした。


本 映画「HOME 〜空から見た地球〜 」 公式サイト

TV YouTube HOME (FR)
TV YouTube HOME (English with subtitles)


     いす     いす     いす     いす     いす


 1914年、当時のハンガリー領マロシュ(現ルーマニア、トゥルグ・ムレシュ)で、バルトーク・ベーラ Bartók Béla は、コリンダ kolindá と呼ばれる、ルーマニアのクリスマスに歌われる歌を収集します。ちょうど、ヒトラーのファシズムの陰が重くのしかかって来た頃のことでした。バルトークは、このコリンダの歌詞に隠された深い意味を汲み取り、ハンガリー語に翻訳します。そして、まず『ルーマニアの民俗音楽 Román népzene 』という民謡集におさめます。

 「自分で自分が作曲家であるとわかった時から、私は私の理想を完全に自覚しています。すなわち、<民族は兄弟たれ>という理想、兄弟ならばすべての戦いや紛争はなくなります。力の限り音楽という手段をもって、この理想のために努力します。ですから、私は自分がどのような色に染まることをも恐れません。民族の泉は、そのもとがスロヴァキアであれルーマニアであれ、アラブであっても私は汲みます。ただその泉が本当に清く、新鮮で健康な泉でさえすれば!」

 バルトークは、後に声楽作品に用いるために、このコリンダの歌詞で、ひとつの物語を作りあげます。1930年に完成された、「テノール、バリトン、2つの合唱と管弦楽のための《カンタータ・プロファナ Cantata profanaCantata profana tenorra, baritonra és zenekarra vagy zongorára, avagy A kilenc csodaszarvas (Sz. 94, BB 100). 」 でした。サブ・タイトルには、< 9頭の不思議な雄鹿 A kilenc csodaszarvas > と付されています。コリンダにしばしば登場する鹿は、不思議な力をもつ動物と見なされています。《カンタータ・プロファナ》は、テクストだけがルーマニアのもので、テーマとなるものすべては、バルトークの創作です。

本 バルトーク『ハンガリーの民俗音楽 (A magyar népzene) 』
Bartók, "La Musique populaire Hongroise" La Revue Musicale (Paris) 1921


 ・・・ コリンダの歌の中に、西欧の敬虔なクリスマス歌に相当するようなものを考えてはなりません。コリンダの歌詞全体の3分の1に当たるいわば最も重要な部分は、キリスト教のクリスマスとはなんの関係もありません。つまり、ベツレヘムの物語の代わりに、たとえば、不敗といわれているライオン、あるいは鹿と人間との不思議な、輝かしい戦いの物語や、自分たち自身が鹿になってしまうまでに、おびただしい数の獲物を仕とめた9人の男兄弟の伝説や、太陽が姉である月をどのように妻に迎えたかについての不思議な物語(ラテン語系の言語では太陽は男性名詞であり、月は女性名詞)などが語られるのです。つまり、歌詞はもっぱらキリスト教摂取以前の異教徒時代の遺産なのです。異教徒民族にとっては、冬至が最も主要な祭りのひとつです。そして、偶然あるいは意図的かはわかりませんが、キリスト教のクリスマスの祭りが、ちょうど冬至の日に行なわれるようになったのです。ですから、キリスト教を受け入れた異教徒民族が、ふたつの祭りを無意識に同一視したとしても、まったく不思議ではありません。異教徒時代の歌詞が、こうも長い年月ののちにも、こうしていきいきと生き続けていることこそ、まったく不思議といわなくてはなりません。・・・


プレゼント YouTube Béla Bartók ─ Cantata Profana part I
プレゼント YouTube Béla Bartók ─ Cantata Profana part II
プレゼント YouTube Béla Bartók ─ Cantata Profana part III


Volt egy öreg apó.
Volt néki, volt néki
Kilenc szép szál fia
Testéből sarjadzott
Szép szál kilenc fia.
Nem nevelte öket
Semmi mesterségre,
Szántásra-vetésre,
Ménesterelésre;
Csordaterelésre:
Hanem csak nevelte
Hegyet-völgyet járni,
Szarvasra vadászni.

ある所に年老いた父親がいた。
彼には、その父親には、
9人の美しい息子がいた。
父親の血を分けた
9人の美しい息子。
父親はその9人の息子に
何の技も教えなかった。
耕すことも 種を蒔くことも、
馬を追うことも、
牛を飼うことも、彼らは知らなかった。
ただ山から谷へ走ること、
鹿に矢を当てること、
それが たったひとつの彼らのわざだった。

Az erdőket járta
És vadra vadászott
Kilenc szép szál fiú.
A vadra vadásztak,
Annyit barangoltak
És addig vadásztak,
Addig-addig, mígnem
Szép hídra találtak,
Csodaszarvasnyomra.
Addig nyomozgattak,
Utat tévesztettek,
Erdő sűrűjében
Szarvasokká lettek:
Karcsú szarvasokká váltak
Erdő sűrűjében.

森の中を走り
獲物の後を追う
9人の美しい息子、
林を越え 森をくぐり
獲物の後を追って
とうとう
美しい橋のたもとに出た。
そこには不思議な鹿の足跡。
それを辿って
道に迷った9人、
その森の奥深く
鹿になった9人の息子。
ほっそりと美しい
9頭の鹿になった息子たち。

Az ő édes apjok
Várással nem gyözte,
Fogta a puskáját,
Elindult keresni
Kilenc szép szál fiát.
Reátalált a szép hídra
Hídnál csodaszarvasnyomra;
Szarvasnyom után elindult,
El is jutott hüs forráshoz,
Hűs forrásnál szarvasokhoz.
Féltérdre ereszkedett,
Hej, egyre rá is célzott.
De a legnagyobbik szarvas
─ Jaj, a legkedvesebb fiú ─
Szóval imígy felfelele:
“ Kedves édes apánk,
Ránk te sose célozz!
Mert téged mi tüzünk
A szarvunk hegyére
És úgy hajigálunk
Téged rétről rétre,
Téged kőről köre,
Téged hegyről hegyre,
S téged hozzávágunk
Éles kősziklához:
Izzé-porrá zúzódsz
Kedves édes apánk! ”

とうとう待ちかねた
年老いた父親は
鉄砲を肩に
家を出た。
美しい9人の息子を捜すため。
やがて見つけた美しい橋、
そのたもとには不思議な鹿の足跡。
その足跡をつければ
冷たい泉の畔に遊ぶ鹿たち。
片足かがめて
さあ、撃とうと身構えた。
このとき、いちばん大きい鹿の声が、
── ああ、それがいちばん可愛い息子だった ──
父親の耳を震わせる、
「愛するやさしいお父さん、
ぼくたちを撃ってはいけない、
ぼくたちを狙うなら
ぼくらの尖った角の先は
あなたを 遠くへ遠くへ投げ飛ばす、
原から原へ
岩から岩へ
山から山へ
果てしなく転がって
お父さん、あなたの体は
粉微塵になってしまうのだ。
愛するやさしいお父さん! 」

Az ő édes apjok
Hozzájuk így szólott,
És híva hívta,
És őket hívó szóval hívta:
Édes szeretteim,
Kedves gyermekeim,
Gyretek, gyertek haza,
Gyertek vélem haza,
Jó anyátok vár már!
Jöjjetek ti vélem
A jó anyátokhoz,
A ti jó anyátok
Várva vár magához.
A fáklyák már égnek,
Az asztal is készen,
A serlegek töltve.
Az asztalon serleg,
Anyátok kesereg; ─
Serleg teli borral,
Jó anyátok gonddal.
A fáklyák már égnek,
Az asztal is készen,
A serlegek töltve...”

年老いた父親は
9人の息子に返事した。
叫んだ、叫んだ、
声を限りに 9人を呼んだ。
「可愛い息子たち
可愛い息子たち
帰っておいで
家に帰ろう、わたしと一緒に
愛するお母さんが待っている!
わたしと一緒に
お母さんの所に行こう
おまえたちのお母さんは
家でおまえたちを待っている!
松明には火がつき、
食卓は並び、
酒杯はあふれている。
もられた酒杯を前に
おまえたちのお母さんは悲しむ。
酒杯は酒であふれ
お母さんのこころは心配でいっぱいだ。
松明は赤々と燃え、
酒杯はあふれる・・・・・・」

A legnagyobb szarvas,
─ Legkedvesebbik fiú ─
Hozzá imígy szóla:
“ Kedves édes apánk,
Te csak eredj haza
A mi édes jó anyánkhoz!
De mi nem megyünk!
De mi nem megyünk:
Mert a mi szarvunk
Ajtón be nem térhet,
Csak betér az völgyekbe;
A mi karcsú testünk
Gunyában nem járhat,
Csak járhat az lombok közt;
Karcsú lábunk nem lép
Tűzhely hamujába,
Csak puha avarba;
A mi szájunk többé
Nem iszik pohárból,
Csak hűvös forrásból.”

いちばん大きい鹿は、
── ああ いちばん可愛い息子 ──
声を高めて
父親に言う、
「愛するやさしいお父さん
ひとりでお帰り
うちにお帰り、ひとりで!
ぼくたちは家には帰らない、
ぼくたちはもう二度と戻らない!
ぼくらの角はどうして低いひさしをくぐれよう
ただ広い谷間を行けるのみ。
ぼくらの細い体は
どうして狭い着物に手を通せよう、
ただ緑濃い葉の茂みに沿って行けるのみ。
ぼくらの軽やかな足は
どうしてカマドの灰を踏めよう、
ただ柔らかい枯葉の上を行けるのみ。
清い泉に洗われたぼくらの口は
どうしてコップの水が飲めよう、
ただ、泉の澄んだ水を飲めるのみ、
ただ清い泉の水を。」

Volt egy öreg apó.
Volt néki, volt néki
Kilenc szép szál fia
Nem nevelte öket
Semmi mesterségre
Csak erdőket járni,
Csak vadat vadászni.
És addig-addig
Vadászgattak, addíg:
Szarvassá változtak
Ott a nagy erdőben.
És az ő szarvuk
Ajtón be nem térhet,
Csak betér az völgyekbe;
A karcsú testük
Gunyában nem járhat
Csak járhat az lombok közt;
A lábuk nem lép
Tűzhely hamujába,
Csak a puha avarba;
A szájuk többé
Nem iszik pohárból,
Csak tiszta forrásból.

ある所に年老いた父親がいた。
彼には、その父親には、
9人の美しい息子がいた。
その美しい息子たちに
何のわざも教えなかった。
ただ山から谷へ走ること、
獲物を捕ることだけが
彼らの出来るわざだった。
深い森の中で鹿になるまで
走りまわっていた。
彼らは鹿になった。
家のひさしはくぐれない、
ただ広い谷間を行くのみ。
軽やかな足は
カマドの灰は踏めない
ただ柔らかい枯葉の上を行けるのみ。
清い泉に洗われた口は
コップの水は飲めぬ、
ただ 清い 泉の水しか飲めぬ。


本 原詞出典 : DR. VASS LÁSZLÓ: MEGJEGYZÉSEK SZÖVEG

 この歌詞の最後の行、「Csak tiszta forrásból ただ 清い 泉からしか 」という3語は、1970年代初頭、ハンガリーで起きたフォークリヴァイヴァル運動(ダンスハウス運動)で、伝統音楽の純粋性をアピールするスローガンとして用いられるようになりました。

プレゼント YouTube Bartók: Romanian Dances

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クラブ 中央の画: 1917年、民謡収集の際、泉の畔でのバルトーク(中央)と、コーダイ・ゾルダーン(右)とヨアン・ブシター(左)。
クラブ 右側の画: トルコでの民俗音楽収集の途次、遊牧の民であるクマルリ族の人たちとの写真。

本 バルトーク 『われわれはなぜ、そして、いかに、民謡を収集するのか?』
Bartók, "Miért és hogyan gy ű jtsunk népzenét?" Népszerű Zenefüzet (Budapest) 1936


 ・・・

 実際、理想的な民俗音楽の収集家は、多くの学問分野について知識の豊かな人でなくてはなりません。

 たとえば、方言の発音のもつ最も些細なニュアンスに気づくことができ、かつ記録しうるために、言語学並びに音声学上の知識が必要ですし、民俗音楽と民俗舞踏のあいだの関係を正確に記録しうるためには、舞踏の振付師でなくてはなりません。また収集家が一般的な民俗学の知識をもっていることによって、民俗音楽と民衆の生活上の慣習との関係を、最も些細な部分にいたるまで判断することが可能になるのです。さらには、村の全体的な生活に変化を及ぼしてゆく種々の要因が民俗音楽に与えた影響を調査しうるためには、社会学者でもなければなりません。そして、収集家が最終的な結論を引き出したいと望むならば、歴史学上の知識、なかでも特に、個々の村落形成の歴史に関する知識をもっていなくてはなりませんし、他国語を話す民族の民俗音楽を自国の民俗音楽と比較するためには、それぞれの民族の言語を習得しなくてはなりません。そしてこれら以外に、すぐれた耳と観察力をもった音楽家であることが不可欠の資格となります。

 自身にこれだけの能力と知識及び経験とを兼ね備えているような収集家は、私の知っている限りではまだ一人もいませんでしたし、またおそらくは決して現われることもないでしょう。ですから、ひとりの人物が、以上に述べたような条件に従って完全に満足のゆくような民俗音楽研究という仕事を完成させることは、全くできないことなのです。完全とはゆかないまでも、それに近い成果をあげることは、おそらく分業によってのみ可能でしょう。たとえば2人の研究者、つまり1人の言語学者と1人の音楽家といったぐあいに、2人の研究者が共同で仕事をするわけです。といっても、この解決法は、経済的理由やその他の理由から、概してなかなか実現されにくいものです。

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 ・・・ 私たちはすでに25年以上も前から、最古のハンガリー民俗音楽の最も主要な特徴が5音音階体系と下行形の旋律構造であることを知っています。そして、ちょうどその当時、私たちは中国音楽の5音音階体系を知ったのですが、それが私たちハンガリーのものと完全一致するものではなく、また両者の旋律構造もすっかり違ったものであったにもかかわらず、私たちはその当時、すでにハンガリーの5音音階の中にアジア音楽文化のなんらかの痕跡のあることを憶測したのでした。そしてどうでしょう、最近知られるに至ったヴォルガ地方のチェレミス人たちの曲が、これまでの私たちの推量の正しかったことを実証してくれたのです。・・・ 互いに数千キロもかけ離れている2つの民族のところに、同じ音楽文化が、限りなく長い年月を通じて保存され得たのは、いったいどのようにしてでしょうか。

 ・・・ もしも国家相互間の協調による「精神的な協働作業」というものが必要であるとすれば、それは、ほかでもなくまさにこの民俗音楽比較研究作業の領域においてこそなのですが、もはや悪評の高いこの「国家相互間の協働」は、他のいずれの領域においてもそうであるように、私たちのこの領域においても完全に壊滅状態です。・・・

 相互に遠くかけ離れている各民族の古代文化の交流を解明することは可能であり、また解明されるべきことでもあります。各民族の定着化と歴史に関する問題は、明らかにしうるものであり、また隣接各民族間の接触形態や、気質上の類縁性、あるいは対立的特質といったものを指摘することも可能であると思うのです。そして、こうした問題の分析こそが民俗音楽研究の最終目的でもあり、同時に、今日の現実的な課題でもあるのです。そして、もしも、この新しい学問が自身の課題の解決に努力するならば、・・・かつて民謡研究が初めてなされた時、その当時の研究家たちが研究の唯一の利益とみなしていた美的喜びの獲得、つまり、野生の花ばなの美しさに対する感受性が、いまだ失われていないようなすべての人々に、美的喜びを与えようという目的も、そのまま生かされるのです。

 ・・・


 « Je prends mon bien où je le trouve »

 私は自分自身が見つけたところから 私自身の財産となるものをもらうのだ。

 ── モリエール Molière


     喫茶店     喫茶店     喫茶店     喫茶店     喫茶店     喫茶店

 1918年当時、ハンガリー東部、東カルパート山脈を挟んでルーマニアと隣接したチーク県
 そのチーク県から現在、その名を冠した新しいバンドも誕生し、活躍しています。──

喫茶店 YouTube Csík Zenekar - Autó fordul
喫茶店 YouTube Csík zenekar-Lovasi András - Most múlik pontosan

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プレゼント YouTube Bartók: Contrasts for Clarinet, Violin & Piano (Mvt I + II)
プレゼント YouTube Bartók: Contrasts for Clarinet, Violin & Piano (Mvt III)

 好事家のあいだで、特に有名な録音があります。

 1940年5月13日、ニューヨークに集まった3人の音楽家は、どのひとりをとっても歴史に残る人物ばかり、まさに夢の共演でした。ピアノがバルトーク、ヴァイオリンはシゲティ・ヨージェフ Szigeti József 、そしてクラリネットがベニー・グッドマン。

 演奏された曲は、1938年にバルトークが作曲した《コントラスツ Kontrasztok 》 (Sz. 111, BB 116) でした。


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クラブ 中央の画: ピアノ曲集『子供たちのために』 1908〜1909年 全4巻


本 バルトーク 『音楽における種の純潔性』
Bartók "Race Purity in Music." Modern Music (New York) 1942

 今日、第一に種々の政治的な理由から、人種の純潔性および不純性ということがよく問題にされます。そして、法制化によってでも種の純潔性は保存されなければならない、というのが慣習的な見解です。種の純潔性というこの問題のそれぞれの分野に携わっている人々は、入手しうる材料を検討し、自身の調査研究によって新たな資料を集めようと徹底的に研究しました(あるいは、少なくとも研究しなければなりませんでした)。しかし、私はこうした調査研究には携わりませんでしたので、いずれの見解も支持するわけにはゆきませんし、事実、私にはその権利もありません。

 一方、私は、一般に世間で夢想家と悪口をいわれている、いわゆる民俗音楽研究者たちが、人間の生活のなかに見られる重要な現象とみなしているものを研究しようと、多くの年月を費やしました。この現象とはほかでもなく、民衆各層に固有な音楽、なかでも特に農民階層の独自な音楽を指しています。種の純潔性という問題をめぐって行なわれた烈しい闘争や論争の現在の段階では、民俗音楽の観点から見て、民俗音楽(つまり農民音楽)における種の不純性(混血性)は果たして長所であるか、それとも短所であるかということを研究し、かつ明らかにしなければならない時にきているように思います(もちろん、この<種>という言葉は、ここでは音楽そのものに対して用いられているのであって、その音楽を創造したり再表現したりしている人間の人種に対して用いられているものではありません)。

 私の研究の大部分は東欧で行なわれました。私がハンガリー人であることからも当然のことですが、自身の仕事をまずハンガリーの民俗音楽から始めました。けれど、間もなく私は、隣接各民族の地域にまでも、つまり、スロヴァキア、ウクライナ、ルーマニアにまでも、調査研究を広げてゆきました。時折は、いっそう広い展望をえようとして、さらに遠い地域(北アフリカ、小アジア)にまでも足をのばしました。民俗音楽を現地で実際に調査研究する<能動的な>仕事のほかに、他の研究者たちが収集し出版した資料の全体に目を通す、いわば<受動的な>ともいえる研究も完了しました。

 研究の当初からすでに、私は、自身が手がけている東欧の民俗音楽の旋律形態が異常なほどに多様であることを知り、まったく驚かされました。そして、自身の研究をさらに進めてゆくにつれて、私の驚きもいよいよ大きなものになりました。私が問題にしている東欧各国が、領土的には取るに足りないほど狭いものである(全人口を総計しても4、5千万)ことを考える時、民俗音楽のこの多様性はまったく感嘆に値するものです。なお私たちが、これらの国々の民俗音楽と、ここから遠く離れている地域の民俗音楽、たとえば北アフリカの農民音楽とを比較する時、その多様さはいっそう注目に値します。北アフリカの農民音楽には、こうした多様性は比較にならないほど少ししか見られません。

 では、この豊かな多様さの原因は、いったい何なのでしょうか。また、どうして形成されたのでしょうか。この問題に対しては、あとになって、学術的な分析研究のために東欧のそれぞれの民族から十分な資料がそろえられた時、ようやく解答が与えられました。その後、これら各民族の民俗音楽を比較することによって、東欧では多くの曲が絶えず交換され続けているということ、つまり、異種交配および再交配が絶えず繰り返されているということが明らかになりました。

プレゼント 喫茶店 YouTube Bartók, Piano Concerto No. 3 - Mov 1 (Martha Argerich)

 ところで、ここでたいへん重要なことを強調しておかなければなりません。それは、この曲の異種交配が、多くの人が考えるほど単純なことではないということです。ある1つの民族の曲が、他のいずれかの国の言語圏に入り込みますと、遅かれ早かれ、新しい環境、なかでも特に言語上の相違が要求するような形に変化させられてゆきます。言語の発音やイントネーション、さらには韻律の関係や音節の組み立ての点で、2つの言語間の相違が大きければ大きいほど、<移民していった>曲が受ける変化も、幸いなことには、それだけ大きいのです。私がここで<幸いなことには>というのは、この現象そのものが新しい類型を生み出し、その数を殖やしてゆくからです。

 先に私は<異種交配および再交配>という表現を使いましたが、この<再交配>は一般に、次のようなぐあいに行なわれます。たとえば、スロヴァキア人たちが、あるハンガリーの曲を取り入れ、それをスロヴァキア化します。こうしてスロヴァキア化された曲の形態を、その後ハンガリー人たちが偶然に再び摂取することによって、その曲は再ハンガリー化されます。しかしながら、私はもう一度幸いにもといいますが、こうして再ハンガリー化された曲の形態は、もはや本来の曲の形態とは違ったものになっています。言語学者たちは、言語の移動に関して、これと似た多くの現象を見い出していますが、事実、民俗音楽の生命と言語の生命との間には、多くの共通した特徴が存在しています。無数の要因が、たとえば社会環境とか、個人や民族の自発的、あるいは強制的移動と移民といったことなどが、ほとんど途切れることのないこうした曲の交換に説明を与えてくれます。

 周知のように、東欧には、ロシア人やウクライナ人、ポーランド人を例外として、主として少数民族が住んでおり、各民族の人口は1千万、あるいはそれ以下です。しかも、それぞれの国境地帯には、人間の往来をさえぎるような地理的障害がありません。個々の地域には、いくつかの民族がすっかり入り混じって住んでいますが、これは、これまで多くの戦争による破壊の結果なのです。なぜなら、戦争によって無人地帯となった地域が、植民化によって再び人間の住む地域に変えられる、ということが繰り返されてきたからです。こうしたことから、これら各民族が互いに絶えず接触することは、きわめて容易なことでした。これらのほかに、異民族の征服支配もありました(たとえばトルコのバルカン諸国支配)。そして、征服民族と被征服民族は混血し、それぞれの言語や民俗音楽も、相互に影響し合いました。

 ところで、それぞれに性質の異なった音楽相互の接触は、ただ単に曲の異種交配をもたらしただけではなく、それにもましていっそう重要なことですが、新しい音楽様式の誕生を促進しました。もちろん、同時に、それまでの古い様式も生き続け、こうして、それらが音楽の豊かな富をもたらしたのです。

プレゼント 喫茶店 YouTube Bartók, Piano Concerto No. 3 - Mov 2 (Martha Argerich)

 これらの各民族が他民族曲を摂取してゆく際に見られる成り行きですが、まず最初にそれらの曲を作り変えようとします。そのことによって、自身の民俗音楽が民族性を失って国際的なものになってしまうことを防ごうとするわけです。こうして他民族から受け入れた音楽的素材は、それが本来どんなに異質なものであっても、こうした仕方で、まったく個々の民族独自なものに作り変えられてゆくのです。それぞれの民族の民俗音楽の間でなされる、こうした途絶えることのない相互影響の結果、はかり知れないほどに豊かな曲や曲の形態が生み出されつつありますが、これが東欧民俗音楽の現在の状況です。ですから、最後の結果として現れた、こうした<種の不純性>は、決定的な恵みをもたらすものであるわけです。

プレゼント 喫茶店 YouTube Bartók, Piano Concerto No. 3 - Mov 3 (Martha Argerich)

 ところで、ここで反対の場合を見てみましょう。もし誰かが、北アフリカのあるオアシス、たとえばビシュクラかその隣村のいずれかを訪問してみますと、かなり一様で単純な構造の民俗音楽を耳にします。もちろんその音楽は、それにもかかわらず興味のあるものですが、その人が、そこからさらに東の方へ1500マイルも離れたカイロやその附近に行っても、そこでも正確に同じ類型の曲を耳にします。私は、北アフリカのアラビア語を話している住民の移動や歴史については多くのことを知りませんが、それでもなお、このように広大な地域に見られるこうした一様性は、北アフリカで起こった民族移動および住民の入れ代わりが比較的規模の小さなものであったことを証明している、と私は考えたいのです。その上さらに、そこではもう1つの要因が働いています。つまり、北アフリカのアラブ民族は、東欧の各民族と比べて数の上では多いのですが、はるかに広大な地域に住んでいる上に、バーバリ族のいくつかの種族(カビル族、シャウォヤ族、タルギ族)がばらばらに住んでいるそれぞれの孤立地帯を除けば、いろいろな人種や言語の異なる民族との間の混血が行なわれていないということです。

 もしも私たちに、民俗音楽の将来を希望することが許されるとすれば(この民俗音楽の将来は、今日、世界の最も遠くかけ離れた地域にまでも、高度な文化が早い速度で浸透してゆきつつあることを考えますと、かなり疑わしく思われます)、中国の万里の長城の建設や、1民族の他民族からの隔離などは、民俗音楽の発展にとって、むしろ障害となるものです。異質な要素から完全に自己を締め出すことは、停滞をもたらすものにすぎず、その影響を十分に同化しつくすことによってのみ、自身の芸術を富ますことが可能となるのです。

 言語の生命と芸術の生命との間には、非常に興味深い類似が存在しています。たとえば、英語は他のゲルマン語と比較して混合言語であることがわかるように、語彙の約40パーセントはアングロサクソン語から由来したものではありません。にもかかわらず、混合言語としての英語は、他に比べようのないほどに大きな表現力と、独自な言語精神を発達させました。一方、音楽家ならだれでも、15世紀のネーデルランド楽派の音楽様式がイタリアに移植され、のちになって、イタリアからさまざまな影響が北の国に広がっていったことを知っていますし、その後のヨーロッパ芸術音楽の発達が、まさにそのことの幸運な結果であるということも知っています。


プレゼント YouTube Bartok - Divertimento for strings - Molto Adagio
本 ディヴェルティメント (バルトーク) ─ ウィキペディア


 1940年10月8日、祖国ハンガリーを離れることを決意したバルトークのお別れコンサートで、次のようなエピソードが伝えられています ──

本 SZÉKELY JÚLIA, ELINDULTAM SZÉP HAZÁMBÓL BARTÓK BÉLA ÉLETE

Hozzájuk szólt magyarországi búcsúszava is. Azon az emlékezetes október 8-i búcsúhangversenyen, mikor utolsó ráadását adta, rájuk gondolt. A közönség hazament, mindössze néhány fiatal könyörgött már csak újabb ráadásért, Bartók már a kabátját is felvette, hogy induljon, de le kellett ismét vetnie, még egyszer, utoljára leülni a zongora elé, játszani, szólni, üzenni.

 祖国に別れを告げた日の、最後の言葉も、彼らのためでした。あの忘れがたい10月8日のお別れコンサートで、最後のアンコールを彼らのために弾いたのです。聴衆は去り、数人の若者だけがもう一度、アンコールを乞いました。その時、バルトークはすでにコートを着て家路につこうとしていましたが、もう一度コートを脱ぎ、ピアノの前に座り、弾き始めました。何かを伝えるべく。

   Csillagok, csillagok, szépen ragyogjatok,
   a szegény legénynek utat mutassatok.

   星よ 星よ 美しく輝いておくれ
   貧しい若者に 道を示しておくれ

 Ez volt a búcsúszava.

 これが別れの言葉でした。



   バルトークのある歌 ──

   Elindultam szép hazámbul,
   híres kis Magyarországbul.
   Visszanéztem félutambul,
   szemembül a könny kicsordul.

   美しい祖国をあとにした
   小さく、しかも名高い祖国
   振り返らずにはいられなかったとき
   私の眼から 涙があふれた。


 1945年9月26日、バルトークはニューヨークのウェスト・サイド病院で、
 白血病のためその生涯を閉じました。
 あとには、《ピアノ協奏曲第3番》と《ヴィオラ協奏曲》の草稿が残されていました。

 "Szeretnék hazamenni, de végleg..."

 「祖国へ帰りたい、最終的に・・・・・・」

 Haza is jött.

 帰ってきたのです。

 Végleg.

 永久に。


     いす     いす     いす     いす     いす


   プレゼント J.S.Bach 《 Partita No.6 BWV830 》:Glenn Gould プレゼント

1. Toccata

プレゼント YouTube Johannes Sebastian Bach Partita nº 6 (1. Toccata) por Glenn

2. Allemande 3. Corrente 4. Air

プレゼント YouTube Glenn Gould en J.S.Bach Partita nº 6 (2, 3, 4)

5. Sarabande 6. Tempo di Gavotta 7. Gigue

プレゼント YouTube Glenn Gould en J.S.Bach Partita nº 6 (5, 6 y 7)


     いす     いす     いす     いす     いす

本 参考、写真掲載サイト 本

 BARTÓK Virtual Exhibition (英語)

 1ページから9ページまであります。興味のある方は、ぜひご覧になって見てください。

 Béla Bartók ─ Wikipédia (フランス語)


Yours Musicaly 空っぽの皿 ♪♪


posted by 空っぽの皿 at 02:20| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月02日

目 「この道」は、どこの道?

この道はいつか来た道.jpgyum. no.28.jpg
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喫茶店 YouTube この道(北原白秋・詞、山田耕筰・曲)ソプラノ:鮫島有美子

 ティンクさん、コメントありがとう!
 意味不明なところもありましたが、お褒めいただき感謝します。

 ぼくも動機が意味不明ながら、日付的には、本日2回目の記事として、
 北原白秋の「この道」について、少しばかり書いてみます。


      こ の 道     北原 白秋


   この道はいつか來た道、
    ああ、さうだよ、
   あかしやの花が咲いてる。
 
   あの丘はいつか見た丘、
    ああ、さうだよ。
   ほら、白い時計臺(時計台)だよ。
 
   この道はいつか來た道、
    ああ、さうだよ。
   お母さまと馬車で行つたよ。
 
   あの雲もいつか見た雲、
    ああ、さうだよ。
   山査子の枝も垂れてる。


 大正14年8月24日、白秋は、北海道の札幌を訪れました。わずか4日間の滞在でした。翌15年8月、白秋は童謡「この道」を、児童雑誌『赤い鳥』に発表します。童謡論集『緑の触角』のなかで、白秋は ──

 「『思ひ出』の系統に、旅中から得た北海道風景を織ったもの」

 ── と記しています。

喫茶店 YouTube この道 - 大貫妙子

 それでは、短絡的に、「この道」は札幌市街の道なのでしょうか? 
 ご存知のように、アカシア(ニセアカシア)は、ちょうど今頃、6月に花を咲かせます。白秋が訪れた8月には、アカシアの花は散ってしまっています。1連、2連は、確かに、「北海道風景を織ったもの」といえます。けれど、ここで注意しなくてはいけないのは、「『思ひ出』の系統に、」という部分です。

 ダイヤ 『思ひ出』は、白秋の第2詩集。
 白秋の幼少年時代の追憶が、美しい錦のように織り上げられています。

 『思ひ出 叙情小曲集』の「わが生ひたち 4. 」に次のような一節があります、──

 私の第二の故郷は肥後の南關であつた。南關は柳河より東五里、筑後境の物靜かな山中の小市街である。その街の近郊外目(ほかめ)の山あひに恰も小さな城のやうに何時も夕日の反照をうけて、たまたま舊道をゆく人の瞻仰の的となつた天守造りの眞白な三層樓があつた。それが母の生れた家であって、數代この近郷の尊敬と素朴な農人の信望とをあつめた石井家の邸宅であった。
 私もまたこの小さな國の老侯のやうに敬はれ、侍(かしづ)かれ、慕はれて、餘生を讀書三昧に耽つた外祖業隆(なりたか)翁の眞白な長髯のなつかしさを忘るる事が出來ぬ。私は土地の習慣上實はこの家で生れて――明治十八年二月二十五日――然る後古めかしい黒塗の駕籠に乘つて、まだ若い母上と柳河に歸つた。

 ── この一節を読んで、ぼくには<謎>が解けました。
 「黒塗りの駕籠に乗って、まだ若い母と柳川に帰った」道こそが、「この道」の「この道はいつか來た道、」なのではないでしょうか。

 つまり、「お母さまと馬車で行つたよ。」=「黒塗の駕籠に乘つて、まだ若い母上と柳河に歸つた。」

 熊本県南関町から福岡県柳川市にいたる道、「薩摩街道」と呼ばれた道が、白秋にとって生まれて初めての旅の道であったのです。淡明さんの方が詳しいかな。

 それだからこそ、第9童謡集『月と胡桃』の Z お母さま: の章で、「この道」に次いで「からたちの花」と紡いだのではないでしょうか。「からたちの花」の一行に、「いつもいつもとほる道だよ。」とあります。

喫茶店 YouTube からたちの花 (Maki Mori)

 白秋はのちに、詩文集『雲と時計』のなかで、──

 「『思ひ出』こそは…私の童謡の本源を成したもの」と述べ、母のふるさとへの愛慕を、「私の詩魂は ・・・ この母系の血から生まれた」と語っています。柳川の「からたちの花」と、母の里南関町への「この道」を結ぶ配列に、白秋は詩の魂の原風景を託したのではないでしょうか。


 「この道はいつか來た道」、「いつもいつもとほる道だよ」。


本 『思ひ出 叙情小曲集』 ─ 青空文庫
本 『月と胡桃』
本 北原白秋(『邪宗門』『思ひ出』『東京景物詩』『白金ノ独楽』『水墨集』)

 時間と興味のある方は、ご覧になって見てください。
 白秋の作品を読むことができます。


喫茶店 YouTube Paul McCartney - The Long And Winding Road

喫茶店 YouTube Paul McCartney - The Long and Winding Road live8

 それでは、また!


posted by 空っぽの皿 at 22:25| パリ | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

◆ We'll Meet Again

Die kleine Hafenorgel[1937].jpgLale Andersen in her garden in ca. 1952 in Zollikon.jpg
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喫茶店 YouTube Lale Andersen - Lied eines jungen Wachtpostens (Lili Marlen)

◆ 《 若き歩哨の歌 Lied eines jungen Wachpostens ( Lili Marleen ) 》
◆ 作詞: ハンス・ライプ Hans Leip

 ライプの詩集 『港の小さなオルガン(アコーディオン) Die kleine Hafenorgel 』(1937年) に収載された原詩 「見張りにつく若き兵士(歩哨)の歌 Das Lied eines jungen soldaten auf der wacht 」 より。

本 Hans Leip, Die kleine Hafenorgel, Christian Wegner Verlag Hamburg 1937

◆ 作曲: ノルベルト・シュルツェ Norbert Schultze

 シュルツェは、1938年に作曲し、《 街燈の下の娘 Das Mädchen unter der Laterne 》 というタイトルを付けましたが、翌1939年、最初に録音されたレコードのラベルには、原タイトルに近い《 Lied eines jungen Wachtpostens 》という題名がメインに記され、小さく < リリー・マルレーン Lili Marleen > というサブタイトルが示されました。 
喫茶店 YouTube Lili Marlen - Lale Andersen レコード盤に注目してください。
ね! 間違っていないでしょ!  わーい(嬉しい顔)


  Vor der Kaserne
  Vor dem großen Tor
  Stand eine Laterne
  Und steht sie noch davor
  So woll'n wir uns da wieder seh'n
  Bei der Laterne wollen wir steh'n
  |: Wie einst Lili Marleen. :|

  兵舎の前
  高き門扉の前に
  立っていた1本の街燈
  その下に今も 貴女は立つ
  だから僕らはまた逢えるでしょう
  この街燈の下 逢えるでしょう
  |: あの日のように リリー・マルレーン :|

  Unsere beide Schatten
  Sah'n wie einer aus
  Daß wir so lieb uns hatten
  Das sah man gleich daraus
  Und alle Leute soll'n es seh'n
  Wenn wir bei der Laterne steh'n
  |: Wie einst Lili Marleen. :|

  二人の影は
  愛しあう僕らのまま
  まるで一つのよう
  人もそう思った事でしょう
  これからも街燈の下に僕らを見ては
  皆そう思うことでしょう
  |: あの日のように リリー・マルレーン :|

  Schon rief der Posten,
  Sie blasen Zapfenstreich
  Das kann drei Tage kosten
  Kam'rad, ich komm sogleich
  Da sagten wir auf Wiedersehen
  Wie gerne wollt ich mit dir geh'n
  |: Mit dir Lili Marleen. :|

  歩哨は帰営ラッパで
  帰営の刻限を告げる
  違反者は3日間の営倉行きだと
  戦友(とも)よ、今戻るところだ
  その時 僕らは言う「また会おう」と
  本当はあなたと共に往きたいけれど
  |: あなたと共に リリー・マルレーン :|

  Deine Schritte kennt sie,
  Deinen zieren Gang
  Alle Abend brennt sie,
  Doch mich vergaß sie lang
  Und sollte mir ein Leids gescheh'n
  Wer wird bei der Laterne stehen
  |: Mit dir Lili Marleen? :|

  あなたの足音も足取りも
  街燈は聞き知っている
  けれど 毎夜 光を照らせるも
  僕のことは記憶の彼方
  悲しみに暮れる僕の心
  街燈のそばであなたと一緒にいたのは
  |: 誰なのでしょう? リリー・マルレーン :|

  Aus dem stillen Raume,
  Aus der Erde Grund
  Hebt mich wie im Traume
  Dein verliebter Mund
  Wenn sich die späten Nebel drehn
  Werd' ich bei der Laterne steh'n
  |: Wie einst Lili Marleen. :|

  さびしい場所から
  土塊の上から
  その可愛い口唇で、
  夢見たように起こして欲しい
  靄がわき立つ日には
  あの街燈の下に僕は向かうでしょう、
  |: あの日のように リリー・マルレーン :|


 この歌を最初に歌ったのは、ラーレ・アンデルセン(ララ・アンデルセン Lale Andersen ) でした。それにしても、日本語版のウィキペディアの「間違い」が多いですね ふらふら

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喫茶店 YouTube Lili Marlene - Marlene Dietrich

喫茶店 YouTube WW2 Lili Marleen (1939 Version)

 なぜ戦争や紛争はなくならないのでしょう。うたは歌われ続けているのにね。
 言葉がわからないから? 「誠実な詐欺師」=「翻訳者」の所為(せい)?

 「青豆をみつけよう、と天吾はあらためて心を定めた。何があろうと、そこがどのような世界であろうと、彼女がたとえ誰であろうと。

 ── 村上春樹 『 1Q84 < ichi-kew-hachi-yon > 』 BOOK 2 ラストより引用。
 
 それでは、また・・・・・・

喫茶店 YouTube We'll Meet Again Vera Lynn

Yours Musicaly 空っぽの皿 ♪♪


posted by 空っぽの皿 at 01:17| パリ 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月31日

◆ 日曜日の朝のティータイムに、朗読会でもいかが。

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 ◆ 感謝の気持ちをこめて、みなさんへの<うたのおくりもの>

プレゼント YouTube One Day At a Time - Elton John
 (詳細をクリックしていただくと、歌詞を読むことができます。)


 おはようございます。今朝は久しぶりに晴れて、よい天気です。晴れ
 
 あらためて、淡明さん、ティンクさん、島田さん、ありがとう!!

 あと、きっとシロクロさんも、窓辺に来て日向ぼっこしているはずだから、
 朝のティータイムに、音楽を聴きながら、「白鳥亭:朗読会」を開催しましょう。
 (日本だと、夕暮れか、夜になるかな。わーい(嬉しい顔)

喫茶店 YouTube Quintette of the Hot Club of France-Tea for Two

 「口のきけない白鳥(無音白鳥、ミュート・スワン) Mute Swan 」の説明で、
 よく引用されるソクラテスの簡略化された言葉に、──

"You think I cannot see as far ahead as a swan. You know that when swans feel the approach of death they sing, and they sing sweeter and louder on the last days of their lives because they are going back to that God whom they serve."

 ── があります。今朝、選んだテクストは、プラトンの『パイドン』のなかから、この引用されている文章のもととなった原文の章を読んでみましょう。最初に英語に翻訳されたものを読みます。次に、それを翻訳した日本語を読みます。

喫茶店 YouTube PART 1 Glenn Gould plays Partita No.2 in C minor BWV 826

When Socrates had done speaking, for a considerable time there was silence; he himself and most of us appeared to be meditating on what had been said; only Cebes and Simmias spoke a few words to one another. And Socrates observing this asked them what they thought of the argument, and whether there was anything wanting? For, said he, much is still open to suspicion and attack, if anyone were disposed to sift the matter thoroughly. If you are talking of something else I would rather not interrupt you, but if you are still doubtful about the argument do not hesitate to say exactly what you think, and let us have anything better which you can suggest; and if I am likely to be of any use, allow me to help you.

Simmias said: I must confess, Socrates, that doubts did arise in our minds, and each of us was urging and inciting the other to put the question which he wanted to have answered and which neither of us liked to ask, fearing that our importunity might be troublesome under present circumstances.

Socrates smiled and said: O Simmias, how strange that is; I am not very likely to persuade other men that I do not regard my present situation as a misfortune, if I am unable to persuade you, and you will keep fancying that I am at all more troubled now than at any other time. Will you not allow that I have as much of the spirit of prophecy in me as the swans? For they, when they perceive that they must die, having sung all their life long, do then sing more than ever, rejoicing in the thought that they are about to go away to the god whose ministers they are. But men, because they are themselves afraid of death, slanderously affirm of the swans that they sing a lament at the last, not considering that no bird sings when cold, or hungry, or in pain, not even the nightingale, nor the swallow, nor yet the hoopoe; which are said indeed to tune a lay of sorrow, although I do not believe this to be true of them any more than of the swans. But because they are sacred to Apollo and have the gift of prophecy and anticipate the good things of another world, therefore they sing and rejoice in that day more than they ever did before. And I, too, believing myself to be the consecrated servant of the same God, and the fellow servant of the swans, and thinking that I have received from my master gifts of prophecy which are not inferior to theirs, would not go out of life less merrily than the swans. Cease to mind then about this, but speak and ask anything which you like, while the eleven magistrates of Athens allow.

喫茶店 YouTube PART 2 Glenn Gould plays Partita No.2 in C minor BWV 826

 それでは、「誠実な詐欺師」が翻訳しますね わーい(嬉しい顔)


 ソクラテスがこうしたことを語り終えると、長い間、沈黙が続きました。ソクラテス自身も、お見受けしたところ、これまで語られた言葉に思いをひそめている様子でしたが、私たちのほとんどもまた同じでした。ただ、ケベスとシミアスは、小声で互いに何か話しあっていました。するとこれに気づいて、ソクラテスは二人にたずねたのです、
 「どうしたのかね?」とあのかたは声をかけました、「これまで語られた議論が、もしや君たちには不十分だと思えるのではないだろうね。実際、問題を十分に論じ尽くそうとすれば、まだまだ疑問や反論の余地がたくさんあることは確かなのだから。もっとも、君たちが何かほかのことを考えているのだとしたら、別にかまわない。しかしもしこれまでの議論で、君たちが何か困難を感じるような点があるなら、少しも遠慮することはない。その点を君たちが何らかの仕方でもっとうまく語れそうなら、君たち自身が意見を述べて論じてくれたまえ。あるいはまた、ぼくと一緒の方が困難をうまく打開できそうなら、その場合には、ぼくも議論の仲間に入れてくれたまえ」。

 するとシミアスが口を開きました。「それでは、ソクラテス、本当のことをあなたに申し上げましょう。実は先ほどから私たちはそれぞれに困難を感じるところがあって、お互いに相手をつついては、質問をするように言い合っていたのです。それというのも、あなたのお答えを聞きたいのはやまやまながら、現在のこんなご不幸のさなかでは、そのようなことはあなたにとって不愉快なことかもしれないと思い、ご迷惑をおかけするのをためらっていたからなのです」。

 するとこれを聞いてソクラテスは、おだやかに笑って言いました、「おやおや、シミアス。まったくこれでは、ぼくが現在の自分の運命を不幸だとは考えていないということを、ほかの人々に説得しようとしても、きっとむずかしいだろうね。なにしろ、ほかならぬ君たちを説得することもできずに、ぼくがこれまでの人生においてよりも、今の方が何か暗い気持ちでいるのではないかと、君たちに心配をかけるようではね。そして、どうやらぼくは、予言の能力にかけては、あの白鳥たちよりも劣ると君たちに思われているらしい。あの鳥たちは、自分が死ななければならないことを感じると、それ以前も歌い続けてきたとはいえ、まさにその時こそは、いちばん激しく歌い、いちばん美しく歌うのだが、それはほかでもない、自分たちがこれから世を去って、自分たちの仕える神(アポロン)のみもとへ赴こうとするのがうれしいからなのだ。
 ところが、人間たちは、自分たち自身が死を恐れているものだから、この白鳥たちについても見当ちがいの想像をして、白鳥たちは死を嘆きながら、悲しみのあまり別れのうたを歌うのだと言っているが、彼らは、鳥というものは、どんな鳥でも、飢えとか、寒さとか、あるいは何かほかの苦痛を感じるようなときには、けっして歌うものではないということに考えが及ばないのだ。まさに悲しみのゆえに嘆きながら歌うと言われている、あの夜鳴き鶯自身でさえ、あるいはツバメや、ヤツガシラでさえそうなのだ。しかしぼくには、これらの鳥も、悲しんで歌っているようには見えないし、白鳥たちも同じであって、むしろぼくが思うには、白鳥はアポロンに属する鳥だから、予言の能力があって、ハデスの国(あの世、冥界)におけるさまざまな善いことを予見し、かの日には、それまでのいかなる時にもまして、特別に歌い、かつよろこぶのだ。
 そしてぼくは、自分もまたあの白鳥たちと同じ召使い仲間であり、同じ神に仕える使徒だと考えている。また予言の能力も白鳥たちに劣ることなく、主人の神から授けられており、この世を離れ去るにあたっても、白鳥たちより沈んだ気持ちになるといったことはないと考えているのだ。いや、このことに関するかぎり、君たちは、何でも自分の思うところを語ったりたずねたりしなくてはならない。アテナイの11人の刑務委員たちが許してくれる間はね」。


 いかがでしたか? 楽しんでいただけましたでしょうか?
 疲れてしまった? お茶のおかわりはいかがですか? 無料ですから。わーい(嬉しい顔)

喫茶店 YouTube You've Got A Friend---Carole King,Celine,Gloria,Shania
喫茶店 YouTube That's What Friends Are For

本 Rowe,C.J., Plato : Phaedo, Cambridge, 1933
本 Robin,L.&Vicaire, P., Phédon, Paris, 1983

◆ 註 ◆

◆ 「ハデスの国(館)」・・・ハデスは冥界の王。天を支配するゼウスと兄弟。「ハデスの国」あるいは単に「ハデス」という表現は、「あの世」「冥界」を意味します。英語版では、単に another world と表記してあります。

◆ 「神」・・・アポロンのこと。
◆ 「アポロン」・・・アポロンは光明の神。ゼウスの愛を受けた女神レトは、ゼウスの正妻ヘラの迫害により、デロス島でアポロンを産んだ。(『ホメロス讃歌』)

 それでは、また!


Yours Musicaly 空っぽの皿 ♪♪


posted by 空っぽの皿 at 18:51| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月30日

◆ ぼくは、「うそを語る専門家」 ?

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プレゼント YouTube Bob Dylan & Eric Clapton - Don't Think Twice, It's Alright

 「考え直すなよ、これでいいんだ」

プレゼント YouTube Bob Dylan - New Morning

 「新しい朝」

 ・・・ というわけで、いろいろありました。

 ぼくは、「うそつきの専門家」じゃ、ほんとは、そうではないと思うのだけれど、
 まあ、そんなことにしておきましょう わーい(嬉しい顔)

 ティンクさん、ほんとうに、おひさしぶりです。お元気でしたか ? わーい(嬉しい顔)
 寂しい思いをしていたんだから。ちっ(怒った顔)

 淡明さんも、ありがとう。淡明さんがいちばん正直者かなあ?

 村上春樹さんに頼んで、代弁させてもらおうかなあ・・・

本 村上春樹さんの「エルサレム賞」授賞式・記念講演全文─毎日jp.(毎日新聞)

 とり急ぎ、コーヒーが冷めないうちに。
 「実は、白鳥はよく鳴く」って書いて置いたんだけどなあ わーい(嬉しい顔)

 それでは、また!


 
posted by 空っぽの皿 at 19:23| パリ | Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする