淡明さん、ごくろうさまでした。そして、ありがとう。
人類は特別で、とび抜けた種ではなく、他の多様な種とのつながりの中にある。いのちの共同体の一員、多くの種の中のひとつに過ぎないことを自覚しなければならない。どんな生物もこの地球上に生きる権利を持っている。そして、それらがお互いに絡み合い、依存し合うことによって、それぞれが支えられている。
人は自然を侵さず、人は人を侵さず、人は自然の中にはぐくまるものなり
(水俣病患者・漁師・緒方正人)
■ 緒方 正人 おがた・まさと
不知火海の漁師。
1953年、熊本県芦北町生まれ。
1959年、父を水俣病で失う。またその頃、自身も発病する。
その後、水俣病の未認定運動に身を投じ、そのリーダーとして活躍するが、
1985年、訴訟を離脱。以後独自の運動を展開。
1986年、単独でチッソ工場前に座り込む。
1994年、「本願の会」を発足。
1996年、水俣から東京まで、打瀬舟(うたせぶね)「日月丸」で航海。
日本の近代を問うその先鋭な思索と行動の足跡は、『チッソは私であった』(葦書房)、辻 信一 共著『常世の舟を漕ぎて ─ 水俣病私史』(世織書房)に詳しい。
どの種にも、本来備わっている価値がある。木も川も、あらゆる自然の要素は、本来の価値を持っている。生きるための自己組織化の能力を持っている。そのこと自体が価値なのである。
人間は自分たちにとって価値があるか、ないかだけで他の種の存在価値を決めつけようとする。役に立たない草は雑草、金にならない木は雑木、穀物は雑穀、というふうに。自分たちにとって役に立たない種は、絶滅に追いやってもいいとさえ考える。ある種を絶滅に追いやることで、自分たちのいのちを支えている生態系を壊している、ということに気づいていない。それどころか、自分たちに何らかの価値があると認めた種を、その価値をさらに高めるために、その種の遺伝子を操作し、歪曲し、改造までしてしまう。愚かなり。
You are therefore I am.
君あり、故に我あり
自分が生態系という家族の一員である、という観点に立つと、世界は全く違って見えるはず
金になるトウモロコシだけをつくるために、森を皆伐するとかが愚かなやり方だ、ということがわからないかい。
ディープエコロジーとは、ノルウェーの哲学者アルネ・ネス Arne Næss が自らの環境哲学につけた名前。70年代以降、環境運動に関わる人々の間に広まりました。



