2008年06月11日

■ 「ディープエコロジー」という環境哲学

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 淡明さん、ごくろうさまでした。そして、ありがとう。

 人類は特別で、とび抜けた種ではなく、他の多様な種とのつながりの中にある。いのちの共同体の一員、多くの種の中のひとつに過ぎないことを自覚しなければならない。どんな生物もこの地球上に生きる権利を持っている。そして、それらがお互いに絡み合い、依存し合うことによって、それぞれが支えられている。

    人は自然を侵さず、人は人を侵さず、人は自然の中にはぐくまるものなり
(水俣病患者・漁師・緒方正人)

緒方 正人 おがた・まさと

 不知火海の漁師。
 1953年、熊本県芦北町生まれ。
 1959年、父を水俣病で失う。またその頃、自身も発病する。
 その後、水俣病の未認定運動に身を投じ、そのリーダーとして活躍するが、
 1985年、訴訟を離脱。以後独自の運動を展開。
 1986年、単独でチッソ工場前に座り込む。
 1994年、「本願の会」を発足。
 1996年、水俣から東京まで、打瀬舟(うたせぶね)「日月丸」で航海。

 日本の近代を問うその先鋭な思索と行動の足跡は、『チッソは私であった』(葦書房)、辻 信一 共著『常世の舟を漕ぎて ─ 水俣病私史』(世織書房)に詳しい。


 どの種にも、本来備わっている価値がある。木も川も、あらゆる自然の要素は、本来の価値を持っている。生きるための自己組織化の能力を持っている。そのこと自体が価値なのである。

 人間は自分たちにとって価値があるか、ないかだけで他の種の存在価値を決めつけようとする。役に立たない草は雑草、金にならない木は雑木、穀物は雑穀、というふうに。自分たちにとって役に立たない種は、絶滅に追いやってもいいとさえ考える。ある種を絶滅に追いやることで、自分たちのいのちを支えている生態系を壊している、ということに気づいていない。それどころか、自分たちに何らかの価値があると認めた種を、その価値をさらに高めるために、その種の遺伝子を操作し、歪曲し、改造までしてしまう。愚かなり。

     You are therefore I am.
     君あり、故に我あり


 自分が生態系という家族の一員である、という観点に立つと、世界は全く違って見えるはず

 金になるトウモロコシだけをつくるために、森を皆伐するとかが愚かなやり方だ、ということがわからないかい。

 ディープエコロジーとは、ノルウェーの哲学者アルネ・ネス Arne Næss が自らの環境哲学につけた名前。70年代以降、環境運動に関わる人々の間に広まりました。

 

posted by 空っぽの皿 at 23:16| パリ 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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