2009年06月11日

◆ コダーイ : みんなのための音楽をしよう! Legyen a zene mindenkié !

メール ティンクさんへ

 いつも変わらぬ、タイミングのよさのコメント、ありがとうございます。

 16区のポルト・ドートゥイユ近くには、オートゥイユ財団のショップがあります。常設ショップは、平日のみ営業していて、ショッピング兼チャリティーを楽しむことができます。

プレゼント オートゥイユ財団の公式サイト : Fondation d'Auteuil


メール 「種屋さん」へ

 初めまして。ようこそ。
 開店休業中にもかかわらず、あたらしい種を届けていただきまして、ありがとうございます。

 こんなこともあるんですね。いつも、一方的におしかけて、種を分けてばかりいただいているのに、きちんとしたご挨拶もしていないのに、おそれいります。「種屋さん」の種は、なかなか育てるのが大変なのですが、育てがいがあるので、「一本の苗木」になるまで、楽しませていただいています。

 これからも、よろしくご指導してくださいね。
 
 プレゼントされた曲を、改めて、ご紹介します。 

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本 ヤーノシュ・シュタルケル János Starker ─ Wikipedia

本 無伴奏チェロソナタ (コダーイ) ─ Wikipedia

プレゼント YouTube János Starker - Kodály Cello Solo Sonata I. Mvt
プレゼント YouTube János Starker - Kodály Cello Solo Sonata II. Mvt
プレゼント YouTube János Starker - Kodály Cello Solo Sonata III. Mvt


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 1953年6月、コダーイが、
 ブダペストのフランツ・リスト音楽アカデミーの
 学期末終業式の際に行なった、有名な講演があります ──

 本 『よい音楽家とは? Ki a jó zonész ? 』

     “Ki a jó zenész ? ”

  Copyright 1954, by Kodály Zoltán


   1.

 学生のみなさん、こんにちは! 今日は皆さんを長い休暇に送り出すにあたって、少しお話したいと思います。 ・・・

 ・・・

 よい音楽家とは? この問題については、シューマンがはやくも今から100年前に適切な言葉で述べています。ところが、その言葉のハンガリー語訳が2種類も出ているというのに、私たちの学生がそれを1度も読んだことがない、ということを知って、私は慄然としました。私のいうのは、シューマンの『音楽の家訓と処世訓 Musikalische Haus-und Lebensregeln 』 がこの1年間に、図書館から1度しか貸し出しされなかったという事実です。

 それに対して、地方の中等学校の音楽好きの生徒だった頃、私たちは、「クライスレリアーナ」とは? 「ダヴィッド同盟」とは? といったように、なんでも知りたがったものです。当時の私たちには、お金も図書館もなかったのですが、シューマン著作集の廉価なドイツ語版を買うお金ぐらいはどうにかなりました。その頃はまだハンガリー語訳はなかったのです。ドイツ語を習い始めて1、2年しかたっていなかった当時の私たちですから、ドイツ語には苦労させられましたが、精神豊かでみずみずしいシューマンの著作からは、生涯忘れることのできない感銘を受けました。そして実際にまた、シューマンの助言にしたがって、よりよい音楽家になろうと努力したものです。それなのに今日、知性的な学生でさえ、設備の整った図書館が彼らのために用意してくれているその本を、手にとってみることがないとすれば、そのことに対して私たちはなんと言ったらよいのでしょうか。私は、図書館の本を全部読みなさい、と言っているのではありません。打ち明けた話をしますと、音楽学者志望でない実践的音楽家が読んでためになる音楽書というのは、ごく僅かしかないのです。しかしその僅かな音楽書の1つに数えられるのがシューマンの著作なのです。

 では、シューマンが彼の《若き人たちのためのアルバム Album für Jugend 》[ 作品68、1848年 ] のために書いた『音楽の家訓と処世訓』の1部をみてみることにしましょう。

  一番大切なことは、聴く耳をつくりあげること。幼いときから、調性や音を判断できるようにすること。鐘、窓ガラス、カッコー、それらが、どんな音を出しているかを調べてみること。

 絶対音感というのは神話です。それは、私たちが生まれつき持っているのではなくて、目測と同じく慣れの問題なのです。国際協定によって、標準音高が決められる前には、1点イ音も、町ごとによって違っていたのです。

 ・・・

 ・・・ ルービンシュタインは、彼の死後出版された手記のなかで、「ピアノ弾奏は指の動きであり、ピアノ演奏は心の動きであるが、今日聞かれるのは、たいがい前者である」と述べています。

  たとえ声がよくなくても、楽器の助けなしで、譜面を見て歌えるよう努力すること、そうすると、耳は、ますます鋭敏になるというわけだ。けれど、もし響きのよい声をもっていたら、天から与えられたもっとも美しい贈りものと考えて、ためらうことなく、それを立派なものにするように鍛えなさい。

  ・・・

  一日の音楽の勉強を終えて疲れを感じたら、それ以上は無理して勉強しないこと。喜びと新鮮な気分なしに勉強するよりは、休んだほうがいい。・・・・・・音楽の勉強の疲れからは、詩を読んで立ち直るように努めなさい。

 シューマンのこの助言は、後にブラームスによって、次のように付け加えられました、「よい演奏がしたければ、たくさん練習するだけでなしに、本もたくさん読まなければならない」、と。

  たびたび戸外を散策しなさい。

 ・・・

  友だちのなかでは、自分より多くのことをしっている人を選ぶように。

  謙虚でなければいけない。きみが見つけ、考えたもののなかには、きみの前に誰も見つけなかったもの、誰も考えなかったものは何ひとつないのです。そして、もし考えたり、見つけたりしたなら、それを天からの贈りものとして、ほかの人にも分けて与えなければいけない。

  いろいろな時代の傑作を聴きながら音楽史を勉強することこそ、きみを自惚れと虚栄心から癒すもっとも手っ取り早い手段である。

  素晴らしい音楽書の1つが、ティボーの『音楽芸術の純粋さについて Über die Reinhit der Tonkunst 』である。大きくなったら、繰り返し読むといい。

 このことは、今日ではあまり深く考えなくてもよいだろうと思います。なぜなら、シューマン自身、ほかの箇所で書いているのです。「ベートーヴェンは必ずしもモーツァルトが学んだものをみな勉強する必要はなかった。同様にモーツァルトはヘンデルが、ヘンデルはパレストリーナが・・・・・・。なぜなら彼らはそれぞれに、その前から自分自身のなかに、先人たちを取り入れていたからである。しかし、誰も例外なしに改めて汲み取るべき泉がひとつだけある。私のいうのは、ヨハン・セバスティアン・バッハという泉である」、と。

 
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喫茶店 YouTube Janos Starker Plays Bach

喫茶店 YouTube Janos Starker - Bach Cello Suite 3 I. Prelude
喫茶店 YouTube Janos Starker - Bach Cello Suite 3 II. Allemande
喫茶店 YouTube Janos Starker - Bach Cello Suite 3 III. Courante
喫茶店 YouTube Janos Starker - Bach Cello Suite 3 IV. Sarabande

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 ・・・

  他のいろいろな芸術なり学問はもちろん、生活全般もしっかり観察しなさい。

 レシェッティツキーも同じことを言っています、「生活のない芸術はなく、また芸術のない生活もない」、と。

  ・・・

  誰かが言った、完全な音楽家なら、初めて聴いた複雑なオーケストラ作品でも、まるで実際に、楽譜を読んでいるかのように眼前に思い描くことができなければならない、と。これは考え得る最高のことです。

 シューマンは別の箇所で、これと同じことを次のように言い表しています、「若い音楽学生が、ベートーヴェンの第8交響曲の練習を聞きながら、熱心にスコアに当たっていたとき、オイゼビウスは《あれはきっとよい音楽家にちがいない》というと、フロレスタンは、《とんでもないことだ! よい音楽家とは、スコアがなくても音楽がわかり、音楽がなくてもスコアのわかる人のことをいうのだ。耳は眼を、眼は外的な耳を必要としない、というのでなければならないのだ》と言った」と。── これこそ、音楽家たる者がみな目指して努力するべき目標なのです。音楽を黙読しながら、音高が狂っていないかどうか、ときどき音叉でチェックするというのが好ましいやり方です。シューマンは、1842年8月4日付のある書簡のなかでも書いているのです、「音楽をたくさん読みなさい。内的聴覚を鋭くするのには、それが一番です。曲を弾くのは、心のなかでその曲を1音洩らさず聴いてからでなければなりません」、と。

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   2.


 以上の箴言的な助言は、よい音楽家になるために進むべき道を、きわめて明確に示しています。これは、誰にむけられた助言なのでしょうか。第一にはピアノを弾き、作曲する子どもたちに向けられています。それにしても、シューマン自身が、その子どもたちに対して「幼いときから / 小さいときから」という言葉を何度用いているというのでしょうか。これらはすべて、シューマン時代のドイツ音楽教育に対する批判なのです。彼自身その欠点に気づくようなり、そしてそのことの意識のために、彼は生涯を通じて悩まされ続けたのでした。彼が、自分がドイツの若者のために作曲した《子どものためのアルバム》 Op. 68 によい助言を付け加えなければならない、と考えたのも、まさにそのためなのです。当時のドイツにおいて、シューマンの言うとおりに音楽教育が行なわれていたとしたら、シューマンの助言は要らなかったはずです。

シューマンはあまり旅行しませんでした。パリにもローマにも行ったことがなく、ラテン民族のあいだでどんな音楽教育が行なわれていたのか、知らなかったのに、ドイツ人の間での音楽教育の欠点にはっきり気づいていたのでした。パリに行って当地のオーケストラ演奏を聴いてはじめて、ベートーヴェンの第9交響曲を正しく理解するようになった、と告白しているヴァグナーも、その著『指揮について Über das Dirigieren 』 においてドイツの音楽教育を鋭く批判しながら、他の民族の音楽教育との違いの根本について詳しく述べています。

 ヴァグナー曰く、ラテン民族の音楽教育は歌から出発していて、その楽器演奏までが歌唱的である、しかもその基礎は、何世紀も前から培われ、そしてその間、絶えず改良を加えられてきたソルフェージュ教育である、このソルフェージュの練習によってはじめて、見た音符を音に変えたり、聞いた音を直接音符に変える能力が音楽家のなかに育つのである。誰も生まれながらにしてこの能力を持っているのではない、誰もが苦しい勉強によってそれを習得するしかないのである。そして、人によって違いがあるとすれば、その能力の習得のためにどれだけの年月を要するかという点だけなのである、そして本来的にいって、これこそ、教えることのできる唯一の能力なのである、なぜなら天分というのは、── 創造的天分と追創造的天分の別を問わず ── 生得の才能だからである、そしてこの天分がどの程度伸びるかは、その音表象力の程度如何によって決まるのである。しかもその表象力によって、音の海に対する制海権が確保されるのである、もしその制海権がなければ、船は無事出帆しても、たとえ沈没の憂き目にあわないまでも、危なっかしい進路変更を余儀無くされるのである、と。

 この時以来、ドイツの最も傑出した音楽家たちは、飽きることなくこうした事実に言及するようになります。「歌えない人は ── 声のよしあしにかかわらず ── ピアノも弾くべきではない」とは、ビューローの有名な言葉ですが、ビューローはどんなつもりでこのようなことを言ったのでしょうか。確かにそれは、私たちがベートーヴェンのソナタを弾く前に、その各楽章、各声部を残らず歌わなければならない、という意味ではなくて、彼が言っているのはむしろ、旋律の本質がどこにあるのかを感じたり、理解していない人、そしてその旋律の本質的な側面を自分の声で ── それがどのような声であるかはともかく ── 表現できない人に、よい演奏のできようはずはない、ということなのです。

喫茶店 YouTube Glenn Gould - Beethoven, Sonata Op. 31 N.2 - I Largo,Allegro
喫茶店 YouTube Glenn Gould - Beethoven, Sonata Op. 31 N. 2 - II Adagio
喫茶店 YouTube Glenn Gould - Beethoven, Sonata Op. 31 N. 2 - III Allegretto

 私は、考え得るかぎりの美しい歌が、考え得るかぎりの悪声によって歌われるのを聞きました。それは、トスカニーニの声でした。彼は、オーケストラの試演の際に、その音楽家と歌手たちのために、そのさえないしわがれた声で楽句を歌って聞かせたのでした。こうして、彼らはトスカニーニの指揮のもとに、非常に美しく歌うことができました。彼がオーケストラに最も頻繁に要求するのは、「歌って! 歌って! Cantare ! Cantare ! 」でした。

わーい(嬉しい顔) YouTube TOSCANINI EN COLERE
プレゼント YouTube Arturo Toscanini
プレゼント YouTube Beethoven Symphony No. 5, 1st mvt--Arturo Toscanini/NBC Symp

 ビューローは、ピアノ奏者にこの意味の警告を発した、最初にして唯一の人ではありませんでした。タールベルグ Sigismond Thalberg は、当時、リストの強力なライヴァルとみなされていましたが、おそらくそれには、それなりの理由があったのだろうと思います。シューマンも、1838年10月26日付のクララ宛ての書簡のなかで、タールベルクのことを、「・・・・・・きみたちの誰とも比肩しうる素晴らしい奏者」と呼んでいるのです。現代の私たちには、彼の演奏を想像することは難しいのですが、彼が報告している彼の勉強方法が、彼の演奏に何らかの痕跡も残さなかったとは、ちょっと考えられないことです。彼はその著作、『ピアノに応用された歌唱法 L'art du : chant applique au piano 』(この著作も、私は、生徒が手に持っているのを見たことがありません)の序文のなかで、「私が5年間、イタリア楽派の有名な大家のひとりについて歌唱法を学んだということを話せば、それが若い芸術家を励ますことになるかもしれない」、と述べているのです。

 ヴァグナー、ビューロー、あるいはタールベルクといった人々の、このような警告的な言葉を意にも留めないで、ハンガリーの音楽教育は、もっぱらドイツの例に倣いました。そこには、ソルフェージュ教育の痕跡すらなかったのです。しかしデブレツェンでは、スイスから帰国した、ソティオリ・ナジ・カーロイ Szotyori Nagy Károly 1821-1897 (ルーマニアの神学者、聖歌隊楽長)が、それに類したことを始めました。その際彼は、technique générrale を「一般訓練」と訳したのです。しかも彼は、音楽家がすべて持たなければならない基礎知識、という意味でその訳語を用いたのです。そして、ここで最も重要なことは、音楽の読み書きなのです。そして19世紀の70年代以来、フランスの勧めによって、これにさらに音楽の書き取りが加えられたのでした。今日では、このメソッドはすでに至る所に導入されています。

 ・・・

 私は若い教師だった頃、ポッパー David Popper 1846-1913 (チェリスト兼作曲家)教授の生徒のひとりに、和声法で5(当時としては最低の成績)をつけました。その生徒は、1年を通じて1回も出席せず、何ひとつ勉強をしなかったからです。ポッパーは、その生徒が進級して、「器用な楽隊屋」になれるように、せめて4をやってくれませんか、と私に頼みました。私はそれに対して、「先生、私はまた、私たちが育てるべきは、音楽家であって楽隊屋ではないと思っていたのですが」と言いました。もし私たちがその生徒に、よい音楽家になるために必要なことを残らず教えないとすれば、それはよくないことです。

 明らかにポッパーは、包括的な音楽能力を習得するよう、彼の生徒に勧めなかったのです。言うまでもないことですが、彼より劣った人たちは、彼のやり方に倣いました。指は達者だが、頭は空っぽという多くの「半人前音楽家」が、このアカデミーから生まれたのは、このように、いわゆる副科がおろそかにされたためなのです。そうした卒業生が少なからず、社会からあまり価値ある人物とみなされないのも、そうした理由によることです。

 私は1907年以来、こうした状態を改良するために、いろいろなことをやってきたのですが、今そうしたことの詳細には立ち入りません。当時の教授陣のなかでは、私は孤立していましたので、私がなにがしかの成果をあげることに成功したのは、私自身のクラスの場合だけでした。1918年には、私はこの学校の指導陣に参加しましたが、これもひとえに、そうすれば全体的な指示によって、基礎教育を改良することができるのではないか、との思いがあったからです。

喫茶店 解説 喫茶店

 若くして音楽院の副校長に就任していたコダーイでしたが、第1次世界大戦後、政局が不安定になり、それが音楽の世界にも影響を及ぼし、音楽院の同僚だった2人の教授が、コダーイを告発し、その地位から追い落とされます。そればかりでなく、以後2年間は教職に就くことができませんでした。けれど、その失意の期間、彼はバルトークとの音楽研究と、音楽院で公式に指導できない学生が、彼を慕って自宅へレッスンに通ってきたことで精神的に支えられました。

 1923年、ブダペスト統合50周年記念行事のための音楽を創作することになった際、コダーイは、旧約聖書の詩篇第55編をテクストとして用い、《ハンガリー詩篇 Psalmus Hungaricus 》 Op.13 を完成させましたが、聖書のこの箇所は、信頼していた人々の裏切りによって苦しむ人が、神に救いを求める心情を歌った箇所でもあります。同僚に裏切られて苦難を味わったコダーイの気持ちを象徴する作品として、理解されています。

プレゼント YouTube Daniel Potyok (tenor) Kodaly:Psalmus Hungaricus, Peter Erdei
プレゼント YouTube King David-tenor part from "Psalmus Hungaricus"

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 たくさんのコダーイの論考が述べられてゆくのですが、ここでは省略させていただきます。

 ・・・

 以上に述べたことに基づくと、よい音楽家の判断基準は次の4点にまとめることができます。

  1. よく訓練された耳
  2. よく訓練された知性
  3. よく訓練された心情
  4. よく訓練された手

 これら4つの要素はどれもみな一緒に、いつも均衡を保って育てられなければなりません。そのうちどれが1つ後れても、先走っても、いけないのです。

 これまでのところ生徒は大概、第4の要求にだけ応じてきました。つまり、指の訓練が他のどれよりも先走っているわけですが、もし彼らが他の要素も一緒に平行して伸ばしていたとすれば、この指の訓練においても、もっと早く、そしてもっと容易に同じ成果に達していたに違いないのです。楽器演奏の授業になって、リズムの基本的な誤りを修正しなければならない、ということなどないとか、作品の内容的、和声的、形式的分析は全部自分のものにしているとか、精神的な側面からその作品に近づくことができるようになっているといった場合には、知性が指をリードすることになるので、指を介して知性に進むときよりも、指は早く正道に達するのです。確かに、先生なり他の芸術家の真似をしても、ある時点までは見せかけの成果をあげることができるでしょうが、一人前の仕事ができるほどまでにこぎつけるには、はじめの3つの要素はどうしても必要なのです。

 訓練すべきはじめの2つの要素は、ソルフェージュおよび、ソルフェージュと密接に関連する和声法と楽式論によって習得されます。必要な補足は、できるだけ多面的な音楽活動によって行なわれます。室内楽や合唱に参加することなしには、よい音楽家になれないでしょう。

 第3の要素のための授業が学校のカリキュラムに取り入れられているのを、私は見たことがありません。ここに最大の誤りの源泉があるというのに、です。しかし、この履修材料は、授業時間のなかでは教えることができません。おそらく、それに対する唯一の基礎は心理学であり、心理学なら教えることができます。けれど、それ以上のことを提供してくれるのが、生活であり、偉大な文筆家の作品を読んだり、偉大な芸術家の創作を研究することなのです。つまり、「他のいろいろな芸術なり学問は勿論、生活全般もしっかり観察せよ!」なのです。どの芸術も、それにのみ固有であって、他のどの芸術にもみられないものをあらわします。シューマンは他の箇所で、「教養ある音楽家が、ラファエロのマドンナを研究することは、画家がモーツァルトの交響曲を研究するのと同様に有益である」、と述べています。

 音楽家は勿論、なによりも自分自身の芸術に没頭しなければなりません。音楽生の多くは、狭く限られた教材のほかはほとんど何も知らないのですが、その理由はといえば、彼らが充分に発達した読譜力をもたないことから、あれやこれやの作品の勉強のために、あまりにも多くの時間を必要とするからです。偉大な作品は、1回サッと聞くだけでは、充分ではありません。私たちは、その作品を聞く準備をしなければならないのです。作品を聞く前も、聞いた後も、音符を研究しなければならないのです。そのようにしてはじめて、私たちはやがて、その作品を正しく理解し、それを永続的に自分のものとすることになるのです。きわめて重要なのは、アンサンブルに参加することなのですが、非常に残念なことには、このアカデミーには数年前から合唱団がありません。以前は、合唱団が偉大な名作を演奏することをつうじて、生徒諸君の音楽的および精神的な成長に大きく貢献していたのです。弦楽4重奏はひとつありますが、生徒諸君のほうは、この最高級の音楽を聞くとどんな恩恵があるのか、よくわかっていません。シューマンのイ短調弦楽4重奏曲の素晴らしい演奏が行なわれたとき、ほんの数人しか聞いていませんでした。しかもそれは、その感情の豊かさのために、心情を育成するのに特にふさわしい作品であるというのに、です。このような作品の場合、遠くに出向いても損はしないでしょう。それなのに、その作品がこの塀の中で聞けるというチャンスを、殆んどの生徒が利用しなかったのです。

喫茶店 Drei Streichquartette op. 41, Nr. 1 a-Moll, Nr. 2 F-Dur, Nr. 3 A-Dur (1842)
喫茶店 《3つの弦楽4重奏曲 Drei Streichquartette 》 op. 41
喫茶店 <弦楽4重奏曲第1番 イ短調 Streichquartette Nr. 1 a-Moll> op. 41 - 1

喫茶店 YouTube "Quartetto Brioso" (audio) plays Robert Schumann "Scherzo" / String-Quartet op.41 Nr.1

 私たちがこれまでみてきたように、よい音楽家という称号は、多くの多面的な努力によってはじめて取得できるものです。どのような音楽活動をする人であれ、その人がほんの少しでも怠けたら、そのことはすぐにわかるのです。若い時に疎かにした基礎訓練も、後になってからそれを取り戻すことはできません。「幸いなるかな、今なお若く、しかも何ひとつ疎かにしていない者よ!」、というわけですが、しかしまた、光陰矢の如し、ともいいます。14歳までに、よどみなく音楽の読み書きができるようにならなかった場合、その後、たいへん苦労してやっとそれを習得するか、最後まで習得できないで終わる、しかないのです。

 よい音楽家には、洗練された趣味もなければなりません。シューマンは、ヘルツ Heinrich Herz とヒュンテン Franz Hünten のふたりと戦うだけでよかったのですが、今日の音楽創作の大変な混乱のなかで、進むべき道を見い出すためにもすでに、その洗練された趣味が必要です。しかし今日では、確かな趣味を手に入れることが、100年前より100倍も難しくなっているのです。本物と偽物を区別することが、ほとんど不可能の場合も多いのです。しかしよい音楽家は、何がよい音楽であるかを知っています。長い年月のあいだに取得した音楽文献の知識、理論と実践の知識、そしてさらには、洗練された趣味が、彼にとって道しるべなのです。

 長いあいだにわたるこの苦労の多い勉強は、いったい何のためにするのでしょうか。コンテストで賞を得るためでしょうか。同僚を追い越して名声と栄誉を得るためでしょうか。そうではありません。才能を授けられた者にとっては、それを最高度まで鍛えぬき、それによって、自分の同胞に考え得る最大の利益をもたらすことが義務なのです。なぜなら人はそれぞれ、同胞のために役立ち、祖国に仕えることができる分に見合っただけの価値をもつものだからです。真の芸術は、人間性をより完全なものにするのに、最も強力な手段のひとつです。その芸術をできるだけ多くの人々に理解できるものにする人は、人類の恩人なのです。

 こうして私たちは、完全な音楽家であることは到達しがたい理想である、との認識に到達します。最良の人々ですら、自分自身に欠点を見い出すからです。しかしその目的を知る人は、そこに至るまでの距離を測ることができます。また、その理想に近づくには何をなすべきかも知っています。したがって、このような人々にとっては、シューマンが『音楽の家訓と処世訓』の最後に書いた次の言葉は、あきらめではなくて激励を意味するのです。

  勉強に終わりはない。

 

 この講演は、英語とドイツ語に翻訳され、広く世界で読まれています。

本 The selcted Writings of Zoltán Kodály, London 1974
本 Zoltán Kodály, Wege zur Musik, Hrsg. von Fere Bonis, Gorvina Kiado 1983


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プレゼント YouTube Kodály-zenei

プレゼント YouTube Kodály Zoltán Székely fonó (A csitári hegyek alatt)


 1958年、コダーイは、49年間連れ添った妻エンマと死に別れます。
 19歳年上だったエンマ自身も作曲を学び、高い教養に恵まれていましたが、若いコダーイの才能を信じて、献身的に、彼をバックアップしてきていました。それだけにコダーイは、悲嘆に暮れ、耐え難い喪失感にとらわれました。

 その1年後、自分の孫ほどの音楽院の学生シャロルタと再婚し、周囲を驚かせました。
 シャロルタ(右側の画)は、コダーイの旧友の娘で、声楽・合唱指揮を学んでいました。コダーイとの結婚を機に、この「国民的音楽家を支えることを、自分の使命と考えるようになった」、と語っています。

 柔らかな美貌に恵まれたシャロルタは、暖かな春の息吹きを、コダーイの周囲に再びもたらしました。ふたりの結婚生活は、およそ6年4ヶ月で終わり、コダーイは帰らぬ人となりましたが、シャロルタは彼の死後にも絶えることなく、夫の理念( 「コダーイ・メソッド」 : 音楽教育法 )を国内外に広めるために、各地を精力的に訪ねています。そして、このような働きの一方で、国内にいるときには、短かった結婚生活の場所を訪れる人々のために、ブダペストにあるコダーイ記念館に、新しい花を飾るのを日課とされています。コダーイが亡くなって、42年の歳月が流れましたが、シャロルタのこの変わらぬ姿が、人々の敬愛を集めています。 


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 コダーイが、その講演『よい音楽家とは?』の前半(1.)で引用したシューマンの『音楽の家訓と処世訓(または養生訓)』は、吉田秀和氏の邦訳になる、シューマン著 『音楽と音楽家』(岩波文庫、初版 : 昭和33年7月25日)の<第五部 1844年以後> - 2 「音楽の座右銘」として掲載されています。

 ご紹介にあたり、吉田秀和氏の翻訳を参考にさせていただきました。
 ここに改めて、心からの感謝とお礼を申しあげます。

 下記に、ドイツ語原文を載せておきます。ドイツ語を勉強されている方の参考になれば、幸いです。

 このシューマンの手稿原文は、音楽雑誌『音楽新報 Die Neue Zeitschrift für Musik 』 (1850年第32巻36号付録)に発表されたものを、テクストとしました。

 音楽雑誌『音楽新報』は、現在でも、下記のサイトで読むことができます。

本 Musik der Zeit - die website der neuen zeitschrift für musik

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本 Musikalische Haus- und Lebensregeln


Die Bildung des Gehörs ist das Wichtigste. Bemühe dich frühzeitig, Tonart und Ton zu erkennen. Die Glocke, die Fensterscheibe, der Kuckuck ─ forsche nach, welche Töne sie angeben. ─

Du sollst Tonleitern und andere Fingerübungen fleißig spielen. Es gibt aber viele Leute, die meinen damit Alles zu erreichen, die bis in ihr hohes Alter täglich viele Stunden mit mechanischem Üben hinbringen. Das ist ungefähr ebenso, als bemühe man sich täglich das ABC möglichst schnell und immer schneller auszusprechen. Wende die Zeit besser an. ─

Man hat sogenannte “stumme Claviaturen” erfunden, versuche sie eine Weile lang, um zu sehen, daß sie zu nichts taugen. Von Stummen kann man nicht sprechen lernen. ─

Spiele im Tacte! Das Spiel mancher Virtuosen ist wie der Gang eines Betrunkenen. Solche nimm dir nicht zum Muster. ─

Lerne frühzeitig die Grundgesetze der Harmonie. ─

Fürchte dich nicht vor den Worten: Theorie, Generalbaß, Contrapunkt etc.; sie kommen dir stets freundlich entgegen, wenn du dasselbe tust. ─

Klimpere nie! Spiele immer frisch zu, und nie ein Stück halb. ─

Schleppen und eilen sind gleich große Fehler. ─

Bemühe dich, leichte Stücke gut und schön zu spielen; es ist besser, als schwere mittelmäßig vorzutragen. ─

Du hast immer auf ein rein gestimmtes Instrument zu halten. ─

Nicht allein mit den Fingern mußt du deine Stückchen können, du mußt sie dir auch ohne Clavier vorträllern können. Schärfe deine Einbildungskraft so, daß du nicht allein die Melodie einer Composition, sondern auch die dazu gehörige Harmonie im Gedächtniß festzuhalten vermagst. ─

Bemühe dich, und wenn du auch nur wenig Stimme hast, ohne Hilfe des Instrumentes vom Blatt zu singen; die Schärfe deines Gehörs wird dadurch immer zunehmen. Hast du aber eine klangvolle Stimme, so säume keinen Augenblick sie auszubilden, betrachte sie als das schönste Geschenk, das dir der Himmel verliehen. ─

Du mußt es so weit bringen, daß du eine Musik auf dem Papier verstehst. ─

Wenn du spielst, kümmere dich nicht darum, wer dir zuhört! ─

Spiele immer, als hörte dir ein Meister zu. ─

Legt dir Jemand eine Composition zum erstenmal vor, daß du sie spielen sollst, so überlies sie erst. ─

Hast du dein musikalisches Tagewerk gethan und fühlst dich ermüdet, so strenge dich nicht zu weiterer Arbeit an. Besser rasten, als ohne Lust und Frische arbeiten. ─

Spiele, wenn du älter wirst, nichts Modisches. Die Zeit ist kostbar. Man müßte hundert Menschenleben haben, wenn man nur alles Gute, was da ist, kennen lernen wollte. ─

Mit Süßigkeiten, Back- und Zuckerwerk zieht man keine Kinder zu gesunden Menschen. Wie die leibliche, so muß die geistige Kost einfach und kräftig sein. Die Meister haben hinlänglich für die letztere gesorgt; haltet euch an diese. ─

Aller Passagenkram ändert sich mit der Zeit; nur, wo die Fertigkeit höheren Zwecken dient, hat sie Werth. ─

Schlechte Compositionen mußt du nicht verbreiten, im Gegentheil sie mit aller Kraft unterdrücken helfen. ─

Du sollst schlechte Compositionen weder spielen, noch, wenn du nicht dazu gezwungen bist, sie anhören. ─

Such‘ es nie in der Fertigkeit, der sogenannten Bravour. Suche mit einer Composition den Eindruck hervorzubringen, den der Componist im Sinne hatte; mehr soll man nicht; was darüber ist, ist Zerrbild. ─

Betrachte es als etwas Abscheuliches, in Stücken guter Tonsetzer etwas zu ändern, wegzulassen, oder gar neumodische Verzierungen anzubringen. Dies ist die größte Schmach, die du der Kunst anthust. ─

Wegen der Wahl im Studium deiner Stücke befrage Ältere; du ersparst dir dadurch viel Zeit. ─

Du mußt nach und nach alle bedeutenderen Werke aller bedeutender Meister kennen lernen. ─

Laß dich durch den Beifall, den sogenannte große Virtuosen oft erringen, nicht irre machen. Der Beifall der Künstler sei dir mehr werth, als der des großen Haufens. ─

Alles Modische wird wieder unmodisch, und treibst du's bis in das Alter, so wirst du ein Geck, den Niemand achtet. ─

Viel Spielen in Gesellschaften bringt mehr Schaden als Nutzen. Sieh dir die Leute an; aber spiele nie etwas, dessen du dich in deinem Innern zu schämen hättest. ─

Versäume aber keine Gelegenheit, wo du mit Anderen zusammen musicieren kannst, in Duo’s, Trio’s etc. Dies macht dein Spiel fließend, schwungvoll. Auch Sängern accompagnire oft. ─

Wenn Alle erste Violine spielen wollten, würden wir kein Orchester zusammen bekommen. Achte daher jeden Musiker an seiner Stelle. ─

Liebe dein Instrument, halte es aber nicht in Eitelkeit für das höchste und einzige. Bedenke auch, daß es noch andere und ebenso schöne gibt. Bedenke auch, daß es Sänger gibt, daß im Chor und Orchester das Höchste der Musik zur Aussprache kommt. ─

Wenn du größer wirst, verkehre mehr mit Partituren, als mit Virtuosen. ─

Spiele fleißig Fugen guter Meister, vor Allen von Joh. Seb. Bach. Das wohltemperirte Clavier“ sei dein täglich Brot. Dann wirst du gewiß ein tüchtiger Musiker. ─

Suche unter deinen Kameraden die auf, die mehr als du wissen. ─

Von deinen musikalischen Studien erhole dich fleißig durch Dichterlectüre. Ergehe dich oft im Freien! ─

Von Sängern und Sängerinnen läßt sich Manches lernen, doch glaube ihnen auch nicht Alles. ─

Hinter den Bergen wohnen auch Leute. Sei bescheiden! Du hast noch nichts erfunden und gedacht, was nicht Andere vor dir schon gedacht und erfunden. Und hättest du's, so betrachte es als ein Geschenk von Oben, was du mit Anderen zu theilen hast. ─

Das Studium der Geschichte der Musik, unterstützt vom lebendigen Hören der Meisterwerke der verschiedenen Epochen, wird dich am schnellsten von Eigendünkel und Eitelkeit curiren. ─

Ein schönes Buch über Musik ist das Ueber Reinheit der Tonkunst“ von Thibaut. Lies es oft, wenn du älter wirst. ─

Gehst du an einer Kirche vorbei und hörst Orgel darin spielen, so gehe hinein und höre zu. Wird es dir gar so wohl, dich selbst auf die Orgelbank setzen zu dürfen, so versuche deine kleinen Finger und staune vor dieser Allgewalt der Musik. ─

Versäume keine Gelegenheit dich auf der Orgel zu üben; es gibt kein Instrument, das am Unreinen und Unsauberen im Tonsatz wie im Spiel alsogleich Rache nähme, als die Orgel. ─

Singe fleißig im Chor mit, namentlich Mittelstimmen. Dies macht dich musikalisch. ─

Was heißt denn aber musikalisch sein? Du bist es nicht, wenn du, die Augen ängstlich auf die Noten gerichtet, dein Stück mühsam zu Ende spielst; du bist es nicht, wenn du (es wendet dir Jemand etwa zwei Seiten auf einmal um) stecken bleibst und nicht fortkannst. Du bist es aber, wenn du bei einem neuen Stück das, was kommt, ohngefähr ahnest, bei einem dir bekannten auswendig weißt, ─

mit einem Worte, wenn du Musik nicht allein in den Fingern, sondern auch im Kopf und Herzen hast. ─

Wie wird man aber musikalisch? Liebes Kind, die Hauptsache, ein scharfes Ohr, schnelle Auffassungskraft, kommt, wie in allen Dingen, von Oben. Aber es läßt sich die Anlage bilden und erhöhen. Du wirst es nicht dadurch, daß du dich einsiedlerisch Tage lang absperrst und mechanische Studien treibst, sondern dadurch, daß du dich in lebendigem, vielseitig-musikalischem Verkehr erhältst, namentlich dadurch, daß du viel mit Chor und Orchester verkehrst. ─

Mache dich über den Umfang der menschlichen Stimme in ihren vier Hauptarten frühzeitig klar; belausche sie namentlich im Chor, forsche nach, in welchen Intervallen ihre höchste Kraft liegt, in welchen andern sie sich zum Weichen und Zarten verwenden lassen. ─

Höre fleißig auf alle Volkslieder; sie sind eine Fundgrube der schönsten Melodien und öffnen dir den Blick in den Charakter der verschiedenen Nationen. ─

Übe dich frühzeitig im Lesen der alten Schlüssel. Viele Schätze der Vergangenheit bleiben dir sonst verschlossen. ─

Achte schon frühzeitig auf Ton und Charakter der verschiedenen Instrumente; suche ihre eigenthümliche Klangfarbe deinem Ohr einzuprägen. ─

Gute Opern zu hören, versäume nie. ─

Ehre das Alte hoch, bringe aber auch dem Neuen ein warmes Herz entgegen. Gegen dir unbekannte Namen hege kein Vorurtheil. ─

Urtheile nicht nach dem Erstenmalhören über eine Composition; was dir im ersten Augenblick gefällt, ist nicht immer das Beste. Meister wollen studirt sein. Vieles wird dir erst im höchsten Alter klar werden. ─

Bei Beurtheilung von Compositionen unterscheide, ob sie dem Kunstfach angehören, oder nur dilettantische Unterhaltung bezwecken. Für die der ersten Art stehe ein; wegen der anderen erzürne dich nicht! ─

“Melodie” ist das Feldgeschrei der Dilettanten, und gewiß, eine Musik ohne Melodie ist gar keine. Verstehe aber wohl, was jene darunter meinen; eine leichtfaßliche, rhythmisch-gefällige gilt ihnen allein dafür. Es gibt aber auch andere anderen Schlages, und wo du Bach, Mozart, Beethoven aufschlägst, blicken sie dich in tausend verschiedenen Weisen an: des dürftigen Einerlei’s namentlich neuerer italienischer Opernmelodien wirst du hoffentlich bald überdrüssig. ─

Suchst du dir am Clavier kleine Melodien zusammen, so ist das wohl hübsch; kommen sie dir aber einmal von selbst, nicht am Clavier, dann freue dich noch mehr, dann regt sich in dir der innere Tonsinn. ─

Die Finger müssen machen, was der Kopf will, nicht umgekehrt. ─

Fängst du an zu componiren, so mache Alles im Kopf. Erst wenn du ein Stück ganz fertig hast, probire es am Instrumente. Kam dir deine Musik aus dem Innern, empfandest du sie, so wird sie auch so auf Andere wirken. ─

Verlieh dir der Himmel eine rege Phantasie, so wirst du in einsamen Stunden wohl oft wie festgerannt am Flügel sitzen, in Harmonien dein Inneres aussprechen wollen, und um so geheimnißvoller wirst du dich wie in magische Kreise gezogen fühlen, je unklarer dir vielleicht das Harmonienreich noch ist. Der Jugend glücklichste Stunden sind diese. Hüte dich indessen, dich zu oft einem Talente hinzugeben, das Kraft und Zeit gleichsam an Schattenbilder zu verschwenden dich verleitet. Die Beherrschung der Form, die Kraft klarer Gestaltung gewinnst du nur durch das feste Zeichen der Schrift. Schreibe also mehr, als du phantasirst. ─

Verschaffe dir frühzeitig Kenntniß vom Dirigiren, sieh dir gute Dirigenten oft an; selbst im Stillen mit zu dirigiren, sei dir unverwehrt. Dies bringt Klarheit in dich. ─

Sieh dich tüchtig im Leben um, wie auch in anderen Künsten und Wissenschaften. ─

Die Gesetze der Moral sind auch die der Kunst. ─

Durch Fleiß und Ausdauer wirst du es immer höher bringen. ─

Aus einem Pfund Eisen, das wenig Groschen kostet, lassen sich viele tausend Uhrfedern machen, deren Werth in die Hunderttausend geht. Das Pfund, das du von Gott erhalten, nütze es treulich. ─

Ohne Enthusiasmus wird nichts Rechtes in der Kunst zu Wege gebracht. ─

Die Kunst ist nicht da, um Reichtümer zu erwerben. Werde nur ein immer größerer Künstler; alles andere fällt dir von selbst zu. ─

Nur erst, wenn dir die Form ganz klar ist, wird dir der Geist klar werden. ─

Vielleicht versteht nur der Genius den Genius ganz. ─

Es meinte Jemand, ein vollkommener Musiker müsse im Stande sein, ein zum erstenmal gehörtes, auch complicirteres Orchesterwerk wie in leibhaftiger Partitur vor sich zu sehen. Das ist das Höchste, was gedacht werden kann. ─

Es ist des Lernens kein Ende. ─

 「勉強に終わりというものはない。─ 」

 本当に、そのとおりですね。

本 Album für die Jugend ─ Wikipedia

プレゼント YouTube Schumann "Album for the Young, Op.68" - No.6 Armes Waisenkind
プレゼント YouTube Schumann "Album for the Young, Op.68" - No.9 Volksliedchen
プレゼント YouTube Schumann "Album for the Young, Op.68" - No.10 Frohlicher Landmann
プレゼント YouTube Schumann "Album for the Young, Op.68" - No.14 Kleine Studie
プレゼント YouTube Schumann "Album for the Young, Op.68" - No.35 Mignon
プレゼント YouTube Schumann "Album for the Young, Op.68" - No.38 Winterzeit

 それでは、また!

Yours Musicaly 空っぽの皿 ♪♪


posted by 空っぽの皿 at 19:32| パリ 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コダーイの奥様シャロルタさんのお話を読んでいて、
故藤田嗣治画伯夫人である君代さんを思い出しました。
今年4月2日、君代さんは東京で亡くなられました。
98歳でした。

君代さんは、
1968年に嗣治さんが亡くなられてからの40年間
夫の作品の著作権を大切に守ってこられたそうです。

今お二人は、
嗣治さんが日記に書き残された希望通り、
嗣治さんがフレスコ画を描いたフランス・ランス市のフジタ礼拝堂で
永眠されています。

君代さんは、
君代さんが相続し大切に守ってこられた藤田嗣治さんの全作品の著作権を
「パリで子供の福祉に携わるオートゥイユ財団に寄贈する」
との遺言を残されたそうです。


*5月27日の朝日新聞夕刊を参考にしました。

Posted by ティンク at 2009年06月14日 15:53
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